« 5月の聖典講座 | トップページ | 光 »

広島支部法座~花祭り雑感~

Img_9705  午前は、広島支部法座の子ども花祭り。お世話役、とても張り切っておられる。進行やお飾りのことで、何度も問合わせや打合わせ。わざわざ近所のお寺を会場にされている「寺子屋」への行き、手づくりの花祭りの紙芝居をもって勧誘もされる。 https://www.facebook.com/media/set/?set=a.626197130796219.1073741841.557765670972699&type=1 

  でも涙ぐましい努力も、残念ながら、子どもの参加は皆無。それでImg_9714 も大人だけで子どもの花祭りの要領でお祝いする。

 お誕生の七歩の歩みから、一歩出るというテーマで。六道-迷いを出るこの一歩は、白道を一歩出る歩みでもある。

Img_9711 最近、よく味わうことだが、この教えは、今生の火の粉を払う一時の癒しではない。迷いの根本の火の元を消す、後生の一大事である。でも、譬えはよく分かっても、実際となるとどうか。迷いの猛火が渦巻き、次々と火の粉に襲われ、モウモウたる黒煙に隠されて、ほんとう の火の元に焦点を当てて消すことは容易ではない。自分では後生に焦点を当てていると思う聞法も、大方は、火の粉や黒煙といった周辺の今生事に終始することが多いのではないか。言葉にとらわれたり、相手の態度や自分の感情に振り回されていて、肝心の火の元とは違うところで苦労して、疲れ切っている。改めて、何を聴くのか、なんのために求めるのかをよく聞いていくことか大事だ。その場合、自分の思いもハッキリさせていく必要があるが、さちにキッチリ教えとしてそこを尋ね、わが思いと照らし合わせてみることも大切である。分かりきっていることだが、「一歩出ることが大切」とか「火の元を消す教え」と正解を聞いただけで終わっていては意味はないのだ。

 午後は、島根組が大勢おまりいくださって、なかなか盛会。座談も新鮮な雰囲気。ゲストの質問もあって、個人的にはずいぶん盛り上がった。聞くものも、説くものも、その姿勢を問われたが、皆さん、よくよく味わえただろうか。

 逃げるものこそが、摂取不取のご本願の正客である。だから、誰であっても、遠慮なく、畏れることなく、一歩を歩ませてもらいたい。この私の一歩の踏み出しに、大悲の親のご苦労、涙が濯がれているのた。

|

« 5月の聖典講座 | トップページ | 光 »

法座と聞法」カテゴリの記事