花祭り
子どものお参りを心配していたが、思ったよりにぎやかになった花祭りになった。常連以外にも、大人も子どもも初めてお参りの方があったり、福井からの久しぶりの家族連れに、初めてご主人も連れてこられた方と、さまざまである。
今日は、母の日だったので、母の日と(お釈迦様の)誕生日に重ねて、私を産み、育ててくださった親のご恩徳に触れたご法話をする。
私はひとり生きていくことはできない。さまざまなおかげを被り、ご恩の塊であるといってもいいのだが、恥ずかしいことに、ご恩をご恩と分からないのであ る。だから無明といわれる。その無明を無明と教えてくださるのが、仏法である。とはいっても、この世のことなら、たとえ生まれたときのことや、赤ちゃんのときのご苦労を知らなくても、それを教えていただけば、少しは母親の慈愛は知り、感じることはできるだろう。教えていただいたことを、聞き、会得することができるからだ。
では、如来様のご恩徳となればどうか。お釈迦様とご出世くださり、私に阿弥陀様の大悲がかかっていることを教えてもらうことがなければ、無明の私には分かるはずがない。そして、その阿弥陀様の摂取不捨のお働きに目覚めさせられることだけが、ほんとうの幸せであることを、お釈迦様はこの世のなかにご出生になって教えてくださったのである。
そのお釈迦様のお誕生日。 みんなでお祝いいたしましょう。
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