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衣鉢を継ぐもの

  高山支部も、ずいぶん高齢化が進んできた。参加者も、固定的になってきている。それでも、子どもたちが参加されるのがうれしい。一緒にお参りし、そして法話も聞いてもらう。今回は、97歳の長老から、7歳の子どもまで、なんと年齢差90歳。それが一同で、勤行し、法話を聞き、一緒にお線香を立てて、長時間のお念仏をした。すべて南無阿弥陀仏の働きである。

 ご法話は、仏典ビデオや継職法要の記録ビデオも活用した。休みには、シルクロードのビデオも観た。

 釈尊の後継者ともいうべきマハーカッサパー(大迦葉尊者)の物語。常に、行動や態度で模となる頭陀を行じていた静かなる男が、釈尊の涅槃の知らせに、逆に安堵する六群の比丘の心ない言葉を逆縁として、師の衣鉢を継ぐものとして覚悟を定め、仏典結集(けつじゅう)の指揮される。貧苦の老婆をほんとうに生かし、救う話が有名だが、静かな男から、衣鉢を継ぐ決断をする場は、ほんとうに尊い。

146 継職奉告法要の記録ビデオも観て、改めて気付かされたことがある。伊藤康善先生の写真下で、悟朗先生から法灯を受け継がせていただいたのだ。また多くの有縁法中の証誠に、散華をいただいたとこは尊かったが、左手に伊藤先生83_2、右手には、華光先輩同人の物故者の法名軸がかかっていることに気付かされ、深く感銘を受ける。改めて継職の決意を語ったが、これは何もぼくだけのことではない。

234  みんな、阿弥陀様から、この胸に確かな南無阿弥陀仏の法灯を灯していただいるのである。もし、それを抜いて、人ごとに考えているのなら、それは大乗の至極といわれ、自利利他円満した南無阿弥陀仏のお働きで発揮される浄土真宗のご信心とは、別の喜びになってしまうのだ。では、私はどのように相続し、ご法を喜んでいくのか。大きな課題を、ひとりひとりが受け取っているのである。その意味でも、浄土真宗の法りは、尊いのだ。

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