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充実の真宗法座の集い

  世話人を含めて、ちょうど定員の20名となった今年の真宗法座の集い。顔ぶれは、ずいぶん変わってきたことを実感する。いまの華光の法座の常連が参加されるといっていい。ただ、(毎回のことだか)地域にはかなり偏りがあるのは残念だが、、。

  今回は、世話人の顔ぶれが変わって、第1回から続くぼくとTさんに加えて、初めて若いM君が加わり、事務のRさんと、ふたりとも20代の世話人である。おかげで、仏青からも参加もあった。  

  この法座は、特色がある。単に座談会が中心というだけでなく、当日の仕事の役割も全員が何かひとつを少しずつ分担し、グループ分けも半日かけて丁寧に考えていく。以前は、好きな人、嫌いな人を峻別してグループを考えたり、単純に○○さんのグループと表明をするだけで決めていく人もあった。でも、それでは、参加費を払って参加した意味がない。自分が参加した動機はどこにあるのか。どうすれば、聞法が促進されていくのか。そのためには、どう動いていけばいいのか。みんなに何を聞いてもらいたいのか、などを世話人と共に考えながら、自らのほんとうのこころの動きを知って、そして実際に動いてみることに意味がある。予め決められていたり、邪魔臭いからと友達と一緒に動いたり、精々、先生の名前を選択するだけなら、ほんとうに楽ではある。でも、そんな人に限って、そのグループが面白くなかったら、メンバーのせいにしたり、司会者や講師にせいにしたり、とかく他責的で、文句ばかりいっている。ほんとうは、おまかせした時点で文句を言う筋合いはない。自分で選択できないということは、要は、責任がとれない子どものようなものなである。だから、一見、無駄なようだが、時間をかけてあれこれ出し合って、グループを決めていく。そこが面白くないのは、他のメンバーのせいではなく、自分の関わりのせいだと考えていく。確かに、より自分の思いをみつめて、それを他の人にありのまま表明することは、簡単なようで難しい。しかし、そのプロセスでやっと生まれて、表明できた思いを大切にしてもらえることは、自分自身を大切にしてもらうことでもある。そんな雰囲気の中で、自分をみつめることでしか、人は真に成長していかないのである。だから、一見、無駄なようなプロセスを経て出来上がってきたグループの座談会は、たいへん密度の濃く、活発な集いとなる。どのグループも6~7名の小人数ということもあって、2日目は座談が中心でも、あっという間に、時間がなくなってしまった。それだけ濃厚な時が流れたのである。もちろん、有意義な時間の中では、大きな気付きや変化のあった人もおられ、充実した法座だった。

 また今回は、M君が加わってくれたこともあって、ぼくと二人で、30分ほどの法話を2回挟んだ。ひとつは、真宗法座は座談会のみという決めつけを破りたかったのだが、今回の充実したグループ座談を考えると座談だけで進んでもよかったのかもしれない。このあたりは、個々の思いは違うだろう。ぼく自身は、法話の中で気付かせてもらったこともあったし、ひとつ永代経での法話の話題が固まった。  

 最後に、ぼく自身もそうだが、世話人も、ずんぶん成長してきた。できれば、参加者の中から、次の世話人が生まれ、お互いにもっともっと力をつけてもらいたいと考えている。

  まだ未経験の方は、ぜひ次の機会にどうぞ。楽しく、ほんとうの成長の場となる法座です。

 

 

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