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D-pca

 今年の真宗カウンセリング研究会のワークショップは、研究会出身のY先生の「仏法を根底とした人間中心のアプローチ/真宗カウンセリングが私の中にどのように生きているのか」と題した講演と、そのあと分かち合いの時間をもった。皆さんに馴染みの深いYさんということで、遠方を含めて、定員の参加があった。  

 仏法との出遇うい、PCA(パーソン・センタード・アプローチ)との出会い、さらに、D-pca(ダルマベースト-パーソン・センタード・アプローチ)つまり、仏法を基底にした人間中心のアプーロチ/真宗カウンセリングについてという3点からの講義がメーンであった。特に、前の二つは、Yさん自身の経験レベルでの出会い(出遇い)を中心にしたもので分かりやすかったが、今回のメーンは、D-pca:仏法を基底にした人間中心のアプローチ/真宗カウンセリングについてである。

 「真宗カウンセラーとしての私は、仏法と命の流れの監督という二重構造になる」という真宗カウンセリングの特色である二重構造の説明があった。

 以下は、ぼくの考えであるが、大派の譲氏は、ある論文の中で、二重構造とせずとも、一元的に説明がつくと具体的な事例をあげておられた。しかし、ぼくが読む限りだが、その事例は、厳密には通常のカウンセリング関係の中で説明がつくように思えた。話題が仏教的だからといって、何も真宗カウンセリングではなく、あくまで出世間レベルからの本願力廻向からの働きかけと、根源的な目覚めの体験をどうとらえるかである。その意味でも、超えるというトランスの中身の吟味は、厳密にしておくべき問題だと思えた。

 ロジャーズのPCAの本質は、人間関係のパワー(権力)の問題について大転換を行ったところだと指摘される。これは言うは易し、行うは難しの典型で、本来、我と汝レベルであるクライエントとカウンセラー、または生徒と先生、もしくは子と親や患者と医者との関係も同じだといえるのだが、実際は、カウンセラー(先生、医者)には、クライエントをよりよき方向に導く専門的な知識や技術があり、カウンセラーを中心に、アドバイスや助言、指導を行わねば問題は解決しないという根強い神話がある。しかし実際、どう変わっていくのかは、クライエント自身が選び、クライエント自身に解決に向かう力があるというのである。そこで大切になるのは、一人一人のもつ潜在能力を最大限に発揮できるようようにお互いのパワー(権力)を平等に認める関係を生み出すことである。  

 一方で、カウンセラー側は、知らず知らずのうちに、その背景に権威を笠に着ることが多い。一見、対等に見える関係も、実は、従属的だったり、依存的だったりするのである。その点でも真宗カウンセリングの特色である二重構造モデルでは、権威が上に広がるのではなく、世間を超えた他力という如来の本願力の働きによって、カウンセラーの根底(基底)に広がる豊かな内実の世界であって、けっして権威となって押さえつけられていくものではないように思える。その弥陀の呼び声に、クライエントもカウンセラーも呼びかけられて、呼び覚まされ、そして呼び返される世界があるのだ。そこで働くのは、すべて如来の一人働きであるのだから、共に南無阿弥陀仏のなかにあるといってもいい。表面的な関係は、通常のカウンセリング関係に見えても、その内実においては、深く出世間からの大悲の働きに目覚めさせられる関係だといっていいのだ。真宗とカウンセリングを共に学ぶという意味でも、この二重性こそが、真宗カウンセリングの第一の特色であると考えている。  もう少し皆さんとも、このあたりをじっくり分かち会いたかったが、今回は、ここまで至らなかったのは、ちょっと消化不良。

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