日高支部法座~十重二十重のお護り~
土曜日に聖典講座を開いて、日曜、月曜日は、日高支部法座である。日高は、全国各地にある地名だが、ここは兵庫県豊岡市に併合された町である。
道中、高速沿いの桜が見事だ。万博公園もそうたが、特に、北部の加古川沿いは、一面の桜並木である。車中からの眺めだたけだ が、これはわざわざ訪れる価値があるだろう。北部ということで、この週末が見ごろ。休憩した道沿いもこのとおりである。ただし、今朝はかなり寒かった。山沿いは、雪が降っている。
今回の日高支部法座は、感慨深い。華光会の運営委員として活躍されたSさんが、3日前にお亡くなりになった。実は、4~5日前に、急に入院されたとの連絡を受けて、法座が終わってから、お見舞いに窺う段取りをしていた。久しぶりにお会いすることを楽しみにしていたのに、お見舞いがお悔やみになってしまった。法座には出られなくても、Sさんは、すでにご法礼まて包んでいてくださっていたのだ。この世で、お会いし御礼申すことができなかったのは、たいへん残念だが、南無阿弥陀仏として働いてくださっているのと思うと、有り難いことである。
Sさんのお宅に窺う前に、日曜日は支部法座、月曜日は月忌参りに当てている。月忌は、すべて亡くなった同人のお宅で、奥様の方が存命の方々である。単なる月忌ではなく、ぼくもお育ていただいて先輩同人との対話の時間のようなものである。
最後に、ある同人から、お母様のMさんの50回忌の依頼があった。ぼくの2歳の時に亡くなったので、40歳の若さでなくなったその方は存じあげない。しかし、その声をぼくの耳に残っている。『仏教詩歌集』の「大悲の呼び声」で美声を披露されているのである。だから、その呼び声に、ぼくも、華光同人も皆、お育てを受けているのだ。不思議じゃないですか、大悲の呼び声ですよ。その呼び声の主の50回忌の法要。平日の日中だったが、集まられる同人は、だいたい集まって、みんなで『お正信偈』をお勤めしたした。表白をあげ、「帰命無量寿如来」と独唱して、みんなが「南無不可思議光」と唱えだしたその瞬間、不思議な感覚が、ぼく包んだ。ぼくを可愛がってくれたTさん、片腕だったKさん、強信のWさん、若くして急逝されたSさんも…、あげるときりがないが、大学生の時から30数年間、この地で出会った先輩念仏者の多くが、いまや故人となられて、お浄土に帰っていかれた。瞬間、その先輩同人と、一緒に正信偈をあけ、お念仏しているように思えたのだ。いや、それだけではない。ぼくは、直接、存じあげないが、Mさんを始め、先代の鎌田先生のお育てで、父とご縁にあって先輩同人は、もっともっとたくさんおられる方々が、十重二十重に、お念仏されているのである。きっと、私の前にも、私が知る前にも、もっとその前にも、無数の念仏者が、真実信心を相続し、ご法を讃嘆し、お念仏を喜んでおられのである。その方々が、時も、所も超えて、いまここに一同に会して、お念仏申されているのある。私が、称える「南無阿弥陀仏」は、先輩同人の「南無阿弥陀仏」であり、親鸞様の「南無阿弥陀仏」と寸分も違いがないのである。
その体験は、ほんの一瞬だったが、それでもう充分、気付をいただいた。ご恩徳のご法話をして、みんなで会食してから、Sさん宅にお悔やみに窺った。南無阿弥陀仏
| 固定リンク