東京支部法座~礼讃文編~
東京法座は4座。2日目の昼座には分級座談会も持った。人数も多くないし、新しい参加者もなかったが、座談会は活発になってきている。
「次回は、法話を短くしてもらって、分級座談会の時間を増やしては?」と、反省会と称する打ち上げで、提案もあった。夜座を座談会だけにあてるのもよいが、法話を聞きたいという声もあろう。このあたりは、支部でよくご相談いただいて、次回(8月)の法座でやってみてもよい。
今回は、初日と2日目ではずいぶん顔ぶれも代わった。初日は、聖典講座の「浄土三部経」の概観について講習形式。2日目は、逆に聖教や教義的は話題ではなく、礼讃文と、ご因縁と「知恩、感恩、報恩」について。これは、継職祝賀会でお渡しする記念品の冊子を作製中なので、書き直しなどで頭に入っている。
礼讃文を頂く。 親の介護を通して、「人身受け難し、今已に受く」のお心が、身にしてみくる。この三年あまり、こんなに親のことを考えるようになるとは思わなかった。たいへんなことや、困ったことも連続して興るのだが、その一つ一つが経験できないことをさせてもらっているという実感もある。子育てとはまた違った面で、親のご恩徳を味わい、阿弥陀様のご恩徳を味わう機会をいただいているのである。しかし、これも「仏法聞き難し、今已に聞く」がなければ、ただ人間に生まれたことだけを喜んでいても、空しいものだ。「この身、今生において度せずんば、いずれに生においてか、この身を度せん」。迷いを離れていくのは、まさに、人間の生をうけ、仏法に出会っている、この今、しかないのである。その意味でも、自分勝手な古き信を捨てて、歩ませていただくしかないのである。
聞き習ったご文であるが、味わえば味わうほど滋味深く、ここが出発、原点であると共に、ここにしか帰って聴かせていただくしかないところである。
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