家庭法座の原点
1月の報恩講で、大乗仏教の至極である浄土真宗の「凡夫道」即「菩薩道」のお心を法話した。その折りの全体の座談会で、在家の皆さんが実践できる道として、S先生が、家庭法座を開くことを提唱くださった。
その翌日のことだ。さっそく、京都の同人から、嫁に入った娘さんにご縁を結んでもらいたいので、家庭法座を開いてもらえないかという相談があった。ほんとうに有り難いことだ。年忌や法事ではなく、家族に法縁のために開かれるのが、法座の原点である。
1月、2月は若手のM師にお願いしたが、初めて法縁に会われる娘さんの感触が、すごぶるよかったとの報告があった。お母さんも、M師も、喜んでおられた。
3月は、病院の送迎などをやくりくして、27日に、ぼくが初めてお邪魔した。京都の北野白梅 町へ。通りには、大きく左大文字が正面にくっきりと見える。近くには、北野天満宮や妙心寺、等持院などもある閑静な住宅街である。
ぼくのほうが、途中でトラブルにまきこれまて少し遅れたが、娘さんと幼稚園のお嬢ちゃんがお待ちかねで、みんなで勤行をしたあと、子どもさんやお母さんも分かるようにと、日礼で話す黒白二鼠の例えなどを中心にした。でも、どの話も、スポンジに水がしみ入るように入っていく。M師も、基本的なことはお話くださっていた。無常についての不安が強いことも、抵抗なくお話くださった。若くして、兄(同人さんからはお子さんですね)さんをなくされ、お父さんもなくされるいう無常を現実の前に、「死んだらどこに行くのか」が、理屈を抜きに不安であるという。お孫さん共々、これからさらに深い仏縁が結ばれことを核心した。
何よりも、日頃から信仰の上で、不審を述べられているお母さんが、このご縁でグングン深まっていかれることもよかった。単なる法事でも、また義理でもなく、少しでも求め、喜んで手を合わせてくだるご縁をいただいて、ほんとうに有り難かった。
皆さんも、どうぞ、家族のためだけでもいいの、家庭法座や法事を開いてみてください。一歩動くことで、必ず、聞法の縁がつながります。
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