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2014年3月の19件の記事

家庭法座の原点

 1月の報恩講で、大乗仏教の至極である浄土真宗の「凡夫道」即「菩薩道」のお心を法話した。その折りの全体の座談会で、在家の皆さんが実践できる道として、S先生が、家庭法座を開くことを提唱くださった。

 その翌日のことだ。さっそく、京都の同人から、嫁に入った娘さんにご縁を結んでもらいたいので、家庭法座を開いてもらえないかという相談があった。ほんとうに有り難いことだ。年忌や法事ではなく、家族に法縁のために開かれるのが、法座の原点である。

 1月、2月は若手のM師にお願いしたが、初めて法縁に会われる娘さんの感触が、すごぶるよかったとの報告があった。お母さんも、M師も、喜んでおられた。

 3月は、病院の送迎などをやくりくして、27日に、ぼくが初めてお邪魔した。京都の北野白梅 町へ。通りには、大きく左大文字が正面にくっきりと見える。近くには、北野天満宮や妙心寺、等持院などもある閑静な住宅街である。

 ぼくのほうが、途中でトラブルにまきこれまて少し遅れたが、娘さんと幼稚園のお嬢ちゃんがお待ちかねで、みんなで勤行をしたあと、子どもさんやお母さんも分かるようにと、日礼で話す黒白二鼠の例えなどを中心にした。でも、どの話も、スポンジに水がしみ入るように入っていく。M師も、基本的なことはお話くださっていた。無常についての不安が強いことも、抵抗なくお話くださった。若くして、兄(同人さんからはお子さんですね)さんをなくされ、お父さんもなくされるいう無常を現実の前に、「死んだらどこに行くのか」が、理屈を抜きに不安であるという。お孫さん共々、これからさらに深い仏縁が結ばれことを核心した。

 何よりも、日頃から信仰の上で、不審を述べられているお母さんが、このご縁でグングン深まっていかれることもよかった。単なる法事でも、また義理でもなく、少しでも求め、喜んで手を合わせてくだるご縁をいただいて、ほんとうに有り難かった。

 皆さんも、どうぞ、家族のためだけでもいいの、家庭法座や法事を開いてみてください。一歩動くことで、必ず、聞法の縁がつながります。

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神戸の夜景

Img_8919_3 ボートアイランドに行くのなら、花鳥園やカワサキワールドにも行くつもりだったが、予想以上に神戸の科学館は見どころがあって、結局、ここだけで半日を過ごしても回りきれなかった。向かえのIKEAでお茶を飲んで、初IKEAでブラブラした。日暮れになってから、港町神戸のシンボル、ポートタワーに向かうことにした。

Img_8888 建設から50年を経過して、回りには、ポートタワーより高いビルもあるが、鼓の形をした昔からの神戸のシンボルにかわりなく、なんなとくこのレトロ感が哀愁も誘う。京都の京都タワーや、大阪の通天閣なんかも、また同じだなー。

 ぼくが初めてここにきたのは、やはり小学校の家族旅行の時で、40年も前のことだ。そうえいば、遠足でもここに来たことを思い出した。港の風景は同じなのだろうが、こんなにビルや建物は立っていなかった。

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横浜では夜景を見そびれたが、港や船だけでも情緒がある。

 

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神戸市立青少年科学館

Img_8844 3月25日。朝、父をショートスティへ送迎し、そのまま子どもたちを連れて、神戸に向かう。普通なら1時間強だが、年度末で高速はかなり渋滞している。

 神戸のポートアイランドにある神戸市立青少年科学館へ。京都、Img_8807大阪と同じ施設を回ってきたが、神戸の充実度は、ピカ一で、ブラネタリウム含めると、半日では回りきれなかった。春休みで時間延長していたが、平日だったでの、まったく混雑もしてない。

Img_8751 顔で年齢認識をする機械があった。今後、タバコやアルコールなどの自販機に取り付けられるために開発されているという。顔を認識するだけ、年齢を当てられるのか。体組成計の体内年齢で、若さを自負しているので、自信ももって、何気なくカメラの前にたったら、なんと「53歳Img_8768・男性」とでた。日頃、どちらかといえば、若くみれる方なので、ちょっとショックだなー。もう一度、表情をかえて、微笑んだみたら、「51歳」となったり、「52歳」になったりする。要は、正確に、いい当てられていることに、びっくりした。

 隣で、子どもたちが笑っていたが、上の子が、「きっと髪の毛でみImg_8784てるんやわー」。おいおい、最近、この子は、ここを付いてくるなー。「いや、それなら60代かもしれんで」と言われて、またちょっとがっかりするぼくだった。

Img_8754 むしろ、この機械が、ほかの皆さんの年齢や性別を、それほどの誤差なく認識していることにおどろいたけどね。ぼくも、年相応だったので、良としないといけないけどね。

 ついでに、職業によって変わる写真や、これからの年齢の顔を予測する機械もあったけど、ぼくは野球選手にぴったりということで…。子どもたちの面白い写真もあるけれど、まあ、ここではこの程度で。

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誕生祝~くろちく百足屋にて~

Img_8739 3月24日。一足早いが、長女の誕生日をお祝いをした。
 昨年は、訪米中で、直接、お祝いできなかったので、1年ぶりだ。でも、お誕生日当日は、ぼくが熊本にいるので、少しだけ早いが、家Img_8694族揃ってお祝いすることにした。明日から、ショートスティーを利用する、父も、元気に座れて安心した。ほとんど外への関心は失せて、一言も発しないが、それで、みんなが揃って過ごす時間は、どこかうれしいそうにも見える。

 さて、彼女の希望は、意外にも「和食」だった。以前、利用したことがある、四条新町にある、くろちく百足屋という町家のおばんざい店を選んだ。雰囲気といImg_8696Img_8722い、小物類といい、今の彼女にヒットしたようだ。誕生日祝いも、着物にあう、高下駄や小物が欲しいといっている。

 いつものことだが、家族の外出時の財務大臣は、あいかわず母である。ほんとうに助かるので、こんな時は、ぼくは子どもで甘えさせてもらう。

Img_8705 さて、おばんざいとは、京都の家庭料理の総称だと思うが、本来は贅沢な素材ではないのだと思うが、上品なな出来ばえで、おいしかっImg_8706た。なにより、薄味なのが口に合った。ただ、下の子は、またチョロチョロとうるさくするが、今夜は、他の客はなくて、貸し切り状態だったので、心配はない。でも、彼女のおかげで、みんなも楽しく過ごすことができる。

Img_8707 さて誕生日の朝のことだ。
 ぼくが寝ている布団に、上の子が入ってきた。Img_8718

思わず、「今日で、14歳やね。よく生まれさせてもらったなー。何度も流産が続いて、子どもは無理かなーと思ってところに、やっと生まれてこれたんやで。
 せっかく人間に生まれさせてもらったのなら、しっかり仏法を聴かせてもらおうなImg_8693ー」と話した。

 静かに聞いていた彼女は、「うん」と短い一言。でも、いまはそれで充分な返事だった。

 この世に生を受け、お育てをいただいてここまで大きくなった。しかもそれは、仏法を聴かせてもらうためである。そのことをしっかりと伝えられる幸せを、しみじみと味わった。

 南無阿弥陀仏

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聖典講座~今現在説法~

  9月から担当を初めた「聖典講座」。10月から伊藤康善先生の「真宗安心一夕談」をテキストにしている。華光に流れる伊藤先生のご教示であり、浄土真宗の安心の要を端的に示されたものだ。もともと、先生の信仰体験談である『仏敵』の付録として掲載れさていたが、『仏敵』が現量なら、『真宗安心一夕談』は、聖教量の意味がある。

 華光会は、単なる心理主義、体験至上主義ではなく、三量批判が、その中心にある。このこと、何度も押さえておきたいところである。この三つは、今日の浄土真宗が失っていしまった大切な量りである。むしろ、現状は、教条主義や学解往生に陥っているのではないだろうか。そして、心理主義や教条主義に偏らない道としての比量が意味を持つ。 

 ご承知のとおり、浄土真宗は、「安心」と「法座」という二つ車輪によって拡がってきた。が、教化の要であった「法座」が形骸化し、現量や比量はなくなり、ただ聖教量のみが盛んであるのが、現状だ。もっとも一般寺院の多くは、法話とは言い難いものもあって、聖教量もあやしいが、教界は知性優位で正しい教義を中心としている。しかし、いくら正しい教義を覚えて理解したとしても、それがイコール「安心」ではない、というあたりまえの話が、通じなくなっている点にある。いわば、ハンドルの操作はうまいが、肝心のエンジンがない車のようである。西本願寺のご門主は、ハンドルのなる教えと、エンジンになる教えという区別をされているが、教えではなく、安心そのものの問題ではないかと、ぼくは感じている。

 どんなに教学を理解し、根拠を正確に並べ、また他力廻向の表現に細心の注意を払って伝えたとして、肝心の私の口から念仏が出ず、喜びが溢れてくることがなければ、空しい。

 阿弥陀様は、今、まさに、今現在説法で、この私めがけて叫び続けておられる。その呼び声に遇うために、一大事をかけて聞法する。その呼び声に、この命をある間に、応えさせていただく身にならせていただく。だから、それは過去の話でも、一念の時の記憶でもない。今も、常に、呼びかけてこ説法くださり続けいる。それが、私に届くのである。だから、私も、恒にだが、喜ばせてもらい、念仏させてもらえるのてある。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 こんな尊い、勿体ないことが、他にありますか?

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華光誌発送終了

 28日に華光誌を発送しました。

 春休みということで、子どもたちもお手伝い。上の子は、作業が好きなようで、志願して、「仏青通信」を折る作業も手伝ってましたが、下の子は、すぐに飽きて、黒板に絵を描いたり、オルガンを引いたりと、遊び半分ながらも、少しは貢献したようですね。いつもは月初め(4月1日)の発送となりますが、消費税増税を前に、月末の発送をめざました。加えて、今度は、5月の永代経法要に併修される「継職法要」のチラシを早く届けたかったのもあります。

 今回は、いつもと違って透明袋に入ってます。

Img_8935 また、同封の印刷物が多いので、ご注意ください。
1)華光誌(73-2号)
2)永代経法要並びに法名軸申込用紙(白)
3)継職法要(5月4日)案内チラシ(カラー)
4)仏青通信「寒中子ども大会」の案内
5)5月末の仏青研修会(IN九州福岡)(ウグイス)
6)7月の壮年の集い(IN東京)(水色)

の合わせて6部です。永代経や継職法要には、あまり時間がありませんので、お早めにお申し込みください。

 遅くても今日中には届くのでしょうが、かなりの混雑ぶりなので、少々時間がかかるかこともお含みください。

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お久しぶりです

 梅の話題を最後に、2週間ほど間があいていました。もう3月31日。年度末もあれば、明日から消費税増税があって、世間も、かなり多忙な年度末になってますね。

 何名の方から、「どうされてるのですか」とか、「G先生、たいへんなんですか」とかのご心配もいただきましたが、いろいろと多忙でした。法座も、聖典講座があり、「講習会」歎異抄があり、京都の家庭法座があり、熊本での九州支部法座と、法座が続きました。特に、聖典や講習会は、テキトス作りもあって、そちらに力をいれていました。それに、継職法要に向けての準備や華光誌の発送に加えて、介護のお手伝いをしたり、子どもの春休みや誕生日があったりもしたし、ちょっとしたトラブルがあったりで、ブログの話題には事欠かないのに、比例して時間には余裕がなくて、こちらはお休みしてました。また行きつ戻りつしながら、再開します。また、おつきあいくださるとうれしいです。

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枝垂れ梅

Img_0914_2  梅一輪、一輪ほどの あたたかさ

 月曜日には、雪がチラつき真冬並に寒かったが、いつのまにか春の陽気になってきた。これだけ寒暖の差は激しと、体調管理も難しImg_8632い。しかし、奈良の二月堂ではお水取も終わり、春は確実に近づいている。

 一面に、梅が匂って咲き誇っている。いや、ほんとうに見事だ。

 梅といえば、紅白のものしか知らなかったが、枝垂れ桜があるImg_0967_2_2ように、梅にも枝垂れ梅もあることを、ここで知った。紅白に混じって、一面をピンク色に染めていた。枝垂れ梅が、こんなにきれいだとは思わなかったが、多くの人々も、歓声をあげていた。

 どこからか、ウグイスの鳴き声も聞こえてくる。

 今年は、ずいぶん寒い冬で、3月に入っても寒波が居すわっていたが、いよいよ春本番だ。月末には、桜の開花も迫っている。Img_0870_2Img_0874_2Img_0893Img_0866_2

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城南宮~椿編~

Img_0970_2_3 長女の「京都の社寺で梅を愛でる」というリクエストで、東福寺から、京都南インターすぐの城南宮に向かった。

Img_8588 ぼくも、小学校の時に、6月の恒例行事だった、婦人会の臨地法座で、このあたりを散策して以来だから、かなり大昔の話。

 京都で梅といえば、北野天満宮が有名で、京都御苑や山科の随Img_8585心院などもよく知られてるが、ここは比較的穴場。しかも、京都南インターの大阪方面の出口のすぐのところなので、交通の便はいい。古来より、平安京に入る交通の要所で、平安遷都の際には国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られた南を守護するお宮ということで、城南宮と名付けられたという。平安末期にはここに鳥羽離宮が置かれて院政のImg_8651中心となり、幕末には鳥羽伏見の戦いなど、歴史の舞台ともなっている。

 庭園に入る前に、境内を横切ると、人だかりできていたので、ちょっと覗くと、梅娘?らしき人がImg_8594優雅?に踊っていた。まさかバイトじゃないよなーと思いつつ、このあとで、この方から、御祓い(もちろん有料)を受けられるらしいが、そんな人はいるのかなーと眺めていたら、けっこうな人が「シャン、シImg_8589ャン」やってもらっていた。ハーァ、生まれて初めて観る光景で、けっこう楽しんだ。もちろん、冷静にみると滑稽な風景だが、ご本人方は、真剣である。別の場所では、車の御祓いをうけている人もあった。世間Img_8659では、こんな人が、信心深い人といわれるのかもしれない。その意味では、ぼくたちは、門徒物知らずを貫いている。第一、どんなに御祓いをうけても事故に遭う時は遇うし、いくら清めても、この腹底はおそろしいぞーと思いつつ、庭園へ。

  穴場といったが、ちょうど梅が見ごろで、それなりに混雑していた。梅の前には、終わり間際の椿が咲いている。Img_8677

 椿といっても、定番の真っ赤なもの以外にも、白やらビンクやら、ずいぶんいろいろな種類があるんだーと感心した。もっとも、ぼくには、椿と、寒椿、山茶花などの区別はまったく付かないんだけど、、。

 さてこの庭園は、平安時代以降の時代ごとのお庭を回遊式に見れるように工夫されているが、今回は、梅がメーンなので、次へ続く。
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東福寺の涅槃図

Img_8560 2月15日は、お釈迦様が涅槃に入られた涅槃会だ。旧暦では、今日、3月15日となるので、京都の寺院の多くは、旧暦で法要が営まれている。Img_8568 http://www.tofukuji.jp/function/index.html

 京都には、東福寺と、お隣の泉涌寺、そして真如堂などの巨大な涅槃図が有名だ。この前後の3日間だけ、東福寺は無料で、日頃は拝観できないImg_8578本堂での、涅槃図のご開帳がある。

 「梅がみたい」という、とても渋い長女のリクエストで、午後から、梅を見に行くことにしたので、始めに東福寺へ寄った。といっても、車なら10分もかからない。東福寺の参籠に入るの手前に、京都日赤病院が建っていImg_2296る。ここでぼくは生まれて、その15年後、東福寺を抜けた坂の上に、母校(高校)があって、急な坂を自転車で走って通っていた。だからこのあたりは、かって知った庭のようなものである。

Img_8565_3 何年か前にも、子どもたちを連れてお参りした。ブログで調べたら、2008年とわかった。 http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_d166.html

 その年も、3月15日が土曜日にあたっている。でも、子どもたちは、まったく覚えていないという。国宝の山門(三門)に登ったことも、わからないそうだ。でも、それもそのはずだ。6年前といえば、上の子で2年生、下の子はまだ4歳である。友達のユキッチも連Img_5245れていったが、見つけた写真を見て驚いたけど、こんなチビッコだったんだなー。覚えていなくてあたりまえだ。今回も、同じところで写真をとったが、6年の歳月って、子どもにとっては、こんなもにすごいんだなー。こちらは、年重ねるだけの歳月だけどね。

 本堂で、新鮮に、巨大な涅槃図を拝ませてもらった。堂内の天井Img_8581の龍は、堂本印象画伯の作なので、昭和のものだ。ふたりも、その大きさに驚きなImg_8580がら、お釈迦様のお涅槃を偲ばせていただいた。ほんとうの涅槃の地は、インドのクシナガラのサーラ(沙羅双樹)の林の中。真っ白な涅槃堂に中に、いま、横たわっておられる。

 さまざまな塔頭が並ぶ参道を歩いていたら、あるお寺を発見。ここの若様は、最後まで書道教室に通ってくれて、ここで仏青を開かせてもらったこともあった。ちょっとご挨拶とも考えたけど、閉門されていて、今回は、あきらめた。でも観光客の行き来する喧噪の中に、Img_8556静かな佇まいの上品なお寺だ。

Img_2289 同じく塔頭のように、尺八の根本道場の「明暗寺」があった。時代劇の定番、「明暗」という袈裟をつけた虚無僧の総本山というところ。経緯は知らないけど、いまは普化正宗の本山でもある。6年前にも、やはり写真とってるなー。
 http://www.sinfonia.or.jp/~manfan/meian.html

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華光誌の編集

 73巻2号の華光誌の編集作業が、予定どおり終わって、印刷所に渡る。

 4月から消費税増税もあり、3月中の発送を予定しているので、いつもより数日早く、作業が終わった。

 今回は、3月に無事修士課程を終了されたM師の巻頭言に、K先生の誌上法話と、ぼくは、聖教のこころを書いただけ。聖教も、「十二礼」をとりあげて、いつもとは少し違う雰囲気にした。体験記も、今回が初の二人だが、読み切りと、2回だけで、短いものだ。さっそく、依頼にかかろう。特集は、華光大会感想集が中心だ。

 これで、あとは、月末の完成を待つだけ、、。と言いたいが、華光誌に同封するために、5月の継職法要のチラシづくりに、法話小冊子なども続く。「子ども聖典」~「華光誌」~法話「小冊子」~法要「記念誌」と、こちらも連続無窮で続きそうだ。

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高山支部法座~聖人のご生涯~

 春の高山支部法座。3月に入っても、強い寒気が居すわる。昨年の8月と12月は、子ども連れということもあって車で向かったが、今回は、雪を心配て、列車に乗った。岐阜からは、仏青のYさんとご一緒になる。途中までは、快晴でまったく雪の心配はなかったが、高山に近づくにつれて、一面の雪景色である。それでも、覚悟したほどの寒さはなかったが、朝は、やはり「しみた」ようだ。

 今回は、親鸞聖人のご生涯を、3つのターニングポイント-ひとつは、比叡山を降りて法然聖人のもとで回心されるまでの苦悩、もうひとつは、法難による越後流罪以降の非僧非俗の精神、そして最後は、臨終のありさま-を、聖人のご持言や消息、恵信尼さまのお手紙を通して味わった。教義的な問題ではないが、こうしてじっくり味わうことで、親鸞さまという人となりを通してしか伝わってこない、教えの核心が見える気がした。

 と同時に、その後の浄土真宗が教団として発展する過程で、教義が体系化され、教学が生まれ、組織が完成されることになるのだが、それでしっかり相続され護られきたことも多かっただろうが、一方で、巨大化した組織や人間関係、形骸化した教学の中で、ほんとうにいきいきした法座や、めざめの体験としてのご安心が躍動しているのかと問われれば、現状はこころもとない。

 実は、親鸞聖人がそうであったように、さまざまな宿業を抱えた生身の、いま、ここに生きている私が、そして、これもまた、いま、ここに生きてはたらく阿弥陀様のご本願にブチあたり、目が覚めることがなければ、絶対に開けてこないまことが、浄土真宗ではないのか。

 結局、とんでもなくおそろしい事実だと思うが、ひとり、ひとり、ほんとうに私ひとりが、後生の一大事にこころをかけて、弥陀の本願を、聴くのか、聴かないのかが、いま、まさに突きつけられているのである。甘い、温かい、すべてのものが救われるという浄土真宗風が、流行りなのかもしれないが、ぼくには、そんなものはなんの魅力も感じられない。

 自らの業に苦悩し、強情な自力に泣き叫び、そして弥陀の本願を前に号泣させられる。聖人のご生涯のお言葉を訪ねれば、そんな厳しさ、おそろしさがつねにつきまとっているのではないか。そんなことを、高山の皆様のお姿を通しても、直に味わえる幸せを思った。南無阿弥陀仏

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『こどもの聖典』完成!

 華光会発行の「こどもの聖典」を再版のお知らせしていましたが、金曜日に、完成してきました。

 これまでのものも、同じベージで使えるように、前版のものを完全に踏襲していますが、すべてを新たに入力し直したので、中味の雰囲気は少し異なっています。ただし、表紙は、まったく同じものを使ったので、見た目は、まったく変わっていません。

 ただ、勤行に使っている、こどもの「十二礼(らいはいのうた)」の解説文を、資料編の最後に追加しています。前段に「らいはいのうた」、下段にその解説という形式です。
 これは、龍樹さまが、心の底から阿弥陀様を敬い、阿弥陀様と、そのお国(お浄土)のありさまを、よろこび一杯に歌ってくださっています。4行ずつの12段落に分かれます。最初は、総讃で、慶んで礼拝のまとこを捧げる歌で始まり、そこから「おあみださまをおがみます」と10回の讃歌が続き、最後は、皆共に阿弥陀様のお浄土に生まれさせてもらいましょうという回向文で終わります。そのおこころをよく味あわせていただき、声高らかに称えさせていただくと、阿弥陀様の尊さ、この身にうけた勿体ないさがで、よろこび一杯、お勤めさせていただけると思います。

 子どもさん向けだけでなく、家庭でも勤行用に使ってもらいたので、値段は、当面据え置きにして、「600円」と低価格に押さえています。それで、お持ちでない方はもちろん、すでにお持ちの方も、家族用にもう1冊、2冊と、この機会にお求めください。

 週末の広島、高山法座にそれぞれ持参分は、すでに完売! 予想以上にいいスタートでした。

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法要の準備

 5月4日の継職法要法座の準備が、本格化している。

 下準備は少し進んでいる。3日間の永代経法座の中日なので、その法座自体の準備もある。法要の法中とか、講師の依頼、祝賀会の会場などはだいたい済ませたが、短時間での取り組みとなったので、ぼく自身も、毎週つづく法座行事や華光誌の合間に、どれだけ皆さんに浸透させ、お勧め出来るのかが課題となっている。

 法要時の講演会は、単なる講演ではなくて、パネル・ディスカッションというか、対談交流会形式とした。テーマは、「浄土真宗の可能性」~華光の歩みと今後について~(仮題)という内容を考えている。けっして著名なご講師ではないが、それぞれが地道に独自の活動し、また華光に対しても評価くださっている寺院住職と、真宗をも体験的に喜び、海外の交流も盛んなカウンセラーの先生に出講を快諾頂いてた。ただし、継職法要と、夕方からの祝賀会まで2時間以内という制約があるので、パネラーの人数も絞り、出来る限りフロアーの声も拾って、一体化するような集いを目指していきたい。

 華光誌作業の合間に、華光し昨日は、運営委員長のRさんと、また今日は、法要のためにM師と打ち合わせた。これかImg_8550らは、記念品に、配布冊子、法話小冊子(第2弾)、さらに案内チラシなどなど、やらねばならないことが目白押しだ。筆を取って、揮毫をすることになるだろう。

 でも、そImg_8552の前に、3月は華光誌の作業と、講習会の準備を優先である。その合間に、高山と、熊本への布教もある。いろいろなことが並行作業となるだろうが、法要は手作り感のある、温かい、みのりあるもにしたい。そのためには、一人でも多くの方に、積極的に参画いただきたいと願っている。  

Img_8554 夜には、久しぶりにRさんと飲みに、京都駅前に出た。
 この先の華光のことは、正直、どうなるのかは分からない。心配なことや難しい課題もある。たいへんな歩みになるかもしれない。しかし、もう一度、華光の創始者である伊藤康善先生の精神にかえると共に、これまで学んできたことを生かして、ひとつひとつの課題に、誠実に取り組んで進んでいくしかない点で、お互い一致した。この先の時代を考えると、ある意味で、たいへんだけれども、またある意味では、これからが楽しみでもある。

 それにしても、今夜も寒かった。雛祭りも過ぎたのに真冬なのだ。それでも、電車は使わず、お店から会館まで歩いて帰ることにした。街は、イルミネーションがきれいに輝いていた。

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講習会~『歎異抄』の世界へ

  3月22日(土)~23日(日)は、第38回の講習会だ。

 今回は、『歎異抄』を取り上げることにした。これまで、悟朗先生が、聖典講座で、2度取り上げて、仏青大会でも、担当形式で、2度取り組んでいるが、講習会では初めてだ。もちろん、2日間で、すべてができる内容ではない。今回は、概観・序章を含めて、1、2、3、4章という前半の聖語編の中でも、もっもと重要な章だけを取り上げることにした。ほんとうは、1章と2章だけで、2日間かけてもいいぐらいだが、そこまで専門的にやる必要はないだろう。

 単なる一方的な講義でも、質疑を交えるものではもなくて、文章そのものを輪読し、みんなで味わっていきたいと思っている。僕自身も、何度か取り上げている章ばかりなので、面白いものになる自信はある。

 案内チラシを作ったのは、同人の方はもちろんだが、歎異抄や親鸞聖人の関心のある有縁の方に、出席いただきたいからだ。ぜひ、皆さんも活用いただきたい。

 ただ、〆切がきたが、まだ申し込みに余裕がある。地域によって、出席にかなりバラツキがあるので、これらか広く呼びかけていかねばならないなー。

 皆様、ご参加をお待ちしております。詳しくは、以下を参照ください。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2014/detail/03/koshukai2014-3.htm

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寒中仏の子ども大会~伝統~

 寒中仏の子ども大会が終わり、皆さんとお別れする。

 初参加で、お手伝い役の同人に、「どうでした?」と、感想を尋ねた。

  弾んだ声で、「すごーく 楽しかった! 日頃、子どもが近くにいないので、子どもたちのエネルギーをもらえたし、大会に流れる伝統の力を感じた」と、いきいき話してくださった。

 楽しかったのは、ぼくも同じで、それを聴いてうれしかった。同時に、やっているものは、ついつい当たり前になりがちのことだが、「伝統」という言葉に、改めて気付かせてもらって、力をもらったようだ。 

 今回は、事前準備や打ち合わせ不足を、心配していた。そのせいか、たいせつなの場面で、モタモタすることもあった。しかし、多少の打ち合わせ不足があっても補えたり、臨機応変に対処できる引き出しが多くある。たとえば、初先生役の高校生にしても、ゲームや司会をまかせても、そつなくこなすことができるのは、子どもの時の経験があるからだ。

 懇親会。同世代で、班長や先生経験のある子ども大会出身の方と話していたら、今回も参加している先生のお母さんのされた法話の話題がでた。滋賀県のM先生の奥様。かわいい女の子の腹底をめくると、おそろいし毒蛇がとぐろをまいてる絵だった。さすが、京芸出身の絵だと感心したものだ。それから、

 「悟朗先生、キャンプファイヤーで、「ギョ、チョウ、モク、モウスカ、モウスカ」のゲームを、よくやられたね」、という話題になった。

 ああ、懐かしいなー。

 でも、知らない人は、呪文みたいで、なんのことかは分からないという顔をされている。漢字で書けば、「魚、鳥、木、申すか、申すか」の合言葉の後に、「鳥(チョウ)」と指を插された人Img_8474が、鳥の名前を、即座に応えなくてとならない、ファイヤーの定番ゲームだ。そういれば、最近はやっていないので、いま世代の人達は知らないだろう。復活させるか。

 「昔は、Vの旗も、金メダルもなくて、『ぼんぼり』だったね。」

 ああ、もっと懐かしいアイテムが登場。これを知っているのは、40代以上の方限定だろう。

 ふと隣のImg_8534テーブルで打ち合わせをしている世話役の高校生、大学生世代を見渡す。2、3名を除いて、子ども大会の経験者で、親やおじいちゃんからの引き継いでる子もいる。

 時計の代わりに、木版がなる。モットーに、スタンツに、音なしの時間、追ハイ…、50年以上変わらない風景だ。

 でも、いちばん変わっていなのは、仏法の中味じゃないのかなー。地獄のスライドに、法話の内容、そして分級座談会。弥陀の本願まことにが、次の世代に受け継がれていくことが、いちばんうれしい。

 ここにも、連続無窮のお働きがある。

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お雛さま

Img_8458 2月の週末。Rちゃんと、子どもたちでお雛さまをだしてもらった。

 これは、60年ほど前に、母が嫁入り道具のおひなさまだ。先代からのもので、かなりの年季もの。母は紀州(和歌山)のなので、古いが、豪華なのものだ。ほんとうImg_8459は御殿つきで、 内裏様とお姫さまが二組あるタイプだ。七段かざりに、もう1段、胡蝶の舞までがついてる。しかし、毛氈をひいて台を組み立てて、飾ることはなくなった。場所をとるからである。こうして玄関と、道場の前に並列でならべている。

 すぐに片づけないと娘の婚期が遅れると、よく言われたが、京都では、旧Img_8464暦で祝うところもあって、4月2日まで出しておいて、「桜をお見せしてから、片づければよい」とも言われているらしい。

 でImg_5383も、道場の廊下のものは、講習会までに片づけなくてはならない。しかし、一階は講習会までは、飾っておこうと思っているので、ぜひご覧ください。

 Rちゃんに出してもらいながら、昔は、彼女のお母さんが出して、ちゃっんと七段で飾っていたなーと、子どものころが懐かしく思った。男の子のぼくも、華やかで、なにかうれしかったものなー。

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寒中仏の子ども大会~ボディー・ワーク編~

  創作活動では、久しぶりにボディー・ワークを行った。10年以上前に、仏青でも2日間の日程が、ワークの集いを行ったことがある。今回は、時間の都合で、カラダ使ったワークの中でも、激しいものを中心におこなった。日頃は、それぞれのカラダを中心に、テリトリ(縄張り)を設定しているが、これは度外して、どんどんカラダとカラダを密着していく。身と身をぶつけて、味わっていくのだ。

 一人ずつの準備のあと、2人一組での背中と背中を密着しての挨拶(バックトーク)。次は、3人一組での「地蔵倒し」では、どれだけ相手を信頼できるのか。またカラダをまかせてきた人を、本気になって受け止められるのか。ゲームとはいえ、楽しく真剣で、やればやるだけ気付かせていただくこともある。

 みなさんの様子をみて、大丈夫とふんで、「人間キャタピラー」もおこなった。子どもだけでなく、大人も、付き添いのおばあちゃんもおこなう。寝ころがったみなさんの上を、人間キャタピーラーとなって、踏み越えて通っていくのである。最初は、心理的な抵抗もあるし、体力も使うが、他人の上を転がったり、匍匐前進(いや、全身だな)したりしながら、通り抜ける体験など、日頃はぜったいにありないものだ。

 メーンは、大人も、仏青も、子どもたちも、グループに分かれたの「ケンカみこし」である。自分たちがみこしになって、スクラムをくみ、ぶつかり、みんなともみ合っていく。倒れても、隊形が崩れても、また組み直して、ぶつかっていく。勝ち負けはない。和太鼓のリズムに合わせて、「ワッショイ、ワッショイ」と叫びながら、何度も、何度も、みんなが揉みくちゃになりながら、ぶつかったり、もみ合っていく。ただ、それだけの繰り返しで、息もたえだえ、汗だくになったところで、終了。大の字になってカラダを休めて、みんなで分かち合った。

 いーや、暖房なんかいらないです。カラダが温かくなったら、不思議と心まで温かくなって、小さなことで、ウジウジ考えていたのが、馬鹿らしく思えてくる。そして、心が開いている自分がいたり、とにかく気付かせてもらうことが多かった。心理的な抵抗さえなければ、下手な聞法よりも、自分と出会えるんじゃないかなーと。

 みんな、あとからさまざまに気付かせていただく、貴重なワークとなりました。ほんとうは、普段の法座でも、こんなことやってみたいよね。人間カメラまでは、東京でも広島支部でも実践したことがあるので、またチャレンジしてみよう。

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寒中仏の子ども大会~キャンドル作り~

  第2回の寒中仏の子ども大会も、盛会のうちに終わった。たった2日間だけれども、子どもたちや、参加くださった大人の皆さんとの、距離がグーンと縮まって、別れ際には、みなさんも分かれ難く、温かい気持ちで、いとおしく思えてくるから、不思議だ。

 日頃は、頭(知的)な部分や、心(情)の部分が中心になりがちだが、子ども大会だは、カラダ(身)で、みんながつながっていくからだ。ひとつのチャンネルの知恵だけではなく、頭と、心と、カラダがひとつが一致すれば、けっこう叡知(おおげさだけど)が生まれるのかもしれない。

 子ども、若い人も、大人も全身で楽しんだ。ふたつの自画像を書いたり、キャンドルを作ったり、大きな声をだしたり、カラダをぶつあったり、静かに聴聞して分かち合ったりと、盛り沢山のプログラムだった。

Img_8484 法話も、仏青メンバー(20代の女性ばっかりだった)3名で、「ご恩」について。そのあと、1時間~90分程度だが、分級座談会もあって、深めることもできた。特に、ご恩の三角の絵について、深く味わうことができたようだ。Img_8488

 今回の企画は、K先生のお寺でヒントをもらったキャンドル(ローソク)作り。淡い色づけで、きれいなものが完成した。カラダを使った班対抗ゲームのあとで、キャンドルサービス(燈火の夕べ)では、自分たちの作っImg_8489たローソクで、阿弥陀様からのみ光をいただいた。

 もっとも「キャンドルづくり」の間、運営委員のメンバーと、5月の継職法要法座の打ち合わせがあって、講師や法中への連絡を終えてしまいたかったので、その成果しか分からなかったが、みんな楽しんだようだ。Img_8495

 ちなみに会議の成果もあがり、人選もうまく進んで、こちらも前に進みそうで、ちょっとひと安心。でも、これからがたいへんなので、いわば「たいへん」の始まりにすぎないのだけど…。

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