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機法一体の南無阿弥陀仏

 立春というのに、この冬いちばんの寒波がやってきて、今夜も寒い。2月の夜の法座は、集まりが悪いものだが、今夜は、皆さん、いそいそとお参りくださって、ありがたかった。

 伝道研究会も、安心篇に入って、第2章の「六字釋」がおわり、今月から「機法一体」へ。皆さんも、なんとなく「六字釋」に触れ、少し慣れたところなのに、また新たな章へ。

 とくに、機法というと、よく聞き込んだ方でも、二種深信が浮かんできて、その機と法が一体だと理解されている方もけっこうおられる。「機」といわれると、反射的に、凡夫の本性の機、つまり性得の機(黒い心)、おめあての機、実機と捉えているからで、しばしばここで混乱されていくようだ。

 しかし、ここでの「機」は、南無の機(白い心)である。衆生の信心(機・南無)と、それを救うお働き(法・阿弥陀仏)とが、別々のものではなく、すべて南無阿弥陀仏による他力回向法のすばらしい特色であることを明らかにするものである。突き詰めると、六字は皆機であり、六字は、皆法であるというところまで展開されていくのである。

 今回は、詳細にはいっていく前の総論で、その特色を押さえてきかせてもらった。新たな章に入ったところなので、初参加の方もどうぞ。

 ただし、3月は、華光誌や講習会の都合があるので、お休みせてもらって、次は4月になります。

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