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誕生日

   定期診断で、父を病院に連れて行く。

 小雪が舞っている。運転席の横で、母が言った。

 「ちょうどいまごろ昼2時やったな。こんな雪のチラララ舞う寒い日だったわー」。

 52年前の今日、その時間に、ぼくは、母に産んでもらって、この世の生を受けた。

 ところである。ぼくにとって人生でもっとも大切な日であるにもかかわらず、その日のことを、何一つ覚えないない。いやその日だけでなはい。その後の何年間かは、どれだけ両親を初め、回りの人達のお世話になり、ご迷惑をかけて来たにもかかわず、まったくその記憶がないのである。だから、いま、自分の力で頑張っているのだ。だれにも迷惑をかけずに、一人の力で生きてきただと、うぬぼれているのである。

 しかし、親から「あんたの生まれた時は、寒かったなー」と言われたら、ただそのまま疑うことなく、聴かせていただくことはできる。ぼくが体験しているにもかかわず、一切記憶にないのだか、聴くだけである。しかし、そう疑いなく聴かせていただけるのは、それが親の言葉だからである。そこに、疑うも、信じるもない。ただ親の言うことを、「ああ、そうか」と、お聴かせいただくだけなのである。同時に、親のご苦労、ご恩徳を(ほんの一旦かもしれないが)に、心を寄せさていただけるように育ててもいただいたのである。

 子どもたちから「おめでとう」とのメッセージと、少し手伝ったケーキや、予期していなかたっプレゼントも、もらっえてうれしかった。

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