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『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ~終りなき旅~』

  東映アニメーションが総力(?)をあげて、手塚治虫の大作アニメ『ブッダ』を映画化する三部作の第2弾にあたる、『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ~終わりなき旅~』 を観た。

 で、結果として、たいへん失望した作品だった。

 ぼくの映画批評は、辛口ではない。自分の感性など、それほど頼りにならないと思っているし、自分がよしと思えないだけで、たとえば専門家の異なった角度からみるといいものもある。だから、よく映画好きなのに、「辛口」と評して、酷評しかしないブログなどを見かけると、そんなに嫌ものをなぜ時間をかけるのが理解できないのだ。時間も、お金もかけて、大好きな映画をみるのである。もちろん、ダメな映画や嫌いものもある。しかし、減点方式ではなく、加点方式で評価することが多いし、自分がよいと思えなったところを評価している批評を読むと、感心したりするのだ。

  でも、心底ダメだなー、金返せよ、と思うものもたまにはある。(今年は、早くも2本目だ)。

 簡単なあらすじだが、原理的な苦行主義(肉体を責め抜いた先に、精神の救済があると説く)者である片目のデーパと、未来を予見する力を持った少年と共に、過酷な苦行を実践するシッダールタと、そのシャカ国を憎み、責め滅ぼすコーサラ国のルリ王子とのエピソードが中心だ。結局、その苦行を捨て中道を歩むことを決意したシッダールタは、いのちの限りない連鎖に目覚め、過去にもとらわれることないと悟りにいたる。一方、過去にとらわれて、釈尊の殺害まではかり、他者を傷つけていくルリ王子。彼もまた自らが傷つき、もっとも苦悩するものであることを、深い慈しみで理解することを通して、真実に目覚めたブッダになったところで、第3弾へとつながってく。

 もちろん、これは、あくまでも「手塚治虫」のブッダなのである。史実かどうとか、仏伝がどうとかという話ではない。もし、仏伝を知りたいのなら、最初から見に行かなくていい。その意味では、第1弾は、まだ釈尊だけの物語ではなかったし、釈尊もまだ悩めるシッダールタ時代だったので、架空の人物とのエピソードもそれなりに面白かったなら、それはそれで問題はなかった。

 しかし、今回は、最初からひっかかり連発である。

 まず本筋と違う小さな点を述べたなら、インドの気候や国土の描き方に、違和感があった。シルクロードのような灼熱の砂漠を旅したり、グランドキャニオンのような断崖の谷があったりで、実際の北インドの風景とはまったく異なる。それに、農民の家も、まるで日本のあばら家のような木造建築で、これまた、たとえばいまのスジャータ村の家々もとずいぶん異なるものだ。釈尊が、デーパと共に、苦行する苦行林も、断崖絶壁の場所ではない。インドの建物や風景にも専門家の監修がクレジットされていたが、こんなディテール無視して、いくらドラマテックに演出したとしても、子どもだましのようで、ほくには違和感があった。

 それにだ。釈尊の悟りに導くきっかけになる、予知能力をもった少年が示したことは、自分の死期を予言し、飢えた狼に与えることで、釈尊に、すべての命の連鎖、つながりを自然の理として目覚めさるという、ほんとうにお粗末極まりないのである。こんなものが、釈尊のさとり(たとえば、十二因縁や四諦八正道)と一致すると、理解しているのでだろうか。それで、ただ単に、今日の通俗的な仏教の似せた思想に迎合するだけのものである。

 その上で、いちばん引っかかったのが、肝心要の「成道」の場面がないのである。つまり、真の意味での、ブッダ、目覚めた人に成らないのでは、お話にならない。映画では、苦行を捨て、お粥の供養をうけたシッダールタが、釈迦族を滅ぼしてルリ王を恨む男に、ルリ王こそ、悩み苦しむ身であることを説くのであるが、不思議なことに、そのすばらしい内容を、シッダールタ自身は、無自覚のないままに述べてその違和感に驚いている。すると、天にブラフマン(梵天)があらわれ、「お前はブッダになった」と印可の御告げをもらうのである。これが、映画では、釈尊の目覚めの場面となっている。

 梵天の勧請は、成道後の大切な逸話のひとつで、釈尊が、伝道を決意するきっかけになるものだ。しかし、それはあくまても、悟った内容があまりにも深遠で、煩悩具足の身では理解できないであろうから、このまま涅槃に入ってしまうとされた釈尊に対して、梵天が、法輪を転ことをうながれるのである。自内証の法門といわれるように、釈尊の悟りは、十二因縁を自らが目覚められたのであって、それを外からの権威で印可されるものではないのである。もし、このように解釈されたならば、それは、ブッダ(目覚めた人)とはいえないし、もはや仏教ではない。監修のひろさちや氏の仏教理解のデタラメさ、底が知れされる場面だ。

 見終わり、もしやこればどこかの新興宗教教団(S学会か、R会か、まさか○○科学?)が造ったものかと疑って、クレジットを眺めていた。でも、そんな失礼なことを思ってはいけなかった。「ひろさちや」氏の名前が監修でてきて、さらに推薦は、「全日本仏教会」と、(さすがに浄土真宗はなかったなー。)、伝統的な宗派や教団が名を連ねていたのだ。

 ああ、結局、こんな駄作を造っても、宗派への前売りチケットが確保できるわけである。ちょっとネットで調べただけでも、日蓮宗のお寺が、「1800円のチケットが、特別前売り1000円」と、コマーシャルしていた。やれやれ。

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