さよなら!しゃぶしゃぶ「あり多」
予期せぬ出会いを口々に喜ぶながら、博多しゃぶしゃぶ「あり多」に会場を移す。
出会いもあれば、別れもある。九州支部を支えてきてくださったAさんの名店も、2月からマンション建設によって取り壊され、今月いっぱいで、19年に渡る営業を終えられるのだ。
というわけで、お店に名残を惜しんで、遠く埼玉や京都、また広島からも、同人が集ってこられた。もう少し早くに情報があれば、もっと多くの方が、参戦くださったかもしれない。
今夜は、単なる懇親会ではなく、前半は貸し切りで、急遽、法話の依頼も受けた。
正面には、お名号(蓮如様のお名号)がおまつりされている。
お店のバイトの皆さんも、お座敷に座り、ご法話を拝聴くださったのである。ここでも、何度も家庭法座をもたせてもらってきた。悟朗先生が初めていかれた時には、従業員も、熱心に聞法されていたこともあって、ぼくもよく覚えている。学生バイトさんと一緒に、仏青研修会を開かせてもらったこともある。今は、若い大学生のバイトが中心なので、こんな法話をなど初めて聞かれるかもしれないが、それでも思った以上に、熱心に耳を傾けてくれたのがうれしかった。
聞法の長短や関心もさまざま。しかもこんな御馳走を前にした雰囲気で、ご法話をするのもなかなか難しかったけれど、なるべく平易なお話につとめた。いますぐにどうこうではなく、間違いなくこの聞法の縁が宿縁となって、いつの日がきっと華開くのである。
そういう思いもあって、礼讃文をご讃題に、「つめの砂」の話をした。まさに、受け難い人身を受けられたのは、ガンジス河のあまたある砂の、ほんの片手に一すくいほどの稀なることである。しかも、そのなかで、聞き難い仏法を聞く身になったものは、ほんの爪の先の残るほどの稀なことである。しかも、それもこれも、みな遠い宿縁の催しでないものはないとしたならば、常日頃、文句や不平ばかり言っているこの身が、あまりにも勿体ないではないか。
それにしても、店主のご挨拶は、有り難かった。
このお店の雰囲気も、店主の人柄そのままである。お店のカウンターに立ちながら、在家の身でありなながら、まさに求道者であり、凡夫道即在家菩薩道を歩んでおられのである。
最後には皆さんから一口ずつ、名残を惜しみ、次への飛躍に向けた言葉が贈られた。それが、たいへん温かい、有り難い言葉が連なり、立派な法座のように尊かった。
名残惜しくても、何事も終わる時がくるのは、お釈迦様が豫てより説いておられた仏説、まさにこの世のならいである。しかしそれは、次のスタートなのかもしれない。こうして、お念仏でお店が閉じられたのことで、次にすばらしい飛躍につながるという確信をもって、また杯を傾けたのである。
| 固定リンク