除夜の鐘
大晦日。日本の三大梵鐘の一つである知恩院に、除夜の鐘を聴きにいこうと思い立った。京都に生まれ住んで、52年間。一度だけインドで年越しをしたことがあるが、それ以外は、会館から離れたことはない。年末のお掃除と、1月1日の修正会に向けた準備で、31日は、1年でもっとも忙しい日だったからである。でも、最近は、年越しのお掃除を、他の日にも分散させたので、ちょっと余裕ができた。子供たちも大きくなって、夜更かしも可能になったので、初詣はもちろんいかないが、せめて年越しの夜の京都の町の風情を楽し
もう、というしことになった。
ところが、少し早めに夕食を食べさせたのに、子供たちは、「紅白」をそのまま見ていたいと言い張る。まあ、それも仕方ない。そう言われると、人込みにでるのも邪魔臭くなってきた。それでは、知恩院は諦めて、すぐ近くの東寺に除夜の鐘を聴きにいくことにした。静かな大晦日には、ここまで鐘の音が聞こえることもあるからだ。
23時45分、「紅白」終了を待って大急ぎで東寺まで歩く。ところが、鐘の音は聞こえるが、あっちこっち回っても、どの門も閉まっている。並んでいる車や人もいるし、「初詣」を知らせる看板も掲げているのにだ。でも、よく見ると、開門時間は「午前6時」と書かれていた。どうやら、宿坊への宿泊客以外は、一般に聴かせてもらえず、残念なこととなった。
ところが、鐘の音は意外なところから聞こえてくる。道を挟んだ福田寺というお寺からの響きである。近づいてみると、もうとっくに0時は回っていたが、僧侶がついて、一般の方にも鐘を撞かせているのである。しばらく、子供たちは並んだたが、けっこうな人出で、寒くなって、途中であきられめて帰ることにした。
ああ、結局、今年も心はきれいにならず、煩悩はもったままで、凡夫丸だして生きていくということなんだよね。南無阿弥陀仏
それでも、いつもとは少し異なった深夜の町を散策し、ライトアップされた五重の党を眺めながら、「今年もよろしくお願いします」と子供たちと言葉をかわして、年越しの深夜散歩を楽しんだ。
東寺の門前の言葉 「仏法遠からず、廻心即ちこれなり」
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