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2014年1月の21件の記事

「もったいないものなー」

 おばあちゃんが、久しぶりに子供たちの好物のハンバーグを作ってくれた。おふくろの味ではないが、おばあゃんの味が、二人は大好きだ。

 「おばあちゃんのハンバーグ、ちょうどいい焼き加減やんやな。おいしいわー。」と、上の子は、ほんとうにうれしそうに、声をだして御礼を言う。

 ちょうど育ち盛り、食べ盛りで、飛躍的に食欲が増しているのもあるが、ぼくが作ったちょっとしたものでも、喜んでおいしそうに食べてくれるのだ。しかも、ただおいしそうに食べるだけでなく、ちゃんとそれを口にだして、「この炊き具合がいいわ」とか、「お父ちゃんの作るパスタは、固さがちょうどいいねん」とか、とにかく自然な形で、口にだしてくる。

 先日、法座に向かう朝のこと。おいしそうなライ麦入パンを買ってきた。ただトーストにしただけなのに、「アメリカではトースト食べなかったので、久しぶりやナー。わー、これおいしいで、お父ちゃん!」と、また言ってくれたのだ。

 もし上手としても、言われることはうれしい。第一、それが身について自然なのはよくわかる。でも、ちょっびり子供にしては無理してないかが心配にもなってきた。それで、

 「あんた、無理してないか。別に上手やったらいいで。」

 「ううん、ほんまにそう思うねん。それに言わなかったら、なんか『もったいないやろう』」

 ああー、これは子どもに完全にやられました。「おいしい」「いいな」「ありがとう」と感じたら、それを素直に口に出して相手に伝えていく。すばらしいことじゃないですか。

 これは今生でも、仏法でも同じだなーと。どこかで、言わなくても、察してもらえる、分かってもらえる、口に出すほどのこともないと思っているかもしれないが、「有り難いな」「もったいないな」と感じているならば、恥ずかしがらずに声に出していくことが、仏法讃嘆ではないのか。実は、そうしないことが、ほんとうに勿体ないことでもあるのだろう。

 「へえ、あんた、えらいなー」とほめたら、すかさず下の子が言った。

 「私はどうや、、、。うん、私は好き嫌いが多くて、すぐ嫌いと言うけど、、」

 確かにな。でも、それもまたすごく子供らしくて、ぼくは大好きなのだ、と。

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おまけ

 盛り上がっていた「あり多」の宴会場は、いつのまにかAさんを中心にご示談がはじまっている。心が頑になっている方に、なんとか聞いてもらいたいとのお心である。同時にちょっと重苦しい雰囲気もあったので、トイレに立った。廊下で雑談中のお仲間をみつけて、こちちに合流。まあ、世事のこともあれこれ話すのことがある。いや、聖人と違って、もう世事と他言しかないのである。次の週末は、東京法座だが、それが終わってから、所用で横浜に立ち寄る予定があるので、横浜のお店をあれこれ教えてもらっていた。

 ふと見ると、廊下に終了セールで、器が大安売りしていた。昔もので、機械ではなく、手書きの品である。それがなんと「100円~」からという。みんなが熱心に関わっている隙をついて、目ぼしいものをいただくことにした。酔っぱらった勢いで、「100円から」の「から」を強引にとって、「100円」にして、少しだけ色をつけて購入した。まるでインドでの買い物である。実は、自分では、5枚を1,000円で買ったと思っていたが、帰宅してみたら、入れた思いのないものあって、それよりも多かった。いや、どうもです。Aさん、皆さん、ありがとう。大切に使います。
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御馳走三昧と念仏三昧

Img_8284  「あり多」のお店の雰囲気や店主のことばかり書いているが、肝心のことが抜けている。

   もちろん、料理もうまい!のであるImg_8280

 今回は、飲み放題、食べ放題の、例の「無量」コースを、華光同人向けのスペシャル価格で提供くださっている。

 もちろんメーンのしゃぶしゃぶ以外もそうだが、突出しやお刺身も、Img_8283新鮮でおいしい。このあたりとは、九州博多である。海のものも、山のものも、新鮮でおいしい。

 B級グルメの博多名物の「酢モツ」も出たImg_8295。(華光誌の新年号の九州支部の年賀交換欄参照)。

  ここのしゃぶしゃぶの秘伝のタレがいい。普通は、ポン酢味が人気なのだが、ここのゴマだれは、ブレンドされてたいへんうまい。

  最初に、訪れたときに、別れ際の博多駅で、一升分3本分のタレを突然わたされて、その大荷物に困ったことがあった。それでも博多から担いで帰るだけの値打ちはもちろんある。

   お酒は、もちろん「五郎」である。しかも今回は、悟朗先生の長寿を願って(真宗じゃないけどね)、「亀五郎」でひとり乾杯し、特製の雑炊で〆た。

  閉店前にいくらほめても意味ないように思われるかもしれないが、ご安心あれ!

  この場所は取り壊されるが、道を隔てた向いのビルの1階で、場所の都合で、かなり規模は縮小されるようだが、リニューアルした「あり田」として再開されることになりそうだ。

  その大切なお店の題字を頼まれた。店主にはお世話になっている。その上、光栄なことはなので、喜んでお引き受けした次第である。

Img_8299  さてさて、翌日のお昼も、博多らしいものということで、長浜ラーメンをご馳走になった。夜には、屋台が並び場所だが、ここは昼間も空いているお店だが、回りは、「元祖、長浜屋」だらけである。ここも長蛇の列だったが、後ろで、Sさんが「大分で、こんな並んでラーメンを食べることはない」とブツブツ言っている。並びのが苦というより、寒いのである。土曜日は温かかったので油断した。日曜日は、Img_8301急に冷え込み、しかもここは日本海からの海風が冷たい。

  京都のラーメン店も行列のできるラーメン屋も多いが、ぼくは一人なら、まず並んで食べることない。しかも、みんなで寒い中でも、ワイワイと楽しかった。地元の方にならって麺は硬めの「バリカタ」で注文する。細麺で、ブタ肉、見た目よりもずっとあっさりした澄んだトンコツ味。Tさんは唯一替え玉して、大満足のご様子。

  結局、遠方組は、最後になる「しゃぶしゃぶ」につられ、そして長浜ラーメンにつられて、ついでに聞法するというのであるから、本末転倒もいいところ。それでも、仏とも法ともない身が、おまけにつられて(まあ、こちらがメーンとも思っているが)、お念仏させていただけこることが尊いのである。

  というわけで、Y家に戻ったあとは、線香を立て燃え尽きるまで、みんなで、声を響かせて称名念仏させていただいた。父とのチャンパラごっこにつられて、お念仏のご縁をいただいた、ぼくの幼少期に習ったわけである。

  幼きときも、老いたるときも、その性根は変わっていないということである。でも、それを逃さない南無阿弥陀仏こそが、尊いのである。

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さよなら!しゃぶしゃぶ「あり多」

Img_8265_2 予期せぬ出会いを口々に喜ぶながら、博多しゃぶしゃぶ「あり多」に会場を移す。

 出会いもあれば、別れもある。九州支部を支えてきてくださっImg_8267_2たAさんの名店も、2月からマンション建設によって取り壊され、今月いっぱいで、19年に渡る営業を終えられるのだ。

 というわけで、お店に名残を惜しんで、遠く埼玉や京都、また広島からも、同人が集ってこられた。もう少し早くに情報があれば、もっと多Img_8269くの方が、参戦くださったかもしれない。

 今夜は、単なる懇親会ではなく、前半は貸し切りで、急遽、法話の依頼も受けた。
 正面には、お名号(蓮如様のお名号)がおまImg_8268つりされている。
 お店のバイトの皆さんも、お座敷に座り、ご法話を拝聴くださったのである。ここでも、何度も家庭法座をもたせてもらってきた。悟朗先生が初めていかれた時には、従業員も、熱心に聞法されていたこともあって、ぼくもよく覚えている。学生バイトさんと一緒に、仏青研修会を開かせてもらったこともある。今は、若い大学生のバイトが中心なので、こんな法話をなど初めて聞かれるかもしれないが、それでも思った以上に、熱心に耳を傾けてくれたImg_8270のがうれしかった。

 聞法の長短や関心もさまざま。しかもこんな御馳走を前にした雰囲気で、ご法話をするのもなかなか難しかったけれど、なるべく平易なお話につとめた。いますぐにどうこうではなく、間違いなくこの聞法の縁Img_8274_3が宿縁となって、いつの日がきっと華開くのである。

 そういう思いもあって、礼讃文をご讃題に、「つめの砂」の話をした。まさに、受け難い人身を受けられたのは、ガンジス河のあまたある砂の、ほんの片手に一すくいほどの稀なることである。しかも、そのなかで、聞き難い仏法を聞く身にImg_8277なったものは、ほんの爪の先の残るほどの稀なことである。しかも、それもこれも、みな遠い宿縁の催しでないものはないとしたならば、常日頃、文句や不平ばかり言っているこの身が、あまりにも勿体ないではないか。

 それにしても、店主のご挨拶は、有り難かった。
 このお店の雰囲気も、店主の人柄そのままである。お店のカウンターに立ちながら、在家の身でありなながら、まさに求道者であり、凡夫道即在家菩薩道を歩んでおられのである。Img_8272

 最後には皆さんから一口ずつ、名残を惜しみ、次への飛躍に向けた言葉が贈られた。それが、たいへん温かい、有り難い言葉が連なり、立派な法座のように尊かった。

 名残惜しくても、何事も終わる時がくるのは、お釈迦様が豫てより説いておられた仏説、まさにこの世のならいである。しかしそれは、次のスタートなのかもしれない。こうして、お念仏でお店が閉じられたのことで、次にすばらしい飛躍につながるという確信をもって、また杯を傾けたのである。

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福岡家庭法座

 福岡Y家の家庭法座。

 初日昼座は会計事務所、夜座はしゃぶしゃぶ「あり多」、そして翌日は、Y家自宅と、会場を移動しての法座となる。しかし、単に、会場が変わるというだけに留まらず、その場所ならではの特色が出て、そこでしか出会えない方が、法座に座ってくださったことが、なんとも尊かった。

 まずは、天神にある会計事務所が会所。今回は、九州支部だけでなく、広島組に、埼玉や京都からのお参りもあって、新鮮な雰囲気である。加えて、初めて連れ合いとご一緒くださった方、会計事務所の「ニュースレター」の案内をご覧になった初参加もあった。その初参加者に中に、なんと故大沼法龍師のお子様がご参加くださっていたのだ! 座談会での発言が、到底、初参加者は思えない的を得たもので感心していたら、案の定、深い仏縁のある方だったので、皆さんも、とても驚かれていた。

 以前、このブログを通じて、広島在住の三戸独笑師のお嬢様ともご縁が出来たことのである。残念ながら、その方も、昨年、高齢でお亡くなりになられた。大沼師が亡くなったのは昭和50年代。伊藤康善先生のご逝去6年後のことで、比較的に最近の方だといっていい。だから、お子様方もまだお若い。ご生前は、直接の交流は盛んではなかったが(過去の華光誌の年賀交換にはお名前出でいるが)、別のお子さまのお寺に、悟朗先生が布教に出られてご縁を結んでくださっていた方もあるし、お孫さんが、仏の子供大会に参加くださったり、また大沼師の敬行寺には聞法旅行でもお参りさせてもらい、たくさんの著書を贈呈いただいことがあったりと、あながちまったくご縁がないわけではなかった。もちろん、大沼先生のご縁から、華光にお出でになった方もこの九州法座にもおられる。伊藤師と同じ庶民的体験派の先達として、尊いご因縁のある大先輩なのである。

 ちなみに、三戸独笑師は広島にあって赤裸々会館(戦火で廃墟に)、大沼法龍師は福岡に親鸞会館、そして、伊藤康善師の流れを汲む増井悟朗師が京都の華光会館と、それぞれ寺院ではなくて、「会館」という名の念仏道場を展開されているのが、面白い。

 とにかく、会計事務所のニュースレターをご縁にした不思議な出会いに、興奮気味で、博多しゃぶしゃぶ「あり多」に移動していた。

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発送作業

  今週は、ひたすら書類やチラシ造りに専念した。華光誌などの編集レイアウトは専用ソフトでRちゃんにまかせているが、いくつかは、まだぼくの「ワープロ」由来の「OASYS」というソフトで、不自由しながら作っている。来年からは、これもお願いしていくことになろう。

  総会報告のための「同人会ニュース」は、同人会本部全員の一言集も掲載。限られた紙面に皆さん少しずつ長くなって、文字ばっかりになって、写真がいれられなかったのは残念だが、けっこうその人なりのものがあらわれてきます。

  遅ればせながら、「14年年間行事案内」も作製。いやはや、今年も週末の土曜・日曜は、ほぼフル稼働。そのわりに、華光会はなかなかたいへんで、まさに貧乏暇なしだー。

  3月に担当する「講習会」案内チラシも作製。「歎異抄の世界へ」と題して、法語篇の前半(序章から4章まで)を2日間で味わい、皆さんと分かち合いたいと思っている。ご案内をご覧いただくと、きっと参加したくなるんじゃないかと、少し力を入れて作った。

   いつもは、同人(華光会員)だけへの発送だけれども、今回は、華光誌定期購読者に向けて、「同人会入会のお誘い」の文章も合わせて発送した。この文章もいろいろと考えたが、一人でも、華光会のお仲間が増えますように…と。

  もちろん、「2月の法座案内」が同封されているし、「仏青だより」という形で、『悟痰録』の輪読の感想集も入っているが、こちらは仏青で作られたもの。

 ぼくの作製の作業は終わったけれど、事務所では発送作業が続いている。同封物が増えたのに外部に発注しなかったので、けっこうたいへんな作業となった。

 文章を考え、レイアトウに苦労し、そして印刷や発送にと、ほぼ1週間がかりの仕事だが、読み手側にとっては、ほんの十分ほどで一読できるのだろう。もしかすると、その後は、そのままゴミ箱に送られるかもしれない。大方の雑誌やチラシはそんな扱いも受けたいるのだが、それでも、一読でもしてくださると信じて、丁寧に発信し続けることに意味があるのだと頑張っている。お手許には、月曜日以降に届きます。またご意見をお寄せください。

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広島支部法座

 1月の広島支部法座。

 深夜から雪だったので、交通を心配していたが、朝は晴れて、一安心。それでも、京都市内にも、うっすら雪は残っているので、新幹線は影響を受けて、若干遅れた。

 例年、1月の広島法座は廿日市市で開かれる。が、今回は安芸区にお邪魔する。こちらの方面にはあまり来ることはない。

 報恩講の次週だったが、お参りは多い。しかも、初めての出会いもあったが、若き時から浄土真宗のご聴聞をされてきた方で、「やっとここに出会いました」と喜んでくださっている。座談の時の一言で、その聞きぶりも的を得ていて、これからが楽しみな方に出会えて、うれしかった。

 まだまだ報恩講の余韻が強くて、法話は、「聖人の三つのご持言と、ご遺言」を、もう一度お話した。報恩講には、広島からの出席が多くて、少し迷ったが、半数以上の方には復習を兼ねてということで、最初という方にもお伝えしたい内容だったからだ。

 二席にわけ、聖人の90年のご生涯-お誕生~比叡山時代~吉水時代~越後流罪時代~関東布教時代~そして京都著述時代と晩年~を振り返りながら、このお言葉をいただくと一層、その意味が明らかになってくる。法然聖人との出会いは当然だが、そのおこころが発揮されてくるのは、ご流罪が大きな分岐点となってくる。そして、発展途上の関東へのご布教によって、ますます非僧非俗のお心か明らかになってくるのが、お言葉の上からも明らかになり、また尊かった。

 かなり力を入れてお話したし、座談会も、皆さん活発で、ザーッと一巡しただけで、時間切れとなった。盛り沢山過ぎて消化不良になるかもしれないけれど、プリントを配布しているので、ひとりでも繰り返し味わっていただきたいお言葉だった。

 法座を終えて広島駅まで戻ると、あっちこっちで男子駅伝の選手たちの姿がある。

 昨年は廿日市の会場で駅伝を見たことを思い出す。あれから、もう1年ということ。しかし、遠い昔のことのように思えるのだが、きっと毎日が慌ただしく過ぎているからだろう。

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輪読法座~法座は「有り難い」

 1月の華光誌輪読法座。

 ぼくの誌上法話「許されて聴く」を読みすすめる。前半の部分は、1年前にご往生されたI先生の話題からだ。昨年の報恩講の初日の朝に、飛び込んだ訃報だった。あれから1年か。月日の経つのは早い。

 いまの華光に集う人達は、京都で活躍されていた頃のI先生を知らない方が多い。しかし、私が「知っている、知らない」に関わらず、先生が、仏法のために活躍された功績と、今日、私がここで聞法できるための大きなご恩徳があったことは、事実なのである。

 つまり、私が「知っている、分かっている」と思っているおかげなど、ほんとうに氷山の一角も一角。それでも、私は、ほんの一かけらに触れただけで、すべてが分かったとうぬぼれている。それでいて、如来様のご恩徳が「感じられない」などとほざいているのだから、ほんとうに無明とは、よくいったものである。無明の一番おそろしいところは、自分が無明であることを知らないところにある。ソクラテスの「無知の知」ではないが、無明が無明であることが知れるのは、真実の光明にあったおかげなのだ。

 日常生活ひとつ、法座活動ひとつ、おかげやご恩でないものはない。それは、如来様の命が捨ててあるのだけれども、そのことに心を馳せながら、ご法座に座ることがあるだろうか。当たり前のように、自分のお金や力で来たと思い、その元を取りたい。そのために、有り難い法話を求め、珍しいことや知らないことを教えてもらい、何かを得て帰りたいと願っているのだから、まさに轉倒(てんどう)しているのである。

 法座がもたれること自体、その場に連ねさせてもらえる自体、私の口から「南無阿弥陀仏」とお念仏申させてもらえること自体、何ひとつとっても、当たり前のことはなく、踊躍歓喜するほどのことなのだが、みんな当たり前と思っている。ましてや、廃立の関門を超えさせてもらったことをや、である。ほんうとにもったいない、有り難いことですね。南無阿弥陀仏。

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自転車泥棒? 

 夜、真宗カウンセリング研究会の、26年度(つまり4月以降)の活動パンフレット製作のために、龍谷大学深草学舍へ。

 世話人も壮年・実年となり、それぞれ本業が忙しかったり、介護などの家族の問題でたいへんだったり、健康面の不安があったりと、皆さん、ここが専業でないだけに、プログラム維持だけでも、厳しい状況にあることがわかった。それでも、ご縁がある限り、現状維持と、何かひとつでも新しい企画案も出され、なんとか実現できればと願っている。ぼく自身も何かあると皆さんに助けてもらわなければならい身だが、それでも、広島での真宗カウンセリングWSと、毎月の月例会の世話人だけは、なんとか維持をしたい。

 あまり元気のでない会合もおわり、人気のないキャンパスを横切り、駐輪場に戻る。さて帰ろうと自転車に乗って、ライトをつけようとしたら、

 「あれれ ライトがない!」

 瞬間、頭が混乱する。来るときは点けてきた。置いたときに消灯もした。クロスバイクなので、鍵やライトなどは後付けで、ハンドルのところに据えつけるタイブを使っていた。盗まれたことに気がつく。もしかすると、自転車そのものが狙われたもののワイヤの鍵がきれずに、ライトだけをもっていかれたのかもしれない。

 これまで、自宅の駐車場で1度、路上で1度、2度も自転車を盗まれたことがあるが、いずれも鍵を忘れていた。ライトだけ盜られたのは、初めてで驚いた。けっして高いものではないが、がっかりした。これが、一般の駐輪場なら、ついていないことを嘆き、犯人に腹を立てるだけだろうが、場所が場所だけに、ショックである。入り口の向いには、警察学校の出入り口がある。もちろん、外部からの侵入者かもしれないが、学生の仕業の可能性があるのも確かだ。

 それで思い出したが、ぼく自身ではなかったが、家族が、大宮学舍で、一瞬、教室に置き忘れられたサイフを置き引きされた。すぐに警察に被害届を提出にいったが、後日、ゴミ箱にサイフと免許証だけが入って発見される被害にもあったことがある。

 別に龍谷大学の学生(外部の犯行の可能性はゼロではない)といっても、まったく世間と同じなのだが、それでも、母校だけにモヤヤモが増し、悲しいような複雑な気分を抱えて、帰宅せざるえなかった。

 今夜は、寒さが身に染みるなー。

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親鸞聖人の三つのご持言とご遺言(1)

 報恩講では、大原性実博士の小冊子にあった親鸞聖人のご持言(常の仰せ)と、ご遺言を頂いてご法話させてもらった。

「常の仰せ」とは、親鸞聖人が、常に言っておられた口癖のような法語というか、味わいのお言葉で、聖人自身が直接書いておられないが、近くにおられた家族やお弟子の耳に残っていたお言葉である。 『歎異抄』の唯円房だったり、曾孫にあたる覚如上人だったりするのだが、有名な「仰せ」もあるが、ここでは「常の仰せ」というご文三つを取り上げた。

 まず最初は、『改邪鈔』にある有名なお言葉。

つねの御持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥の定(じょう)なり」と云々。  (『改邪鈔』覚如上人) 

 有名なわりに、お参りの半数ぐらいの方は、初めて聞いたとおっしゃっていたが、賀古とは、現在の兵庫県加古川市のことで、いまも教信寺には教信上人の墓所があり、念仏道場の痕跡を残している。実は、聞法旅行でも訪れて(みんな忘れていたが)、このブログでも、昨年の5月に取り上げている。それで、教信上人のことは以下にも書いているが、重複するが、もう一度触れておこう。
 http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/5-24b5.html

 教信沙弥(しゃみ)は、もとは興福寺の学僧だったいわれるが、諸国を遍歴の後、播磨国賀古(かこ)の駅(うまや)(兵庫県加古川市)近くに庵を結び、教典も仏像も安置せずに、西に壁を設けずに、ひたすら称名念仏し西方浄土を願ったという。髪も剃らず、妻を娶り、子と共に生きる沙弥(しゃみ)として、もちろん権力や大勢とも無縁で、市井にあって、人々の荷物を担いたり、農作業を手伝うなど利他を行い、自ら称名念仏するだけでなく、人々にもお念仏を勧めた在野の念仏者である。それで人々から、「荷送の上人」とか、「阿弥陀丸」と呼ばれていたという。Img_0190_2

 阿弥陀如来の信仰に生きた人々の行実を集めた『日本往生極楽記』や、『今昔物語』に紹介されている。特に、その終焉は有名な逸話である。

 八六六年八月十五日、勝尾寺(大阪府箕面市)の僧・勝如(しょうにょ)の夢枕に教信が立ち、「念仏により極楽往生を遂げた」と伝えた。弟子を現地に赴かせて確かめさすと、教信の屍は野にさらされ、群犬にその体は食われていたが、首から上は無傷であったという。
 その説話を今に伝えるべき、教信上人の頭像が、開山堂に安置されている(聞法旅行の時に、写真も撮らせていただいた)。

 親鸞聖人だけでなく、永観律師や、特に一遍上人は深く追慕されている。

その親鸞様のお言葉を受けて、覚如様は、以下のように記されている。

つねのご持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」と云々。(略)…愚禿の字をのせらる。これすなはち僧にあらず俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと云々。これにより、「たとひ牛盗人とはいはるとも、もし善人、もしは後世者、もしは仏法者とみゆるやうに振舞ふべからず」と仰せあり。 

 聖人の愚禿のおこころ、非僧非俗の行き方のお手本は、この教信沙弥にあったといっていい。

 親鸞様の『教行信証』は、世界的な、時代を超えた哲学書といってもいい内容で、どうしても、現代の人達は、頭の世界、学問から真宗に入っていく。しかし、聖人の教えを聞いていた当時の大半の人は文盲であったのだろうが、それでも、聖人のみ教えは、一文不知の群萌へ「南無阿弥陀仏」の声として広がっていくのである。それは、単なる学問、理屈で通る教えではなく、まさに凡夫の身にかけてしか伝わらない、イキイキとした生活に根ざした教えだったからだ。

 その意味では、聖人のご恩徳は、単なる弥陀の本願を明らかにされただけでなく、そのお目当ては誰にあるのかを、聖人自らが、流人となり、肉食妻帯し、まさに愚禿として、非僧非俗を生きて示してくださったところにあるのではないか。煩悩具足の泥凡夫が、煩悩具足の泥凡夫のまま救われていく道を、聖人が身をかけて教えてくださったのである。だから、聖人の示されたお念仏は、いま輝き生きているのである。

 また、同じく聖人の遺言といっていいお言葉として伝えられているのが、

某(それがし)閉眼せば、賀茂河にいれて、魚にあたうべし 『改邪鈔』

Img_4185という、これも有名なお言葉だが、明らかに教信沙弥の影響があると思われる。

 覚如さまは、このご文を引いて、葬送一大事の当時の風潮を戒められている。この厳しいご遺言といっていいお言葉を、いま、都合が悪いことがあると、すぐに「非僧」であることに逃げながらも、まったく「非俗」のである姿を示すことができないまま、葬儀や法事に明け暮れている現在の真宗僧侶は、どう頂くべきであろうか。現実をみれば、まったく耳の痛いお言葉だ。

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報恩講でお力をいただく

   親鸞聖人のご恩徳を詳らかにし、そのご遺徳を讃仰して、御恩報謝の志を運ぶ、華光会の御正忌報恩講も、お念仏の声と共に、盛会の内に終えることができました。役員やお世話の皆様、またご講師の先生方、ありがとうございました。今回は、まだご縁の浅い、初リーダーのNさん、Uさんというシルクロードを一緒に旅したお二人がタッグを組んで、ご苦労くださいました。お疲れだったと思いますが、おがげで無事に終えることができしまた。

 ご法話も、30代の先生から始まり、ぼくも含めた4名の先生方が、一貫して繋がった、尊いものであったという声を、皆様からいただきました。ぼくの最後のご法話も、親鸞聖人の三つのご持言と三つの遺言の御文にあたらせてもらって、ぼく自信も大きな気付きをいただきましたので、このことは、これからひとつひとつ味わっていこうと思います。

 冒頭のご法話にあった「大乗の至極」とは何か?という問い。ぼくなりに、大乗の(在家)菩薩道と、私が歩む凡夫道が、「即」で繋がる浄土真宗こそが、大乗菩薩道の究極である法蔵菩薩のおこころが、私の上に、自利利他円満、大智大慈の究極である「南無阿弥陀仏」として、いままさに生きて展開されている精神について触れさせてもらいました。

 特に、華光会に流れる「同行学」の精神は、僧俗関わらずご法義が相続される姿は、在家示同を歩まれた親鸞様の歩みそのものであり、ますますの華光でのお同行の頑張りを促したところ、全体会では、たいへん力強い宣言となり、さらに、さっそく娘さんに仏法を聴いてもらいたいというる同人からの問合わせで、今月末の家庭法座が実現するという、うれしい動きに発展していきました。いや、話が話で終わらず、一歩踏み出して実現していったところが、たいへん尊く、うれしかったです。

 信一念という廃立は外すことのできない尊いお示しですが、それは、この命が尽きるまで、ほんとうの意味で菩薩道としての出発点ではないのか。求道が成道となり、伝道と続くのだけれども、決して、信一念は卒業でも、仕上がりでもない。浄土往生のその日まで、私の伝道が同時に求道とならねばならないのではないか。その「道」を南無阿弥陀仏と共に、この私一人のために、親鸞様がその90年のご生涯を、凡夫の身となって、私に教示してくださっているのだと味わいました。

 まさに、華光の「道場」に親鸞様が影向されて、お力を添えてくださったという思いがしました。今回の法縁を通じて、特に最後のご法話と全体会の中で、目には見えないけれど、大きなお力を感じ、これからも、ぼくの凡夫道を、お念仏と共に歩んでまりいますと、宣言させてもらえました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

 わが歳きはまりて安養浄土へ還帰すといへども、和歌の浦の片男波のよせかけよせかけ帰らんがごとし。一人居て喜はば二人と思ふべし。二人して喜はば三人と思ふべし。その一人は親鸞なり。
  われなくも法はつきまじ和歌の浦
     あおくさ人のあらんかぎりは    (『華園文庫』御臨末之御書)

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『ブランカニエベス』

  昨年の映画は、ポーランド映画(『ソハの地下水道http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-5b3d.html)に始まって、フランス映画(『ファイヤー by ルブタン』)で終わったけれど、結局、145本を映画館で観て、自宅で観たものを合わせると、年間177本の映画を観たことになる。けっこうな本数だが、ここ数年間では一番のペースダウンで、特に、9月以降が減ったのは仕方ないところ。それでも、これだけ見に行けたら、御の字だ。

 今年も、正月の出端をくじかれたが、本年最初は、スペイン映画だ。なぜか、新年は、ヨーロッパ映画から始めることが多い。

131207 『ブランカニエベス』は、なんとも心の残る不思議な一本。ブランカニエベスとは、スペイン語で「白雪姫」のことだそうだ。でも、なんだ、このラストの終わり方は、、、。「エー、もしやここで終わるのか。そんなのないよね。終わらないで~」という感じなのだが、結局、あの涙はなんだったのかと、後々までも胸が締めつけられる気がするのだ。

 モノクロで、しかもサンレントという、復古調ながら、なぜか斬新の感じがして、途中から、グングンと引き込まれていく。このスタイルは、アカデミー作品賞受賞の『アーティスト』の二番煎じぽいが、こちらのほうがサムシングがある。ちなみに、昨年のキネマ旬報の洋画1位は、やはりモノクロの『ニーチェの馬』(ものすごい重厚、かつ静謐な美しい作品で、天地創造(7日間の逆バージョン?)的な、寓話的色彩をもって、モノクロながら映画館の大画面で見ないと意味ないよなーという作品。でも地味といえば地味で、読者選出には10位以内にランクインしていない)、それが一位だと驚かされたが、デジタルへ完全移行を前に、この手の復古的で、斬新な作品が評価さるのも、皮肉のようであり、また必然のような気もするが、その意味では、この映画もそうだ。しかも、ここで取り上げられるのが、グリム童話であり、ディズニー映画でも有名な『白雪姫』のオマージュだ。日本でも、「かぐや姫」の斬新なアニメが評判を呼んでいるが、皆がよく知っている物語。

 京都シネマのあらすじ解説には、、

 天才闘牛士のカルメン。
 
彼女が生まれると同時に母は亡くなり、父は意地悪な継母と再婚。カルメンは邪悪な継母に虐げれれる幼少期を過ごす。ある日、継母の策略で命を奪われかけた彼女は、“こびと闘牛士団”の小人たちに救われ、「白雪姫」という名で彼らとともに見世物の巡業に出る…。

となっているが、ある意味、よく知られた物語に、スペイン映画という特色-フラメントと闘牛、さらにその時代背景も加えて、完全に換骨奪胎。よくよく知られた寓話が、大人の作品として、斬新な解釈がなされて、スリリングに展開し、そして、あのラストへと続きます。久しぶりにゾクゾクしましたね。

  まったく余談ながら、映画の途中で、劇場の照明が急に点いて、「おわび」にと、次回の無料招待券をいただいた。この程度で、けっこうラッキー。映画の途中のトラベルは、年間1度くらいは必ず遭遇するが、無料招待券がでたのでは、これで2回目だ。昨年も、同じ京都シネマで、『スティーブ・ジョブズ、1995』のスタートから、やり直しになるトラブルで、かなり待たされたのに、その時は、単なるお詫びの言葉だけだった。この基準はなんなのかね。ぼく的には、今度は軽症だったのになー。みなみ会館では、次回の割引券がでるだけで、劇場が違えば、また同じ劇場でも、スタッフが違うと対応が違うのかなー。

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御正忌報恩講のご案内

Img_8194  おみがきや掃除、Rさんとの打ち合わせと、明日からの報恩講の準備が進んでいる。

  蓮如様の御文章には、「七昼夜のあいだ」とあるが、華光会の報恩講は二日間の行事だ。親鸞聖人のご遺徳を偲び、報恩謝徳のお念仏を申すのであるが、単なる法要や儀式だけの場ではない。ひとりひとりが、我が信やいかに、他が信やいかにと問う法の場である。その意味では、常日頃の法座のお心とは、何も代わりはないが、皆さんと一緒に、親鸞聖人のご遺徳を偲び、「お正信偈」を唱え、共にご聴聞し、お念仏申させていただく。そして、各々がの慶びを語り合う場です。どうぞ、奮ってご参集ください。

宿泊などが不要な場合は、当日参加も可能ですが、事前にお申し込みくださると助かります。

  ご法話は、ぼくも含めて4名の先生にお願いしたが、福岡からも2名お出でくださる。

日時=1月12日(日)昼13時30分~17時(法要・法話・信仰座談会)
                          夜19時~21時30分(法話・信仰座談会)

        1月13日(祝)朝9時~12時(法話・信仰座談会)
                           昼13時30分~16時30分(法要・法話・座談会)

  いつもの見慣れた看板のようだが、悟朗先生の書は変わりないが、それを印刷版にして、日時だけを替えて使用できるように、Rさんが工夫してくださったもの。

  詳しくは、華光会HPをご参照ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2014/detail/01/hoonkou2014-1.htm

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病院

 年始から連続で病院通いが、日課になっている。

 といっても、自分自身は、元気である。母の検査の付添いだったり、父の定期診断だったりと、病院もあっちこっちいった。

 今日は、父の定期診断で市立病院へ。11時から予約である。しかし、年末年始の休みあけということもあって、駐車場から長蛇の列だ。

 そこへ、検尿ひとつさせるのもたいへんで、けっこうイライラ。まあ、自然なものなので、急かせてもいけないのはわかるけどね。さんざん待たされて、診察は5分もかからず終了。しかも、薬局に行くと、処方箋が違っていて、ここでもまたかなり待たれ、その上、次回の予約の時間も違うって、訂正があるわで、さんざん。診察室の前では、「なんのための予約なんだ」と、くってかかっている患者さんがいるほど、病院側も大忙しだったが、気をつけてもらわないとね。

Img_8196 往復の送り迎えを含めると、半日仕事(6時間)仕事でも、診察はたったの5分で、前月と同じ内容を確認するし、同じ薬がでるだけ。父より、病気じゃないぼくの方が疲れました。

 あんまり時間がかかったので、病院内で昼食をすませる。むかしの大病院の食堂は、うす闇かったが、いまは、ドトールと併用された明るいカフェテラスで、メニューもこんな感じ。オムカレーにしたけど、お値段も普通のカフェ並。父は、あいからず寡黙に食べているが、食欲は旺盛で、からだは元気なようで、一安心。

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初自力

 年末年始にかけて、予期せぬことがつづいて、けっこうハードだったが、子供の笑顔と 昨日からは事務所も開いき、またショートステイも始まったりして、環境的にも、ちょっとホッコリした。

Img_8187 体調管理のために、予定を早めて自力整体に行く。

 からだは正直だ。

 疲れていたり、心配事や不安があると、動きにもひっかかりがある。でも、呼吸やカラダをうまく使うと、心も変わってくる。カラダや姿勢で、こころや気持ちもコントロールできるのだ。 今朝は、寒くて、特に腰が固かったが、関連する違う部位をほぐすと、あら、不思議。腰もやわらかくなってImg_8189前にも倒れやすくなる。ゆったりした動きと、呼吸で、気分も爽やかになった。

 ここでの自力とは、然治癒のことで、計らいこころ、疑いこころではない。教室のメッセージにも、「動いてみると自分がわかる」とあったが、むしろ、凡夫の小さな計らいや、心配、クヨクヨなどとは、対局にある世界を言っている。

 2月で12年目に入るが、今年も、カラダ貯金と思って、コツコツ続けていこう。

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たこやきパニック

  本願寺をあとに、まだ混雑しているショピングモールに買い物に行く。

Img_8160 お年玉がわりに、おもちゃや欲しいものを買うことにしたが、母親の強い要望で、DSなどのTVゲーム系は、絶対に不可。高校生になって、自分のお小遣いを貯めるまではダメだというのである。上の子はあきらめているが、下の子、不満らしい。といって、なにかゲームが欲しいが、ボード系のゲームは、これまでいろいろ買って、今回は、特にほしいものはなかった。それより、中学生になった上の子は、本や服のほうが、ずっとうれいしらしい。当たり前だー。けっこう大人びた本や服を買って、満足していた。

それでも、下の子は、おもちゃがあきらめきれずに、こんなものを買った。でも、これが案外、面白い。第一、すぐにすむ。事務所にみんながそろった時も、少しこれで遊んだが、大人にも好評だった。きっとみなさん、報恩講で、やらされると思います。お楽しみに!!
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 それにしても、年始は、ずいぶん子供たちとゲームで遊んだ。チロルジャンやボートゲームなどを、ずいぶんした。下の子は、「人生ゲーム」がお気に入りで、何度も誘われた。まあ、時間の関係で、それはあまりやらなかったが、 うーん、ほんとうの人生も、山あり、谷あり、生・老・病・死に、求不得苦、愛別離苦に、怨憎会苦などなどありで、ぼくの人生も、さまざまなことがおこり、またいまも予期せぬことが起っり続けいてる。人生は、リセットができるゲームではないけれど、現実の方が、ゲームよりずっとずっとスリリングで、たいへんでもけっこう楽しいことを、この子もいつか知るのだろうなー。

 ぼくの煩悩いっぱいの歩み、このいまの人生をを外して、仏説のまことを味あわあわせてもらい、お念仏申すタネをいただける場はないものね。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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念珠

Img_8145 3日の夕方、買い物のついでに、子供たちと西本願寺にお参りした。

 もう4時ごろだったが、まだ駐車場も混んでいて、けっこう参詣者も多かった。やはり、年の初めの三ケ日というこImg_8148ともある。

 ブックセンターで「十二礼」(らいはいのうた)の解説本を求める。いろいろと探してもらったが、残念ながら何もなかった。確かに、正信偈や阿弥陀経などのものは、わかりやすい解説本も多種多様だか、「十二礼」な馴染みは薄いようだ。手元に、子ども向けものと、解説「礼拝聖典」があるので、このあたImg_8147りを参照して何か考えてみよう。

 売店に、きれいな子供用の念珠があったので、購入する。
せっかくお正月にきれいな着物を着たのに、念珠をなくしたり、房がバラバラだったのを思い出した。Img_8154

 念珠は、もともと「数珠」といって、念仏の数をかぞえるための法具であったが、浄土真宗では、阿弥陀様を仰ぐ法具として、礼拝のときに、必ず「両手」に掛けて「合掌」し、口には「南無阿弥陀仏」と称名し、こうべをImg_8179垂れて「礼拝」するもので、投げたり、不浄な場所にもちこんだり、足で踏む畳の上に直接おかないで、大切にさせていただくものである。

Img_8156 年の初めてに、少し心が引き締まった。

 2年前は、恥ずかしがりながらも、これに顔入れて写真をうつさせてくれたけど、さすがに今回は逃げられて、激しく拒否された。
  下は、甲斐和里子さんの歌。ほんとうだなー。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。Img_8157

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着物

Img_8106   昨年は、アメリカでお正月を向かえた子供たちが、着物を着たいという。従姉妹のRちゃんも着物が好きで、しかも子供たちも短時間でうまく着せられるというので、元日は、着物で迎えることになった。

上の子は、母親のものを着せてもらったが、ずいぶん母親に似てきた。下の子は、一昨年に、上の子が来ていた子供の着物がちょうど着れたようだ。

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  ふたりとも、大人びて見えてくる。このまま、夜の食事も行くという。

  うまく歩けるのか、また(特に下の子は)汚さないかかなりあやしいところだが、ずいぶん静かに座っていることができた。

子供の時は、無邪気に、ただ楽しかったお正月も、いまや子供の成長を感じる共に、両親の厳しい老化をみせつけられ、結局、忘れ放しの我が身の無常をしみじみと実感させられる日となってきた。

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修正会

Img_8091 今年も、修正会で、華光の法座は幕を開けた。

 穏やかな元旦となったが、お参りはボチボチ(昨年並)といったところ。それでも、初参加の方や、修正会は初という方もあった。

 いつもの「お正信偈」のお勤めだが、和讃は六首引ではなく、「現世利益和讃」15首を華光節(ぶしImg_8063)で、皆さんと声を合わせて唱和した。御文章は、「聖人一流章」に決めている。

 今年から、修正会のご法話を担当する。実は、昨年からぼくの予定だったのに、冒頭、短い挨拶に出た父が、そのまま法話になってしまったからだ。

 せっかく、「現世利益和讃」をお勤めしたので、これを教材とする。

 クリスマス、除夜の鐘、初詣等々、年末年始は、宗教的な行事がおおい。先祖供養のお盆も同じだが、ほとんどが、宗教とは意識されていない習俗みたいなものかもしれない。

 では、初詣の神様を信心することと、浄土真宗の「信心」、言葉は同じだが、内容も、同じなのか、違うのか。違うとすれば、どう違うのかを、皆さんに問いながらすすむ。
 他力廻向とか、悪人そのままとか、後生の一大事で現世利益がない、二元的ではない、などの意見がでる。確かにそうだ。

 でも、浄土真宗でも、現世利益はある。というより、現当(現世と当来世、つまり後生)二世の広大なご利益を説くのが、浄土真宗のお救いの特色なのである。しかし、この現世利益和讃を読む限り、ずいぶん、普通の現世頼みとは異なることはよくわかる。凡夫の欲望を満足させるものではないからだ。

 それで、悟朗先生の『三帖和讃講義』(上巻)を元に、皆さんに最後の3首を、何度も声にだして読んでもらって、味わってもらった。せっかく、苦労して編集した本である。皆さんも、せいぜいご活用ください。お持ちでない方は、ぜひ!

 南無阿弥陀仏をとなふれば
  十方無量の諸仏は
  百重千重囲繞して
  よろこびまもりたまふなり

 諸仏方のお慶びがこの身にも伝わって、無漸無愧の私の法悦となるのでしょうね。

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除夜の鐘

Img_8074_2   大晦日。日本の三大梵鐘の一つである知恩院に、除夜の鐘を聴きにいこうと思い立った。京都に生まれ住んで、52年間。一度だけインドで年越しをしたことがあるが、それ以外は、会館から離れたことはない。年末のお掃除と、1月1日の修正会に向けた準備で、31日は、1年でもっとも忙しい日だったからである。でも、最近は、年越しのお掃除を、他の日にも分散させたので、ちょっと余裕ができた。子供たちも大きくなって、夜更かしも可能になったので、初詣はもちろんいかないが、せめて年越しの夜の京都の町の風情を楽しImg_8070もう、というしことになった。

 ところが、少し早めに夕食を食べさせたのに、子供たちは、「紅白」をそのまま見ていたいと言い張る。まあ、それも仕方ない。そう言われると、人込みにでるのも邪魔臭くなってきた。それでは、知恩院は諦めて、すぐ近くの東寺に除夜の鐘を聴きにいくことにした。静かな大晦日には、ここまで鐘のImg_8077音が聞こえることもあるからだ。

 23時45分、「紅白」終了を待って大急ぎで東寺まで歩く。ところが、鐘の音は聞こえるが、あっちこっち回っても、どの門も閉まっている。並んでいる車や人もいるし、「初詣」を知らせる看板も掲げているのにだ。でも、よく見ると、開門時間は「午前6時」と書かれていた。どうやら、宿坊への宿泊客以外は、一般に聴かせてもらえImg_8076、残念なこととなった。

 ところが、鐘の音は意外なところから聞こえてくる。道を挟んだ福田寺というお寺からの響きである。近づいてみると、もうとっくに0時は回っていたが、僧侶がついて、一般の方にも鐘を撞かせているのである。しばらく、子供たちは並んだたが、けっこうな人出で、寒くなって、途中であきられめて帰ることにした。

 ああ、結局、今年も心はきれいにならず、煩悩はもったままで、凡夫丸だして生きていくということなんだよね。南無阿弥陀仏

 それでも、いつもとは少し異なった深夜の町を散策し、ライトアップされた五重の党を眺めながら、「今年もよろしくお願いします」と子供たちと言葉をかわして、年越しの深夜散歩を楽しんだ。

 東寺の門前の言葉 「仏法遠からず、廻心即ちこれなり」

 「廻心はただひとたびあるべし! 廻心は人生に一度きりです」
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謹賀新年

  謹 賀 新 年

 旧年中は、たいへんお世話になりました。

 新たな立場となり、心機一転、張り切っております。

 本年も、「かりもん」ブログをどうぞよろしくお願いします。

 目に見えぬ 慈悲が 言葉にあらわれて

 なむあみだぶつと 声で知らせる (才市同行)

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