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NLP体験研修で得たこと

  真宗カウンセリング研究会での体験学習会。
  今年は、昨年に引き続き、NLP体験研修となった。

 聞き慣れない「NLP」だが、神経(N)、言語(L)、プログラム(P)のことで、1970年代にアメリカで、異なるセラピーの分野で成果を上げていた「3人の天才セラピスト」-ゲシュタルト・セラピーのフリッツ・パールズ、家族療法のバージニア・サティ-、催眠療法のミルトン・エリクソンの臨床場面を徹底的に分析し、そこに誰もが結果が出せるよう共通のパターンを見出し、まとめられていった心理学のことである。さまざまな対人的な分野や、コミニケーションの場面で、誰もが実践的に活用できるように体系化され、その後、急速に実践場面で活用されいる分野である、とのことだ。

 ある意味、実践力、特に即効性は高い。しかし、これを単なるHOW TOや、マニュアル化されたノウハウの伝授で終わるなら、操作的な人間関係を築くだけの便利なツール(道具)で終わってしまうだろう。しかし、道具は、使い方で有益にもなるし、武器や毒にもなるという説明を受けた。具体的に考えたら、包丁がそうで、ものを裁いたり切ったりするものであるが、料理に上手に使ったら有益な、なくてはならない道具だが、もし、人に向けられたら凶器になって、使い方を誤ったら、ケガをする代物となるのだ。

 それで、今回のWSも、「NLPから、よりよいコミニケーションのヒントを見つける体験研修会」と題されていた。NLPを有効に使って、よりよいコミニケーションのヒントを見いだすための実践的、体験的な集いとなった。フアシリテイター(ガイド役)のS先生の、皆さんを尊重する態度にも教えられた。お互いを尊重し、守秘義務という、安心、安全の約束に加えて、「学ぶこともOK、質問することもOK、間違うこともOK」という姿勢で、参加の皆さんを大切にしながら、参加者のペースで進行された。この参加者のペースに合わせことで、ラボール(信頼関係)が築かれ、ガイドされていくことを態度で示してくださった気がした。何かをやらせたとか、型や手順をなぞるといった操作的な態度ではなく、人間同士の生きた交流や安心感があったので、自分を開いて、積極的に参加することできた。

 最初に、どうなりたいかの「目標」をもち、何が起っているかの「感覚」を磨き、そして、柔軟に行動を変えていく「柔軟」さというNLPを象徴する話があったが、僕自身は、新しいことに積極的にチャレンジするという目標を掲げたが、そのイメージどおりのWSとなった。無数にあるスキル(コンテンツ)の中から、ほんの一部だけの学びであったが、

1)優先的表象システム(視覚、聴覚、身体感覚)VAKを知るワーク、

2)メタ・アウトカム(目標を超えたより高次な想いを理解する)ワーク

3)目標達成のたそのリソース(内的、外的な資源や資質のこと)探しのエクササイズ

4)時空を旅する AS IFのエクササイズ

などを行った。2日目は、午後から聖典講座の都合で、早退したのは残念だったが、それでも、制限時間いっぱいに積極的に自分を材料にしながら、いまより少しでもよくなったらいいなという課題に有意義に取り組むことができた。

 現実意識において、また無意識のレベルにおいても、これまでの人生の経験や出会いによって、さまざまな自己の内にも、また人間関係やスキルにおいても、豊富な隠された資源がたくさんあること、またそれだけの経験を積んできたことを、ひとつひとつ、リアルに過去を振り返り、また拾うことで、長年、滞っていた課題や仕事、自分自身のテーマに、たいへん建設的な立場から光をあてることができたのだ。

 今回は、大きな葛藤ではなく、取り組みやすい小さな葛藤や課題を材料にしたが、そのことで、逆に大きな葛藤も、同じパターンの思考があり、また解決策をもっているとも感じられたのである。

 今回のNLPの体験は、単なる思いや気持ちではなく、カラダも使って、リアルなイメージを持てたことで、難しいと思っていた仕事や課題に対して、俄然、活力とやる気が起こってきたし、必ずなし遂げられるという自信(思い込みではなく、過去の経験や人材、資源に支えられた)のようなものが芽生えたからだ。それも、外からの刺激ではなく、内にあったものが呼び起こされというか、目覚めさせられた気がしたのである。

 収穫大の研修会。来年11月の華光大会までの仕事ぶりを楽しみにしてやってください。(^。^)

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