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この世は、ままならず

 12月に入って、華光誌の作業が大詰めをむかえた。例年、師走の編集はたいへんで、年内発行のための期日が決められているからだ。そして、年賀交換という、もう一つ大きな作業も抱えている。こちちは、ぼくが版下を作らねばならない。

 それに加えて、今年は華光大会での役員交代の手続きもあったし、父の介護や支援のための手続きなども次々あって、とにかく毎日が追われるように過ぎている。その間にも、NLP研修会、聖典講座、伝道研究会、そして高山法座などの行事は続いたが、残念ながら、報告のブログは休んでいた。

 そんな時に、また父が、急に高熱となり、救急車を要請し、そのまま緊急入院するという事態となった。今年4度目の入院だか、9月からは毎月連続で続いている。ただ今回は、前日まで元気で、前触れのない突然の事態で、かなり戸惑ってしまった。それでも、こう毎月となると、救急車にしても、病院の繁雑な手続きにしても、慣れてくるものだ。今後も、こんな事態と、頻繁におつきあいすることになるだろうとの覚悟もしている。

 とはいっても、救急車で搬送後、深夜の病院から戻る時には、かなり疲れた。特に、昨夜は寒かったし、木枯らしが身にこたえた。

 残り日数から、綿密に計画していた華光誌の編集作業も、変更を余儀なくされて、少し弱っている。ほんと、この世は、ままならないものである。

 それでも、事務所の皆さんに大いに助けてもらって、有り難い。単なる仕事仲間ではなく、同じ念仏の同志としての絆が尊いのである。

 ふと、こんな事態に、父の口癖をを思い出した。
 「所詮、この世のなかのことは、何とでもなるわー」。
 元気な時に、仕事が遅い父のこの言葉に、何度、イライラしたことか。こちらにも仕事の段取りがあるのだ、そんな悠長に構えてもらって、困るのとこちらである。そうはいっても、確かに、そのとおりではある。それが自分の思いどおりなるかどうかは、別にしてだが、この世のことは、どんなことでもなるようになる。いや、なるようにしかならないである。でも、ぼくたちは、そんなこの世のこと、今生の一大事を、何とかせねばと、必死に対応しているのである。回りの皆さんを含めて、そんな姿を、嫌というほど感じさせていただいた。

 それに引き換え、後生の一大事に対してはどうだろうか。ほんとうは、成るようにはならない一大事が、ここにあるのだ。ところが、この一大事には、随分と呑気というか、「何とでもなるさ」と、悠長に構えているのではないか。まさに、轉倒(てんどう)しているのが、凡夫の迷いの姿だ。こうして、昿劫より迷い続きてきたんだろうなーと、しみじと味あわせてもらっている。

 まあ、とにかく、どうなるかはわからないが、所詮、この世のことだ。成るようにしか成らないのならば、そのようにやっていくだけである。

 とにかく、いま目の前ことを、ひとつひとつ片づけていくしかないようである。頑張ろうー。

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