和歌山城
紀州和歌山55万石。徳川御三家の一つで、徳川家の西の鎮守として栄えただけでなく、礼儀正しい暴れん坊将軍、8代吉宗に代表されるように、徳川本家の将軍も輩出したとこでも有名だ。
希望舞台の公演会場の県民文化会館は、和歌山県庁の向かえにあった。この付近には、美術館や博物館があったりして、和歌山の文化の中心地のようだ。
ところで、和歌山には、下津町に母の実家がある。父も、戦争中は、高野口に疎開していたし、父の第一の支援者であった兄(ぼくの叔父)が、和歌山市内で呉服の商売をしていた。それで、毎月のように法座を開いていたこともあって、子供のころは、よく和歌山に連れてきてもらっった。いまのように高速はないので、奈良県の五条を経由しての長時間のドライブだったことを覚えている。当時は、大和地方、堺市(初芝)と、
和歌山市(堀止や冬野)で、家庭法座が開かれ、それがもとに支部制度になっていった。でも、いまや大和にも、堺や和歌山にも、支部はない。いまでも残っているのは、日高(当時の江原)だけである。
和歌山城も、何度か訪れているはずだ。「はずだ」と書いたのは、お城の記憶がないからだ。でも、昔のアルバムをみるとお城で写した写真が残っている。
このあたりの和歌山市内の地名には、ボンヤリと思い当たることもある。一番近くは紀三井寺と、和歌浦に子供大会の下見に入った時だから、和歌山市内にはいるのは、30年ぶりになる。
でも、和歌山は懐かしい場所なので、舞台の開場まで時間、和歌山城に入城した。もっもと、ここは初めて訪れたとしか思えなかった。
国宝であった天守閣は、第二次大戦の消失したので、昭和33年に修復された鉄筋コンクリート製。父や母は、国宝の天守閣を眺めていたのだ。鉄筋とはいえ、なかなか品格もあって、最上階からの眺めもよく、和歌山市内、大阪府下に加えて、淡路島までハッキリ見ることができた。(写真では、右手の上の黒く映る島)
紅葉は、これからが本番だろう。
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