日高支部法座~長老のお勧め
「お嬢ちゃん、ほんとうに仏法を聞きたいですか」。
80歳を超えた長老が、老いた身に鞭打って、中学生の女の子に問う。
相手は、まだ中学生。大人の法座に参加してくれるだけでもうれしくて、だれも強く迫ることはなかった。
口ごもりながらも、ほんとうの気持ちを伝える彼女の目から涙が溢れている。ホンモノだけがもつ迫力を前にすると、老若は関係ない。
老婆が続ける。
「もしほんとうに聞きたいのなら、こんなところでヌクヌク聞いてはダメですぞ。この席を立って、どうか聞かせてくださいと善知識に頭を下げていく。そんな式も必要ですぞ」、と。
決して、儀式や定型の型や、方法論を言っているのではない。ぬるま湯の聞法から、一歩出る姿を教示してくださる。まさに、彼女の言葉から、真実の法り(みのり)がほとばしているのだ。
どうご法を伝えたらいいのか。
私達は、計らいを超えた世界を、あれこれ計らっている。それは求道者のことでなはい。伝える方もまた同じだ。相手をあれこれ配慮し、無理のない、またはスマートな伝え方ばかり考えているけれど、どこかで自分が傷つきたくないだけではないか。最後の伝わる、伝わらないは、人と人との向き合いになってくるはずだ。
自身が喜ぶまま、信じるまま、ありのままの自分でいることでしか、伝っていかないのかもしれない。まもなく、長老は、この地を去って、娘さんの住む都会へと引き取られていくという。
「もう戻れないかもしれないので、遺言のかわりです。ごめんなさい。」
遺言がわりにの迫力に、皆、共に、お念仏を申させてもらった。
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