寺院報恩講の布教は夕方で終わったが、引き続いて宍粟組の連続研修会の講師の依頼を受けていた。会所もそのまま。このお寺も、自坊の報恩講が終わったら、すぐに組(そ)の連研の会場と、大忙しだ。
連研(連続研修会)とは、本派の門徒の中から法座を推進するリーダーである門徒推進委員を養成するための講座で、単なる知的勉強に留まらず、話し合い法座をめざしている。その趣旨は、けっこうなのだが、現実は、門徒も僧侶も、講師も、話し合い法座を未体験の方が大半で、単なる議論や会議で終わるケースもあるようだ。ところによっては、勉強会や講義が中心で、話し合いは形式になっていることも多いと聞いている。
その点、この組(そ)は、積極的な話し合い法座をめざしておられるようだ。昔、ぼくなりに、ブレーンストーミングを活用し6項目にその要点をまとめた、「楽しい信仰座談会のすすめ」を、配布テキストの中央に印刷して、講義と話し合い法座をバランスよく活用されているのだ。
とはいっても、住職の中には、このやり方に抵当がある人もいて、もっと儀礼やおまつりの話題を中心にした実用的な集まりにしたいという声もあるようだ。まあ、それも分からなくはない。カウンセリングのグループワークも同じだが、信仰座談のよさや意味は、1度や2度経験しただけでは、なかなか深いところまで知ることは難しいのだ。普通、儀礼や教義の話題ならば、専門的な知識を持つ人が正解を話せば、それでみんなが満足し、分かった気になって(実際は何も分かっていないが)終えることができるのだ。それが、だれも何も話さない沈黙が続いたり、ダラダラと愚痴話のような話題で、結論やまとめがないまま進むのだから、単なる談笑だけの意味のない時間に見えるのも当然かもしれない。
しかも話し合い法座のよさを伝えることの厄介さは、話したり聞いたすることが、一般の誰もが出来るコミニケーションツールであって、わざわざ学ばなくてもよいという錯覚されているところにもある。話す(公式的な場で)ことが苦手だという方は多いが、聞くことが苦手だという門徒さんに出会うことは稀だ。皆さん、日頃のお説教で聞くことは出来ると思っているようだ。もっともぼくに言わせると、2席80分間は、黙って座っていることが出来る、もしくは黙っていることが得意なのであって、聞いているとは限らないのだ。
しかしこれらは、長年の間に身についた認知(信念?)なので、少々の説明や解説ぐらいでは、なかなか崩れない。それなら、多少の抵抗があっても、実際に、率直に気持ちを語ること、相手のそれを自分を交えないで、そのまま聴くこととを、実践的に、体験的に学んでもらうのが、いちばんの早道である。
ということで、例年は、6名グループでの、テーマを与えた話し合いの実践練習をおこなったきた。今年は、少し進化させて、3人1組での如是我聞ゲーム(積極的傾聴法)の実践を、それぞれ役割を替えって3回おこなってもらうことにした。実質1時40分ほどの時間しかないので、デモンストレーションもなく、簡単な説明をしただけで、即実践に入る。ミニ・カウンセリングならぬ、ミニミニカウンセリングである。課題を伝えると、一度に場の空気は重たくなったのがわかる。皆さん、「そんな時間、ひとりで話ことはできない」と心配されているようだ。
でも、とにかくやってみよう。うまくいかなくてもいいのである。
1回目。かなり戸惑いがあって、うまくいかないグループも多い。特に、年輩の男性は、聞き役なのに、横を向いたり、うつむいたり、プリントをみたりと、聴くことができない(趣旨がまだ理解できないのか、照れ臭いのかは分からないが)。ところが、2、3度と続けていくと、明らかに雰囲気が変わってくる。終わっての分かち合いも、どんどん賑やかになり、みんなの表情が和やかになっていくのが、手にとるように分かる。
「ほんとうはこの集いに参加したくなかったが、誰もいなくて困っていると住職に強く頼まれたので、今後、続くかどうか困っています」と率直な声も出るようにだる。それ対して、非難でも、アドバイスでも、同情でもなく、その戸惑いや不安な気持ちをそのまま受け止めて聞いてもらえるのである。だから、そんな消極的な自分でも、安心してこの集い座っていることを体験してもらえたり、また初めて会うメンバーとの親近感や信頼が芽生える、またとないいい機会となったようだ。帰り際に、「楽しかったです」と、お礼を言って帰られる方もあった。
ただ、10名ほど参加されていた住職方の反応は半分に分かれた。喜んで参加される方と、実践になると控室に戻られた方に分かれた。ほんとうは、先頭を切ってご住職が、「聞き方、伝え方」を身につけていけば、間違いなくお寺の雰囲気は変わるのであるが、なかなかここが難しいところである。でも、肯定的に見るなら、半数は楽しく参加され、終了後に感想を分かち合った時も、「とても面白かった」と、みんな大好評だった。
まだ研修会2回目で始まったばかり。これから1年以上、10数回の研修が控えている。これからも、安心して参加できる、率直な気持ちが表明できる場を生み出していけるのなら、ますます活発な集まりになっていくのではないか。そんな予感を持たせるように、ぼく自身中にも、温かく、スッキリした気持ちに包まれて、今回の研修を終えることができたのである。ありがとうごさいました。