妙源寺~三河聖跡巡拝(2)~
三河安城駅で、関東や東海組と合流して、西岡崎の妙源寺に参詣する。
三河の旧跡巡拝は、30年ぶりだ。ぼくは、まだ大学生だった。かなり記憶は断片的だったが、太子堂(柳堂)の上品な佇まいは、強く印象に残っている。その時も堂内に入れてもらったのかもしれないが、そのことは覚えていない。ほかに、「選択相状の御影」の複写図でご説明いただいたことも覚えている。
ここのご子息は、学生時代に聞法の集いに参加してくれたこともあり、大学院時代にも、共に学んだことのある仲になるのだが、それはもう少し後になってからのお話。
妙源寺は、高田派の寺院である。三河では、真宗(本願寺)と徳川家康との激しい一向一揆が起こる。しかし、純粋な信仰戦争という一面だけではない。同じ浄土真宗といっても、本願寺系と高田系との争いもあって、高田派は、家康側に与している。だから、苦戦した家康が、この妙源寺にも逃げ込んでいるのである。このことは、次の上宮寺などでも触れる。
親鸞聖人が、関東から京都への帰京の途上に、この地に17日間滞在されて、三河に真宗念仏の教えを弘通されている。その理由のひとつは、この地に、聖徳太子信仰があったのが、聖人が訪れた理由にあるようだ。
お彼岸とはいえ、残暑が厳しい1日。しかし、蔀戸(しとみど)を吊されて、開け放たれた、檜皮ぶきの寄棟造りのお堂を通る風は、なんとも心地よかった。
25名ほどの華光同人で、聖徳太子をおまつりする堂内は、ほぼ一杯となった。ご住職より、「この板間に親鸞聖人も座られ、三河の民衆と車座になって、お念仏を讃嘆されました」とのお話に、身震いする思いがした。
太子堂は、柳堂とも呼ばれ、旧国宝(いまは国の重文)にも指定されている浄土真宗にとっては、とても重要な建造物。昔の道場形式以前の形態なのだろう。
当然、長年に渡り建物を維持、管理するご苦労も窺った。檜皮ぶきの葺き替えだけでも、5000万円の費用がかかったというのである。
しかし、建物も貴重だか、それ以上に、ここで親鸞様が称えられたお念仏と寸分変わらないお念仏が、私の口をついて出てくださることこそが、何ものもに替え難い宝なのだと、さまざまな「十字名号」や「交名帳」(いつれも複製)のご説明をいただきながら、しみじみと味わわせていただいた。
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