思い出
先日、江原(現日高支部)同人で華光会の発展に寄与された故谷本政雄氏の年忌法要のを行った。33回忌は過ぎているし、50回忌はまだ先だ。なんでも、跡取りの方が、自分の元気をうちに、華光会館で50回忌をお勤めしておきたいというのである。
日高支部の方以外で、政雄氏をご存じの現役の華光同人もごく少数だろう。故北口光三氏と並んで700回忌大遠忌に尽力され、また、永代経法要や聖跡巡拝(現聞法旅行)を提案されたりと、悟朗先生を助けて、華光会の発展に寄与されたお方である。その第1回の聖跡巡拝(現聞法旅行)は、越後だった。既に目を悪くされていたが、息子さんの故瀧雄氏に手を引かれて、念願の祖師のご流罪の地を巡拝された。
氏をご存じなくても、会館でお手伝いをされた方なら、その名をご覧になった方もあるかしれない。華光会館の行事鐘の施主でもある。華光会へのご喜捨には、原則、施主のお名前が入っていない。唯一、明記されているのが、この行事鐘で、「施主、江原華光同人 谷本政雄」とある。発願主も、「初代華光会館館主、増井悟朗」と刻まれている。父は、よく「行事鐘を名前を入れたばかりに、法座のたびに、政雄さんと私は、叩かれ続けなければならない」と、笑い話にしていた。
ぼくは、晩年の政雄氏しか知らない。それでも個性的な喜び手であり、ご示談にも長けていた氏のことは、強烈な印象がある。そのひとつが、ぼくがまだ小学生のころ、父と、政雄氏と一緒に、東山の大谷本廟に参拝した時のことだ。
廊下に飾られている親鸞聖人、越後ご流罪の一コマがブロンズ像になっている。突然、その聖人のみ足に額づいて、「ご開山さま、ご苦労をおかけいたしております!」と、号泣してお念仏されたのである。参拝の皆さんの奇異な視線が集まる。ぼくもびっくりしたが、案内役の若い僧侶も、苦笑いを浮かべ、困った表情をされていることを覚えている。
昨年、法事で参拝した時、懐かしくて写真をとったが、それをここで披露することになるとはなー。
確かに、大勢の参詣者が通るこの前で、号泣念仏されれば、案内役でなくても戸惑うのも無理はない。今日では、華光同人も、スマートというか、小ぶりになってしまった。氏のように豪快に念仏される方はもういない。我が身がそうだが、みんな、人の目を気にするだけだものなー。
「ぼたもち」 谷本政雄作
きいたというも 知ったというも
たやすいことまで 自分のつごう
たしにならぬは 自力心自力心では 後生はこせぬ
わが身をせめて せめあげて
手ばなしすれば おちてゆくたなのぼたもち わが身を知らされ
おちたところが おやごころ
あいた口が ふさがらぬ
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