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本證寺~三河聖跡巡拝(5)~

Img_7248_2   野寺御本坊と称され、三河三ケ寺の筆頭といわれる由緒あるお寺。もともと、鎌倉期に親鸞聖人の門弟が開基だと伝えられている。

 蓮如上人の時代に権勢を誇り、その後、権力基盤を強めていく家康とぶつかるようになる。そしImg_7252て、1563年に起きた三河一向一揆では、本證寺の空誓(蓮如の孫。前住が、加賀一向一揆で壮烈な戦死〈真宗僧侶、住職ですが〉を悼み、時の顕如上人が自らの猶子を送り込む)が、門徒に激をとばして、一揆の中心となっていった。一向一揆だが、一向宗の門徒ばかりでなく、多くの国人や土豪、中には家康配下のものも一揆側に終結したので、兵力では、松平(家康)軍をImg_7249上回って、一時は有利な時もあったが、結局、和議となった。ところが、和議の文面をたてに、家康は一向宗を禁止し、寺を焼き払ってしまう。だから、いまだに、お寺の説明では、家康を、約束を反故にした「狸親爺」と揶揄されていたのである。

  その後、許されて、今度は家康側の防衛拠点として再建されることになるで現在も、境内を取り囲むようにImg_7247重の堀が巡らされた城郭伽藍として、防衛面の機能を色濃く残しているのがわかる。
 屋根には鯱(?)のようなものがあり、寺院というより、城郭の天守閣を真似たような建物だと思っていたら、、実は、その逆。このような形式が基になって、お城の天守閣が誕生したという説明が、添乗のNさんからあった。なるほど。

Img_7251_2  格式ある寺院だけに宝物も伝わるが、拝観の日にちが決まっていて、今回は残念。

 三河御旧跡を訪ねる上では外すことのできない場所なので、30年前にも訪れている。ところが、その時の印象は何一つない。記録はあるが、訪れた記憶がないのだ。今回の旅行の中でも、いちばん印象が薄いのかも。申し訳ないが、なんとなくそれも分かるような…。立派な構えがあっても、やっぱり、いまにどうお念仏が生きてるのかのお話が、大事ですからね。

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