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応仁寺と絵解き説法~三河聖跡巡拝(4)~

Img_7235 2日目は、油ケ渕の応仁寺から始まった。

 このお寺の在り方は、たいへんユニークというか、尊いものだ。もちろん浄土真宗なのだが、東西どちらにも属さない単立法人である。寺号が示すとおり、応仁の乱で有名な応仁2年に誕生している。この油ケ渕は、上宮寺の如光生誕に関わる伝説があImg_7214る地だが、彼が蓮如上人のために、ここに道場を建て、蓮師の三河布教が進められた。数ケ月のご教化の後、京都に戻られる蓮如上人は、村人と別れを惜しみ、また縁があればこの地に戻ると言われ手、自身の自画尊像を与えられたという。「写真もどうぞ」といっていただいたが、残念ながら黒ずんでよくわかならいが、実際は、もう少しハッキリしていた。

Img_7234 それ以降、ここは蓮如様がのお寺。蓮如上人が帰ってこられるのを待つために、代々住職をおかずに、地域のお寺が輪番制で勤め、また檀家たちが世話人となって運営されているのという。500年以上も、蓮如上人のお留守を守って、地域の人達の手で受け継がれてきているのである。

 もちろん無住であるがゆえに災難Img_0583_2にも遭遇されている。昭和62年に法宝物が盗難。その一部が、平成20年に業者に手あることが分かったものの、既に時効。やっと買取額と同額で買い戻されることになったが、その資金をどう工面するのか。檀家さんたちは、相談の結果、分割で買い取りを決意されたというお話だった。この決断Img_7227もたんへんだったと思うが、蓮如上人への想い、その誇りというようなもが変わっていないのが尊かった。左の写真の蓮如上人の名号本尊もそのひとつ。もちろん、写真版ですが。

  今回、応仁寺を訪れたのは、蓮如上人のゆかりのお寺で、琵琶演奏を交えた絵解き説法を聞かせていただいくためである。蓮如上人のご生涯の一部を、特に琵琶を交え、絵伝の絵解きをしながら、朗々と語られていかれた。正直、企画の段階では、それほどの期待はなく、ちょっと珍しいものが見える程度の想いであったが、、朗々とした声で語られるお聖教の言葉は、胸に迫るものがあって、有り難かった。

 文字も知らない庶民に、み教えが伝播するには、節談や絵解きなどのImg_7216果たした役割は大きかったのであろう。また日本の話芸や芸能のルーツとなって発展するのであるが、「受け」を狙って本来の法義から逸脱したり、より洗練された話芸として独立して、近代には衰退を余儀なくされていくようだ。それが、最近、脚光を浴びたり、若手の僧侶によって復興されている。今日の説教師さんもそのおひとりで、、学生時代から独学で学び、試行錯誤の後、この三河の地でも旗揚げをして活発に活動されているという。たまたま添乗員のNさんとは大谷大学時代の先輩後輩にあたるとのことで、今回のご縁Img_7230をいただいた。

朗々とした節談の声だけでなく、もうひとつは「絵伝」という視覚にも訴えることにも、大きな意味があったのだろう。毎年、報恩講にお出しする「親鸞聖人御絵伝」も、なにか報恩講さまのお飾りのように思っていたけれど、これにも「御伝鈔」と合わせて意味があるのだから、一度、ゆっくりと見直してみたいなと思われた。

 最後の写真、境内におまつりされていた兆載永劫のご修行像。

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