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お釈迦様の一大事業

  午前中に伏見方面のお盆参りをすませて、午後から、京都支部法座を兼ねた家庭法座。今年から、ここもぼくの担当になったので、お盆参りの日数が3日間に増えた。

 それにしても、今日も暑い 京都の最高気温は39度に達した。街のアスファルト道路では、照り返しで40度を超えていることになる。

 お出でになる方は、みんな大汗で、「暑い、暑い」の連発である。「暑くておかしくなります」という人までいった。シルクロードに行かれた方が、「トルファン空港に降り立った時、全身にドライヤーの熱風をあてられたようだったけど、今日も同じぐらい暑いですね」と。あの日のトルファンの最高気温は42度だった。今日は、それに蒸し暑さか加わるのだから、日本の暑さも、たいへん厳しい。

 暑さもあるだろうか、お参りの方は多くはない。それでも、広島や大阪からもお参りがあった。今日は『阿弥陀経』のお勤め。始まる前に、30分ほどかけて、阿弥陀経の概観と大意をお経本に沿いながら説明。法話の前座だ。

 さて、勤行。ああ、やっぱり違う。皆さん、大きな声で、称名念仏される。華光の法座では、当たり前のことだけど、お盆中は、なかなか声が聞こえなかった。阿弥陀経が始まっても、大きな声であげてくださる。その分、スピードはかなり遅めだが、やっぱり、この雰囲気が一番有り難い。

  ご法話は、「阿弥陀経」の後半。諸仏の護念と、証誠の部分。
 さらには、お釈迦様自ら、「わし80年間も、この五濁の世で、自力の固まりの泥凡夫の難しいなかで、超世のお念の教えをよう説いてきたなー。絶対に聞くはずのない、疑いの固まりの奴らに、ようやりましたわ。諸仏も褒めてくれるけど、我ながらこの難事業を立派やと思うなー。最後ぐらい、自分で自分を褒めておこう」と、くだけた口語訳にすれば、こんなお釈迦様の自画自賛のお心を味わった。

 もう阿弥陀経も終わるということでもあるが、一代結経といわれる最後の最後で、お釈迦様の生の声が、なんとも有り難くて、ここにくるたびに微笑んでしまう。
 それだけ他力のお念仏の方は、自力疑心の行者には、難信の法だということだ。それを、飽くことも倦むこともなく、釈尊はお取り次ぎし続きてくださった。いま、私がお念仏申すのは、そのおかげというしかないのである。南無阿弥陀仏

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