当たり前
深夜0時を過ぎたころだ。
遅い夕食が済んで、騒いでいた子供を寝かせて、明日の高山法座の準備に取りかかっていた。
3階から「水がでない」とのSOS。まだ大量の食器の洗い物も、風呂も入っていないという。システムの問題があって、これまでもしばしば水が止まっていた。 http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-fc15.html せっかく新しいポンプを導入したのに、うまく交互運転ができず1号機だけで対応してきた。それで、大きな行事の時には、しばしば水が止まったこともあった。それでも、裏にあるボンプのリセットボタンを押せば、すぐに回復していたのだ。
でも、今日は別に行事があったわけではない。普通に家族の分だけである。
リセットボタンを押すと、すぐにボンプが動きだした。これでOKと、また法座の準備に戻るが、30分たっても水はでない。おかしい。何度か繰り返したり、電源を再投入したり、いろいろと試すが、すぐに故障のランプがでる。
ただ停電や断水ではないので、地下室の貯水槽に入る前の水を汲むことはできた。狭い地下室の階段を上がり下りして、バケツやヤカンを運ぶ。汗だくになりながら、2時すぎまで作業をした。
汚れた手を洗うのに思わず蛇口に手をかけて、水がでないことで気付く。無意識で、水を出そうとしているのだ。そんなことが、2度ほどあった。水が出るのは当たり前のことだと、体が反応しているのだ。
水道のおかげで、楽に水を使わせてもらっている。飲み水や手洗いだけでなはい。トイレをする、顔や歯磨きをする、風呂にはいる、洗い物をする、料理をする、雑巾を絞り、洗濯をする……。水がない人は生きてはいけないが、生活上でも、水道がないと、まったくもって不自由なのだ。そんなことは分かっているはずだが、実際になると分かっていないものだ。一応、水の備蓄はあったが、その量では足りないこともわかった。
深夜なので、業者には連絡がつかない。翌朝は、まだ7時台だったが、電話をいれた。電話で指示されるままに応急処置をする。でも、やっぱりダメだ。早く対応をお願いしたが、業者も、夕方にならないと手配は無理だという。
仕方がないので、汲み置きをし、Tさんに後を託して、高山に出発。その後も、電話を入れては工事状況の確認するが、なかなか復旧していない。結局、2日目も深夜11時ごろまで急作業をしてくれていたが、その日も水はでないままで終了。3日目の日曜日も、早朝から工事で、やっと復旧。午後からの法座にはどうにか間に合った。
当たり前と思っていることの裏にこそ、たいへんなご苦労があるのだ。身近な当たり前ほど、実は、有り難いことだということを、再認識させてくれた出来事だ。でも、すぐにまた忘れて、当たり前になるのだけれど…。
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