8月の輪読法座
8月の華光誌輪読法座。誌上法話『我が身を照らすご恩』を読む。平日の午後からの法座だったが、いつもの顔ぶれに、広島、埼玉からの参加者が加わってくださる。仕事や所要で、こちらにこられて、法座にも出席くださった。
ご夫婦で、包み隠さず、煩悩具足の凡夫の姿をみせてくださる方のやりとりは、まるで夫婦漫才だ。腹を抱えて笑ったり、また同感したりしながらも、最後はしんみりご法に帰らせてもらった。もし、ご法に帰らせてもらうことがないと、単なる世間事におわる。では、ご法に帰ることはどういうことか。決して、煩悩なのでお許しと自己を正当化することでも、外に賢善精進の姿を顕すことでもないはずだ。大悲のおこころは広大で温かい。しかし同時に、阿弥陀様の悲しみ、涙なのだ。悲しい、哀れな自己との出会いをどう表現するのか。善きにつけ、悪きにつけ、いろいろと考えさせられる座談会だったが、まだ十分にそのあたりをお伝えする言葉にはならない。ただ、これからの座談でのありようにも、かかるような気がしている。
| 固定リンク
« 夏の終りに | トップページ | 大谷本廟での年忌 »