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2013年8月の23件の記事

大谷本廟での年忌

Img_7119  ちょうど1年ぶりに、京都東山の大谷本廟を訪れた。

 昨年が一回忌を勤修させてもらったので、今年は三回(周)忌になる。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-3484.htmlImg_7112

 何もかも用意された仏間で、皆さんと『正信偈』をお勤めして、引き続いて『阿弥陀経』。その前に簡単な内容をお話する。祇園精舎を訪れたときは、そうでもなかったが、この度のシルクロードの旅で、鳩摩羅什さんの故郷クチャや玄奘さんゆかりの高昌故城を尋ねて、一層、親しみがわいている。ただ訳の分らない、難しいImg_7110漢文で終わってもらうには勿体なすぎる。
 ご法話も、『仏説阿弥陀経』の外題をとおして、法事やお経のほんとうの意味について。鏡を持参したり工夫しているが、なかなか反応は少ない。それでも、中には頷きながら、聞いてくださる方もあった。

 分かち合いもできないまま、Img_7114慌ただしく墓参へ。わが家には墓がないので、プライベートで墓参りはしたことはないが、法衣を着て、他人のお墓に手を合わせている。台風の接近で予報は強い雨だったが、台風は南の海上に停滞したままで、どんよりした曇り空だ。蒸し暑かったが、猛暑でも、大雨でもなく、墓参には有り難い天気Img_7109だ。相変わらず、見どころ(?)満載の墓石を眺めながら、お墓へ。大谷でも一等地といっていい場所だ。

 すぐ近くだが、聖人の荼毘所にお参りする時間はなかったので、祖廟で手を合わせた。
 骨を砕き、身を粉にしてまで報ずべき聖人のご恩徳。忘れっぱなしである。南無阿弥陀仏

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8月の輪読法座

  8月の華光誌輪読法座。誌上法話『我が身を照らすご恩』を読む。平日の午後からの法座だったが、いつもの顔ぶれに、広島、埼玉からの参加者が加わってくださる。仕事や所要で、こちらにこられて、法座にも出席くださった。

 ご夫婦で、包み隠さず、煩悩具足の凡夫の姿をみせてくださる方のやりとりは、まるで夫婦漫才だ。腹を抱えて笑ったり、また同感したりしながらも、最後はしんみりご法に帰らせてもらった。もし、ご法に帰らせてもらうことがないと、単なる世間事におわる。では、ご法に帰ることはどういうことか。決して、煩悩なのでお許しと自己を正当化することでも、外に賢善精進の姿を顕すことでもないはずだ。大悲のおこころは広大で温かい。しかし同時に、阿弥陀様の悲しみ、涙なのだ。悲しい、哀れな自己との出会いをどう表現するのか。善きにつけ、悪きにつけ、いろいろと考えさせられる座談会だったが、まだ十分にそのあたりをお伝えする言葉にはならない。ただ、これからの座談でのありようにも、かかるような気がしている。

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夏の終りに

Img_7078 史上もっとも暑い8月(西日本)も、そろそろ終りを迎えつつある。日中の暑さも、ピークを過ぎたようだ。

 子供たちとひさびさに琵琶湖にImg_7080くる。抜けるような青空だ。でも、湖西の水泳場は、夏のにぎわいがウソのように、静かな佇まいだ。水鳥たちが飛び交い、澄み渡った湖には魚の姿がみえる。水着はもっていないが、足をつけるだけでも、気持ちがいい。山側のタンボには、大量の赤トンボが舞っていた。

Img_7095 おもいたって、Rカフェでお茶を呑むことにした。一昨年の3月以来なので、久しぶりだ。ぼくが訪れる時は、だいたいシーズンオフで、静かな美しい浜が素敵なカフェだが、今日Img_7074は別だ。隣の浜の静けさとは対照的に、夏を惜しむ若者で賑わっていた。今年は、プールや琵琶湖でしか泳がなかったが、最後ににぎやかなビーチ気分を味わった。

Img_7099_2 でも、確実に季節は巡っている。

 どうやらぼくの今年の夏は、今日で終わったのだ。

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久々に

Img_7069_2 久しぶりに家族が揃って、外食をした。

 父のからだのぐあいもあって、全員が揃っての外食は、1年以上ぶりになる。

 子供たちに、年老いた両親とみImg_7019んなが顔を揃うだけでも、賑やかでよかった。2年前までは、みんなで1泊旅行をしていたが、みんなでの旅行は、もう難しいだろう。

 くみあげ湯葉がおいしかった。土瓶蒸しの松茸は、初ものだっImg_7026た。ここは、京都伏見なので、珍しく地元の熱燗にしたが、和食にぴったり。

 お店で、子供がトランプをもらった。というわけで、ちょっとほろ酔いだったが、ふたりに大富豪を教えた。さすがに飲み込みがはやいが、大人も手を抜かなかったらImg_7049、「大人げないなー」と、子供にマジで嫌がられた。でも、結局、遊びでも真剣なほうが、みんなも楽しいのである。おかげで、遅くまで何度もつきあわされることになった。二人には、しばらくブームが続きそうで、まもなくかなわなくなる日もくるだろう。その時は、寂しくもあり、楽しみでもあImg_7059_2るなー。まあ、最後は、遊んでもらえなくなるんだけどね。 

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プール

 子供たちのリクエトスで、プールに行く。

 まだ8月だか、最近は京都の小・中学校も、今日が始業日のところが大半だ。少し前までは、8月31日までが夏休みだったと決まっていたが、最近は、各学校や地域でまちまちになっている。この時期は、毎年、たんまり残っている宿題に真っ青になっていたものだ。

 午後からなので、子供たちもそれなりに泳いではいたが、プールは空いていて、ゆっくり遊ぶことができた。

 猛暑も、週末には一服した。今日も、30度切った模様で、外で泳ぐのには、ちょっと冷たい。しかし、ここは室内プールがあって、しかも水温は高めなので、快適だ。

 でも、子供を撮影していたら、すぐに注意された。ここは撮影禁止だった。

 外には、赤とんぼ飛んでいた。まだまだ残暑もあるだろうが、確実に、季節は巡っているようだ。

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高山支部法座~ミニ子供大会~

Img_6918 子連れで、お参りした高山支部法座。
 最初は、ご迷惑かなとも思っていたが、親の計らいを超えて、子供たちの参加が大きな刺激を生むことになった。

 というのも、8月に仏の子供大会があって、高山支部からの参加が多く、うちの子供がお参りするることで、まるでミニ仏の子供大会のような雰囲気になったのである。いつもは、勤行だけ参加の子供たちが、大人一緒に聴聞したり、(最初だけだが)自己紹介で座談会に出て、発言してくれたりもした。こんな雰囲気は、高山法座でも初めてだ。

 それどころか、法座後の懇親会には、ファイヤーで上演されるようなスタンツ(寸劇)まで自主的に用意し、短時間の間に練習して、堂々と披露されたである。まったく予Img_6949想していないサプライズだったので、大人も拍手喝采。するとすかさず「大人の劇はないの?」と、するどく突っ込まれた。いやー残念ながらまったくの想定外で、子供大会のような大人のスタンツはなかったのである。

 それにしてもImg_6961、子供たちはほんとうに楽しんでいた。夜も、一つのベッドに二人、小さな部屋で5人で一緒に寝ることになって、いつまでもにぎやかだった。それでも早起きして、小雨の中を、さらチャン(F家の愛犬)をみんなで散歩にいったりと、大はしゃぎだ。

 午前中には、大人とに『阿弥陀経』を勤行し、同じ法話を聞いてImg_6982くれた。

 実は、子供大会でもそうだった。地獄のスライドを見たあとの低学年の真剣な聞法姿勢や発言に、大人が教えられ、こころ動かされて、感銘をうけたのである。

 仏法に老若の差別Img_6991はないのだ。ただこちらがはからっているだけで、うまく条件が整えば、大人も、子供も関係はなく、共にお聞かせに預かれる。むしろ、子供もたちに分かりやすくご法話したことで、大人が得をするという結果になった。

 最近は高齢化が進む高山法座だが、新しい兆しも感じられる法座となった。 

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アクア・トト・ぎふ

Img_6808  小動物に触れたあとは、隣にある水族館に入る。

 岐阜県には海はない。京都にも、内陸型では国内最大級の水族館が賑わっているが、ここは、淡水魚専門である。淡水魚水族館としては最大級の世界淡水魚園水Img_6863族館、アクア・トト・ぎふである。

 長良川にある特質を生かしているが、まあこれは、内陸型の京都も同じことで、地元の賛成をえるためには、地域密着という看板も必要だ。

 施設はそれなりにきれいなのだが、当然、魚は地味である。だいImg_6843たい地元の見慣れた河川の魚だから、模様があったり、カラフルだったりするわけはない。

 そのあたりで、子供たちは不満なのか、「地味やナー」とか「さみしいなー」を連発していた。Img_6896

 でも、ここも展示のミソで、上から下におりてくる4、3階には、地元の超地味な魚を配して、2階1階には、世界の淡水魚となって、アフリカのコンゴや、ブラジルのアマゾンの超巨大な淡水魚や珍しい魚を配する作戦だ。まあ、当然といえば、当然。最初Img_6893に、「ワァー」というのか、最後に、ワァー」と言わせるかの違いではあるが、最後の印象が強い方が、全体も好評にImg_6868なる。

 最後に、アシカのショーを観た。ここも、大型プールの必要なものではなく、1頭だけと地味だが、演出に工夫があって、子供は喜んでいた。

 小動物に触れたり、淡水魚を堪能したりしているうちに、アッという間に時間はすぎた。ここからだと、目的地まではまだ90分はかかるだろう。乗Img_6911車予定の観覧車にも、肝心の高山見物もできなかったが、今日は仕方ない。水道トラブルがなけれ、もう少し早く出発する予定だったので、これでも上出来だImg_6993
 子供たちも、ここだけで充分満足したようだ。

 高山市国府のF家に入って、近くで中華ソバを食べる。高山は、ラーメンではなく、昔ながらのいわゆる支那ソバである。高山の名物なので、街並みは散策できなかったが、これはよかった。ちなみに、帰路には、飛騨牛のカレー、子供たちは飛騨牛ハンバーグを食べたが、地元の味はうまかった。

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川島ハイウェイオアシス~小動物に触れる~

Img_6763_2 水トラブルを心配しながら、高山支部法座に向かう。

 いつもは列車だが、今回は、子連れなので、車だ。高速道路が充実して、列車での移動とほImg_6770とんど変わらなくなっている。

 法座にいっても、素通りするだけの高山だが、今日は、子供たちと、街並みを散策するつもりでいた。

Img_6780_2 途中、高速道路のPAに寄って、遊びことにした。川島ハイウェイオアシスである。以前、岐阜の法座にいった時、ここでトイレ休憩したら、ずいぶん充実した施設があるのを観Img_6789思い出したのだ。

 高速のPAといっても、広い。国営「河川環境楽園」という公園が拡がり、観覧車や水族館なでもあるテーマパークになっているのだ。

 小動物との触れ合える小さな動物園があった。下の子は、ちょっと怖いのだが、中学生の上の子は、動物とのImg_6781触れあいが大好きなのだ。いつまでも動きたがらない。有料で、エサを与えることもできるので、下の子は、エサやりをしている。  Img_6774_2

 ぼくはというと、下でなめられたりするあの独特の感覚が苦手で、眺めているのはいいが、触れ合うのは、いまひとつである。

Img_6782 小さなスーペスに、いろいろな小動物がいた。暑い時である。長くいると、けっこう香ばしい匂いが漂ってきて、ちょっとゴメンしたくなるのだが、子供は平気のようだ。鼻が詰まっているのImg_6784メリットだといっていたが、それもまた妙な話で…。要は、好きなら、それほど気にならないということだろう。

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当たり前

  深夜0時を過ぎたころだ。

 遅い夕食が済んで、騒いでいた子供を寝かせて、明日の高山法座の準備に取りかかっていた。

 3階から「水がでない」とのSOS。まだ大量の食器の洗い物も、風呂も入っていないという。システムの問題があって、これまでもしばしば水が止まっていた。 http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-fc15.html  せっかく新しいポンプを導入したのに、うまく交互運転ができず1号機だけで対応してきた。それで、大きな行事の時には、しばしば水が止まったこともあった。それでも、裏にあるボンプのリセットボタンを押せば、すぐに回復していたのだ。

 でも、今日は別に行事があったわけではない。普通に家族の分だけである。

 リセットボタンを押すと、すぐにボンプが動きだした。これでOKと、また法座の準備に戻るが、30分たっても水はでない。おかしい。何度か繰り返したり、電源を再投入したり、いろいろと試すが、すぐに故障のランプがでる。

 ただ停電や断水ではないので、地下室の貯水槽に入る前の水を汲むことはできた。狭い地下室の階段を上がり下りして、バケツやヤカンを運ぶ。汗だくになりながら、2時すぎまで作業をした。

 汚れた手を洗うのに思わず蛇口に手をかけて、水がでないことで気付く。無意識で、水を出そうとしているのだ。そんなことが、2度ほどあった。水が出るのは当たり前のことだと、体が反応しているのだ。

 水道のおかげで、楽に水を使わせてもらっている。飲み水や手洗いだけでなはい。トイレをする、顔や歯磨きをする、風呂にはいる、洗い物をする、料理をする、雑巾を絞り、洗濯をする……。水がない人は生きてはいけないが、生活上でも、水道がないと、まったくもって不自由なのだ。そんなことは分かっているはずだが、実際になると分かっていないものだ。一応、水の備蓄はあったが、その量では足りないこともわかった。

 深夜なので、業者には連絡がつかない。翌朝は、まだ7時台だったが、電話をいれた。電話で指示されるままに応急処置をする。でも、やっぱりダメだ。早く対応をお願いしたが、業者も、夕方にならないと手配は無理だという。

 仕方がないので、汲み置きをし、Tさんに後を託して、高山に出発。その後も、電話を入れては工事状況の確認するが、なかなか復旧していない。結局、2日目も深夜11時ごろまで急作業をしてくれていたが、その日も水はでないままで終了。3日目の日曜日も、早朝から工事で、やっと復旧。午後からの法座にはどうにか間に合った。

 当たり前と思っていることの裏にこそ、たいへんなご苦労があるのだ。身近な当たり前ほど、実は、有り難いことだということを、再認識させてくれた出来事だ。でも、すぐにまた忘れて、当たり前になるのだけれど…。

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夏の風物詩

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  東京、広島は5日連続の集いを終えて、京都駅に降り立つと、ムッーとした蒸し暑さに包まれる。広島も猛暑だったが、冷房の効いた室内でのワークばかりで、暑さとは無縁だったので、駅に降り立った時の不快さは格別だ。

  なんでも、京都は今日で16日連続の猛暑日となって、新記録を更新したそうだ。

  暑い夏といえば、かき氷か、スイカだと、子供の一抱えほどもある大きなスイカをいただいた。よーく冷やして、みんなで食べた。大きい上に、甘くて美味だった。Img_6737

  夜は、花火をすることにしていた。

 ところが、夕食時に、福知山での花火大会の爆発事故を検証するニュースを観て、子供たちはショックをうけている。下の子が、かなり落ち込んだのは、同じ9歳の子が亡くなっているからだ。死、火を連想し怖いのか、「花火はやらない」と言い出した。しかし、別のにぎやかな番組を見終わったことろには、元気Img_6752になって、予定どおり花火大会。

 いっても、手で持てるようなものばかり。みんなのお気に入りは、いつでも線香花火だ。ジューッと水に落ちて、飛び散るとこがなんとも面白い。

 例年恒例の、スイカに、花火に、そして、雷雨に、今年も夏の風物詩である。

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真宗カウンセリングWSin広島

  東京法座を終えて、京都で「途中下車」し、翌朝、M先生と待ち合わせて、広島に向かう。
 法座ではなく、真宗カウンセリング研究会主催のワークショップだ。お寺さんにも出席してもらいたいので、お盆を過ぎた平日に2泊3日間で開催される。 

 今回から、ぼくが世話人の代表者となって、新人の世話人と組んで臨むことになった。日頃の法座の講師ではなく、世話人としての参加する。同じリーダーとしても、役割がずいぶん違う。世話人のことをファシリティターと呼んでいるが、個人やグループを促進する雰囲気を作りを担う役割がある。

 定員オーバーで、お断りをするほどの盛況ぶり。参加メンバーも新鮮で、半数以上が初参加者。しかも、ほとんどが初めてお会いする方ばかりだ。これまでは、華光同人が大半で、その中に広島の僧侶が加わるという構図だったが、今回は完全に少数派。しかも、これまでWSに無縁な方だったので、かなり緊張して参加されている方もある。

 それで、まずは世話人自身が、自分を開いて、自分自身でその場に座ってみることが肝要だ。日頃は、心が頑なもぼくも、法座が終わったあとは、温かで、やわらかで、開いている自分がいる。その点で、今日は、東京法座で、充分にウォーミングアップは済んでいて、かなり楽に導入ができた。

 なにより、みんなが心を開いて関わるには、その場が安心、安全であることが、第一原則だ。つまりは、ここで話されたことや起こったことを口外しないという当たり前で、今日ではブログやSNSに書かないというが加わる。もちろん、個人を特定できるような匂わし方もしないことであるが、これが守るのが難しい現状を、いろいろと見てきたのも事実だ。

 それで内容には触れられないが、3日間は充実した集いとなった。
 ぼく自身の新たな可能性に出会った気もするし、華光の進むべき道の一筋にも出会った気がする。
 こちらから、正解を教えたり、導いたりしなくても、参加者を信頼し、共にそこに座り、聞き合う雰囲気を造ることで、みんなが出会い、語り、聞き合って、たとえ発言のない方も、自分から大きな気付きをされていく姿に、改めて驚いたもした。

 同時に、聞くことの難しさを改めて教えられた。聞いているようで、実は、相手の聞いたことに反応したり、そこで起っている自分の微細(みさい)な心のうちを語っているのであって、実は、相手の言葉を聞いていないことに気付かせてもらったことは、大収穫だ。

 それにしても、表面的にはうまくいかいように見えても、こちらはジタバタしなくてもよいのだー。目には見えていなくても、それぞれの内面では、さまざまな心の動きがあり、成長すべき動きがあることも教えていただいた。この経験が、次の法座にもきっと生かせるとの予感もあって、充実の3日間を終えた。

 お世話の方々、参加の皆様、ありがとうございました。

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東京支部法座~分級座談会~

 仏の子供大会、お盆参りと続いて、宿泊での東京支部法座、広島での真宗カウンセリングWS、高山法座と連続してある。

Img_6700 まずは、東京支部法座へ。
 晴天続きだったが、今日は、曇っている。雲間の間に、富士山がちょっとだけ顔をだしている。ちなみに帰路も、曇ったり、雨だったりしたが、一部だけ、かすかに夕日と重なった姿を拝めた。

 暦で16日までがお盆だがImg_6715、今年は、17、18日が週末になって、お盆休みの家族連れで、駅や新幹線はかなり混雑していた。

 逆に、支部法座の集まりは低調だ。帰省中の方も多かったし、猛暑で体調を崩した方もあったようだ。

 人数は多くなかったが、2日目昼からは分級座談会にした。完全に仕切れない隣の部屋なので、声が漏れてくる。笑い声は、賑やかである。こんな時は、隣室の方が、活発で楽しそうに思えてきて、隣のグループにしたらよかったなーなどと考えていると、実は、隣室の方もそう思っているということが、往々にしてある。こんな時ても、隣の芝生は青いようである。

 ところが、今回は、ちょっと違った。隣は、講師はなくて同行2名が司会役をされたが、最初から、正直に、自分の不審を言葉にされる方があったようだ。少人数、しかも同行同士ということで、自分を打ち出しやすかったのだろう。座談会などを通して、自分の喜びと、皆さんとの味わいがズレているところを、率直に疑問に思われていたのだ。

 信心の世界は、阿弥陀様と私との関係であって、他人と比較するものではなく、あくまで、「われ一人」で聞く世界だ。だから、他人と比較して、どうこういっている間は、なかなか自分の聞法が進まないものだ。
 しかし、同時に、他人からの指摘だけではなく、、自らその違いに気付かせていただける世界でもあるのだ。三量の中の比量である。なかなかそれか気付けない。そのために、他の同行の的確な指摘は、耳が痛くて聞けないものだ。だいたいが聞いたふりをして終わる。

 その点、自ら不審を包み隠さずうちだし、こうべを垂れてお聞かせに預かることは、単なる比較の世界ではない。自分のところを飾ったり、誤魔化したり、合わせたりするのではなく、不審を不審と聞かせていただき、そのままうちだしていく姿勢が、ほんとうに尊い。そして、その不審を知識や同行にお尋ねしたなら、最後に、「南無阿弥陀仏、ありがとうごさいました」とImg_6704_1申させていただくのである。それが凡夫の聞法ではないのかた。

 分級座談会でのある同行の姿を通して、尊いご縁に合わせていただいた。

(写真は、会場の全林野会館からスカイツリーを眺めていると、飛行船が飛んでいた)

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プチイカリ

Img_6696 真宗カウンセリング研究会は、8月が世話人会。
 会報の発送作業を兼ねて、毎年、慰労のための食事会をもっている。始まって以来、ぼくが幹事役だ。会場探しもぼくの仕事だか、限られた予算内で、プチ洒落Img_6691た店を探している。今年は、京都駅周辺のビストロにした。ここは、ワインがおいしい。

 イカリヤプチ。なんか、「ちょとだけ怒ってます」って感じの店の名だけど、イカリは、錨(いかり)のこと。かわいい、イカリヤということ。まあ、店のロゴをみればわかるけど。以Img_6688前から狭いお店で、昼は定食、夜は居酒屋をしていたが、オーナーが変わって、ずいぶん店の雰囲気もお洒落になった。あいかわらず、小さな狭いお店だけども、客層も、中年以上のぼくたちを除くと、カッブルか、女性連ればかりで、満席だ。

  料理も、リーズナブルでおいしくてImg_6690楽しかった。特に、キッシュやパテが、なかなか深い味がした。

 今日は、華光関係でもなく、いろいろなカウンセリング界の情報交換や、各自が近況が聞けて、1年に一度はほっとする集まり。でも、Img_6693思わず知らず、余計なことまでしゃべっりすぎて、逆にプチ落ち込むこともあるな…。

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お盆最終戦

 お盆参りも、最終戦。

 今日は、午前中に一軒、午後から一軒の二軒のみ。

 それでも、法話や説明に1時間以上かけて、あとから感想も聴くので、法事並に2時間以上はかかるので、午前、午後に各1軒のみだ。それともいうのも、両家ともに、単なる勤行だImg_6685けではなくて、ご自分やお参りの方にも仏縁を深めてもらいたいという念願をもってくださっているからだ。今年は、阿弥陀経のお心をお伝えする。

 それにしても、今日もすこぶる暑い。お昼過ぎ、伏見のお参りを終えて、京都駅前にさしかかったら、道路脇の温度計は、39度を示していた。それでも、鞍馬街道を市原に向かって進むと、33度となってきた。京都市内とはいえ、鴨川の上流で、緑も多く、標高も少しは高いので、5度以上は涼しいのだろう。それは、お家についても実感。緑の多い一軒家。昨年まではクーラーもなかった。

 ここは、静かに、フクシマの問題を、自分たちのやり方で取り組むご夫婦だ。声高かな反対運動ではなく、自分たちのできることを行動されている。昨年から、原発事故のために、安心して思い切り外で遊べない福島の子供たちを京都に招待して、京都や滋賀で楽しい夏休みを過ごしてもらうためのボランティアを活動なされている。そのために、資本としてのお寺を再認識して、宿泊やイベント会場に利用さている。けっして派手はないが、地道な姿勢に頭がさがる。仏法の上からだけでなく、いろいろと交流が楽しみなご夫婦だ。

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盂蘭盆会法要

Img_6681 法座案内には掲載されない行事だが、お盆の一日、盂蘭盆会の法要を営んでいる。

 毎年、一家族だけお参りがある。今年も、三世代でお参りくださる。お子さんも、お孫さんも、仏の子供大会に参加くださったことがある。

 例年、父が導師をし、そのあとご法話を拝聴していたが、今年から、ここもぼくの担当となる。皆さん、昔は少しは仏縁があったとはいえ、はるか昔のことだ。最初に、一から簡単な作法やお念仏申すことの意味などを話し、『阿弥陀経』と、「ご和讃」「其仏本願力~」文を勤行する。そのあとのご法話では、『仏説阿弥陀経』について。内容もさることながら、この経題についても触れていった。

 ここでの「仏」はどなたなのか。「阿弥陀」とは、どういう意味があり、どんような仏様なのか、そして、「経」には、どんな意味やお心があるのかなど、「経・教は、鏡なり」という善導さまのご文にあたりながら、実際に鏡をみてもらったり、少し丁寧なお取り次ぎをさせてもらった。
 最初から、お経はご先祖のための追善供養のためのもので、漢文ばかりが並んで、私には無縁の難しくて訳のわからないものというのが一般的な認識だ。しかし、ほんうとはいま生きてる私の真実の姿を映し出す仏様の鏡なのであり、そのことを勤行のあと、「説教」を聞いて教え、お取り次ぎをいただくのである。真実の仏さまからご覧いただいた掛け値なしの姿をを教えていただくのである。説教が耳が痛く、嫌いなわけだなー。

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フンダリカという地獄

 猛暑だ。
 連日、40度超えで、日本のi最高記録まで誕生した。
 京都も暑い。39度を最高に、38度超える日が、今日で5日連続となった。

Img_6675 猛暑の中、自転車に乗って、自力整体に行って、ランチ。いきつけのカフェが6月で閉店となった()ので、姉小路の御幸町通角にあるパークカフェで、パスタを食べることにした。

 暑い時には、精神的にも暑いものがいいと、石田瑞麿博士の『日本人と地獄』を読んでいる。同じ講談社学術文庫には、山辺習学著『地獄の話』という名著もある。そちらもお勧めだ。Img_6677

 それにしても、この暑さ。いよいよ五濁悪世がいきついて地獄の釜の猛火が人間界まで届いているのかもしれないと思いつつ、赤いパスタ、ボロネーゼを食べる。

 ところで、「芬陀利華」( フンダリカ )とは お浄土の白蓮華のことだが、実は、焦熱地獄の別処に、フンダリカ(白蓮華)と名付けられる地獄があるというのだ。全身火ダルマになっている罪人が、フンダリカの池があると聞いて走っていくと、その途中に火坑に墜ち、また全身を焼き尽くされる。しかしまた生き返り、また焼き尽くされてまた生き返りを何度も繰り返して、やっとのことで坑をでて、池にたどりつく。ところが、なんとフンダリカ(白蓮華)が、高さ五百由旬(ゆじゃん)のもの炎となって燃えさかり、また罪人を焼き尽くし、焼き尽くし、焼き尽くしを、何度も繰り返さねばならないというのである。これは、餓死して天に生まれたいということを望み、他人もこの邪見を抱かせた、つまり間違った思想(邪見)のものが墜ちImg_6680_2_2るところだというだ。

 ふーん、そうなのか。清浄で、美しい白蓮華、フンダリカが、地獄の名前だったというのも、なんとも恐ろしいことだ。でも、どこかで妙に納得するぼくもいるけれど…。

 カフェを出て、映画館に向かう。
 映画館の横にある誓願寺では、阿弥陀様がじっと見つめておられる。繁華街の喧噪のなかで、しばしお念仏。

 

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四十八願を味わう(2)

「たとひわれ仏を得たらんに、国に地獄・餓鬼・畜生あれば、正覚を取らじ」(第一願・無三悪趣の願)
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、寿終りての後に、また三悪道に更らば、正覚を取らじ」(第二願・不更悪趣の願)

 四十八願とは、阿弥陀如来が法蔵菩薩の時に、お誓いくださった願いです。その四十八個の願いがかなわないのなら、私は仏にはなりませんと、お誓いくださいました。
 その一番目が、阿弥陀様のお国=お浄土には、地獄、餓鬼、畜生はないというお誓いです。
 二番目には、お浄土に生まれたものは、二度と再び、地獄、餓鬼、畜生には更えらさないぞ、という誓いを建てられました。
 お浄土に三悪道がないのも、浄土から三悪道に戻らないのも、当たり前のことですよね。それを、なぜ、わざわざ四十八願のトップに誓われたのでしょうか?

 私の生活は、毎日毎日、毎時毎時、今この瞬間も、ほしい、にくい、愚かしいの三毒の煩悩に、苦しめられ、悩まされ続けています。いえ、嬉々として恐ろしい三毒の煩悩に振り回されているのです。その三毒で造る世界こそが、三悪道。愼恚の業炎が恐ろしい地獄を造り、貪欲の津波がおぞましい餓鬼を造り、そして愚痴の業風が愚かな畜生の世界を造っているのです。三つ並べて書く程度では、たいしたことがないようにも思えますが、本当に何を仕出かすか分からない恐ろしい心が、私の正体。しかも、その苦しみの世界から、一度も抜け出ることが出来なかったのが、この私なのです。

 その私の哀れで恐ろしい現実を前に、なんとかその苦しみの本を抜いてやりたいとの一心で、立ち上がられたのが、阿弥陀如来です。地獄、餓鬼、畜生の苦しみに沈みきったこの私をお目当てに、その苦しみを抜き去り、本当の安楽を与えたいとい大慈悲心を持った御方なのです。その四十八の誓願は、決して聖者のためのものではなく、三悪道に苦しむこの私こそがお目当てなのだという、ご自身の御心を明らかにするために、冒頭にこの願を誓われたのではないでしょうか。

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お釈迦様の一大事業

  午前中に伏見方面のお盆参りをすませて、午後から、京都支部法座を兼ねた家庭法座。今年から、ここもぼくの担当になったので、お盆参りの日数が3日間に増えた。

 それにしても、今日も暑い 京都の最高気温は39度に達した。街のアスファルト道路では、照り返しで40度を超えていることになる。

 お出でになる方は、みんな大汗で、「暑い、暑い」の連発である。「暑くておかしくなります」という人までいった。シルクロードに行かれた方が、「トルファン空港に降り立った時、全身にドライヤーの熱風をあてられたようだったけど、今日も同じぐらい暑いですね」と。あの日のトルファンの最高気温は42度だった。今日は、それに蒸し暑さか加わるのだから、日本の暑さも、たいへん厳しい。

 暑さもあるだろうか、お参りの方は多くはない。それでも、広島や大阪からもお参りがあった。今日は『阿弥陀経』のお勤め。始まる前に、30分ほどかけて、阿弥陀経の概観と大意をお経本に沿いながら説明。法話の前座だ。

 さて、勤行。ああ、やっぱり違う。皆さん、大きな声で、称名念仏される。華光の法座では、当たり前のことだけど、お盆中は、なかなか声が聞こえなかった。阿弥陀経が始まっても、大きな声であげてくださる。その分、スピードはかなり遅めだが、やっぱり、この雰囲気が一番有り難い。

  ご法話は、「阿弥陀経」の後半。諸仏の護念と、証誠の部分。
 さらには、お釈迦様自ら、「わし80年間も、この五濁の世で、自力の固まりの泥凡夫の難しいなかで、超世のお念の教えをよう説いてきたなー。絶対に聞くはずのない、疑いの固まりの奴らに、ようやりましたわ。諸仏も褒めてくれるけど、我ながらこの難事業を立派やと思うなー。最後ぐらい、自分で自分を褒めておこう」と、くだけた口語訳にすれば、こんなお釈迦様の自画自賛のお心を味わった。

 もう阿弥陀経も終わるということでもあるが、一代結経といわれる最後の最後で、お釈迦様の生の声が、なんとも有り難くて、ここにくるたびに微笑んでしまう。
 それだけ他力のお念仏の方は、自力疑心の行者には、難信の法だということだ。それを、飽くことも倦むこともなく、釈尊はお取り次ぎし続きてくださった。いま、私がお念仏申すのは、そのおかげというしかないのである。南無阿弥陀仏

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猛暑のお盆参り

 猛暑の中で、今年もお盆参りが始まった。

 少しでも涼しい午前中に回りたいと早めに、宇治に向かう。朝から、路上に設置されている温度計は、とっくに30度を超えていたが、帰路には、38度になっている。その炎天下をバイクで走っている同行者の方を、何度もみかけた。いや、ご苦労さまです。

 昨晩は、宇治川での花火大会があって、その余韻がまた残っていた。グルグルとヘアピンカーブを進む炭山という地区では、ちょうど一年前の宇治豪雨の爪痕がまだ残っていて、川と道路の復旧工事中。通行止めの箇所もまだあった。

 『阿弥陀経』を、家族の方と勤行し、短いご法話。どのお家も、お子さんも一緒で、勤行も声をだしてくたさる。少し時間はかかるが、皆さんも、聖典を一心不乱(?)に漢字を追いかけて、あげてくださることが、尊い。今年は、『阿弥陀経』の簡単な解説を最初にしてたら、始めることにした。終わってからは、それに関連して、シルクロードのお話。阿弥陀経を翻訳された鳩摩羅什三蔵や玄奘さんのことを話す。西遊記や現地の風物のところだけは、皆さんも熱心に聞いてくださったようだ。

 一旦、帰宅して、夕方からは、わりと近場の2軒。ここでは、聖典を持たれていたが、お声を聞こえてこなかった。それでも、家族で座ってくださるのだから、有り難い。強制ではないが、気長に、「ご一緒にお念仏申しましょう」と、毎回、お声をかけをしていくしかない。これが一歩一歩のお育てとなるのだろう。

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京の七夕

Img_6608_2 暑い。この夏、最高の猛暑がやってきたようだ。

 夜、子供たちを連れて、京の七夕へ。鴨川の会場もあるが、堀川の会場へ。
 二条城から一条戻り橋までを、堀川Img_0524_2に降りて遊歩道沿いをそぞろ歩きする。

 二条城も、内部の拝観はできないが、夜から無料開放されて、世界遺産のお城が、ライトアップされている。この地で江戸幕府が始まImg_0521_2り、そして、ここで大政奉還されて江戸幕府は終わる歴史の舞台である。

 堀川といっても、チョロチョロの流れるImg_6628程度であるが、歴史的に由緒があって、平安京造営にあたって、川を改修して運河としたのが、堀川の起源だといわれている。実は、華光会Img_6660_2館の前にも、近鉄線沿いに、堀川は流れている。ぼくが子供のころは、開いていたが、いまは暗渠(あんきょ)になっているので、会館の前を川が流れていることを、知らない人Img_6655の方が多くなった。

 川沿いをそぞろ歩きといえば、風流だが、堀川通を走る車の熱が、川底に籠もってくるようで、どんよりしImg_6644_2た暑さで、夜でも蒸し暑さい。この蒸し暑さが、京都の夏だ。

 それでも、光と竹のアートの共演は、それなりにきれいだった。

 2年前には途中で、リタイヤした下Img_0553_2の子供、今年は、元気に一条戻り橋まで歩く。平安京の造営にも遡る歴史があるが、息子の親を想う心が通じて死者か蘇ったエピソートが有名。その後も、鬼退治の渡Img_6648_2_3辺綱や、安倍清明の逸話など、近くの清明神社の合わせて、近頃は、京都でも有数のパワースポットして人気がある。といっても、橋自体は、小さなもので、近年に立て替えられたもの。

 疲れたので、〆にファミレスで甘いものを食べた。これで子供たちは、満足。これがないとね、ただ歩くだけでは…。
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残暑見舞い

Img_6605 立秋を過ぎても、猛暑は本番だ。 

 上の子が、仏の子供大会で同じ班だった子供たちに、残暑見舞いを書いている。絵ではなく、切り絵にして仕上げた。なかなかうまいものである。やっぱり、カエルの子はカエルなのかもしれないなー。

 子供大会で、班員に暑中見舞い書くのは、女の子の班長さんの伝統かもしれないが、親としては、この子の気遣いがうれしい。なかなか男の班長は、そこまでやらない。班付きの先生も、感想文の依頼を兼ねて、暑中見舞いを出してくれる人もいる。

 残念ながら、総合優勝は逃したが、老若を問わずにやさしい班長ぶりは、高校生や大人の評判もよかったようだ。

 昨晩は、子供大会のビデオ大会をした。もちろん、フル撮影した法話は飛ばして、リクレーションのみだ。今年から、下の子も初参加したので、共通の話題が次々とあって、話がずいぶん弾んだ。で、「分級や法話はどうたった?」とふると、やはり地獄スライドが強烈だったようだ。上の子は、アメリカでの日曜礼拝での法話との違いを話してくれた。かの地では、道徳的な話題が多くて、華光の日曜礼拝や子供大会とは明らかに違うという。当たり前のことだが、それに気付くだけのお育てをうけて、耳を育ててもらっているということだろう。

 今度は、わが身のところでのご聴聞へと展開してもらいたい。ここが難関だけどね。

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ありがとう

 おかげさまで、3泊4日間の仏の子供大会も無事に終わることができました。

 特に、今年は猛暑で、しかも2年生や初参加者も多い。やはり、健康面、安全面がいちばんの心配でした。その意味では、ここはぼくの責任者ですので、いちばん、気をつかいます。おかげで、今年は大きな事故も病気もなかって、いちばんホッとしました。

 ただ、毎年のことですが、4日間も親元を離れての集団生活で、ホームシックになる子が出できます。だいたい2日目の夜に多いですが、「寂しい」「帰りたい」という直接的な訴えだけでなく、腹が痛いとか、頭が痛いのならわかりやすいですが、鼻が痛いと泣きだしたり、体が痒くなったり、はたまた「おばあちゃんが泣いている」などと、さまざまな不定愁訴(?)がありました。疲れもあるのでしょうが、ほんとうの病気というより、ほとんどが疲れて、夜になって、お家(お母さん)が恋しいというものです。だいたい低・中学年の初参加~2回目くらい子供たちが多いですが、初日は緊張しているのが、少し気が緩んで、不安にもなるのでしょう。どちらかといえば、真面目で、大人しい子に多いようですね。

 今年も、そんなこんなで、いろいろありましたが、4日間、誰もリタイヤすることなく、最後には、家族のように名残惜しく、お別れしました。

 ところで、今年のテーマソングは、「ありがとう」でした。「み仏の恵みを受けて、心に満ちるありがとう、ありがとう~」と続きます。そう世話くださった先生方、子供さんを出席させてくださった皆さん、そして子供基金やご懇志などで、支援くださった皆さんに、「ありがとう」です。 

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仏の子供大会、なぜか戦々恐々と始まる

Img_6534 今年も、仏の子供大会が始まった。今年で、62回を数える。会場は、近江八幡のユースホテルが、初会場。滋賀県の湖東、京都からJRで30分、そこからバスで20分だ。文化財に指定されている建物が会場。ちょっと昔の華光会館を思い出す雰囲気だ。琵琶湖も近いし、山もある。Img_6533まわりも、なかなかいい環境である。 

 小学2年から中学3年生まで、加えて高校生も1~3年生揃って、総勢40名。最高齢は、82歳のおばあゃんもいる。この4日間、家族として、一緒に過ごすことになった。

 初日は、まずは雰囲気づくりの時間。何度も続けている顔見知りImg_6582も、1年ぶりに会うと、最初はちょっと照れ臭さもあるようだ。これが、徐々に慣れきて、家族ような雰囲気になる。

 と、建物やまわりの雰囲気も上々の滑り出しだったが、どうも、会場との間で、ちょっとした感情の行き違いが起こった。

 華光の子供大会は長年の歴史があると共に、毎年、同じようなプログラムをこなしているが、それだけプロImg_6421グラムにも自信がある。同時に、それでいて毎年違って、それぞれが面白い。

 ところが、この会場も由緒がある分、会場独特のルールがあるようだ。主に、母と息子で運用されているが、どうも、こちらの連絡や変更に、常にイライラされる態度で、こちらも戦々恐々とってしまった。突然、地雷を踏んで、お叱りを受けるようで、渉外係も、「もう怒Img_6389られるのイヤです」と、本気で弱音をはいて涙目だ。

 先発隊は、いきなり「風呂での○○はやめてください」「○○も、○○も、やめてください」「部屋での飲食は禁止。もし汚した場合は……」「帰りには、まったく最初と同じ位置で」「「フトンの畳み方は、シーツの使い方は…」「食器はどうしてこうして」と、細かな指示に戸惑っておられる。

 風呂やトイレには、禁止事項の張り紙が、びっしりはってある。「湯船で体をあらわないで」とか「風呂の栓は抜かないで」とか「最後の人は、ふたをする」とか「電気と扇風機は切ってください」とか、「入浴は夜10時まで」(9時55分にチェックが入る)、とか、とにかく細かい禁止事項がおおい。(写真は、指導されたシーツの使い方を説明する風景)

 しかも、初日の夜に、反省会が始まったときに、高圧的なお叱りまでいただいた。風呂を洗う(そういう指示。実は洗うのではなく、オケなどを揃えるだけでよかったようだが)ために、風呂の栓を抜いししまって、さあ、たいへん。なんでも循環設備が、壊れる危機で、「弁償してもらいますよ!」と、烈火の如くのお叱りである。久しぶりに、本気で怒る人を目の当たりにさせていただきました。おかけで、反省会を前に、みんな、しょんぼりしゃちったなー。

 去年もいろいろあったけど、どうも今年の方が手強い。子供大会史上最強かも?

 残り3日間、ポットのお湯ひとつ使わせてもらうのに、戦々恐々の日が始まった。

 

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