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四十八願を味わう(2)

「たとひわれ仏を得たらんに、国に地獄・餓鬼・畜生あれば、正覚を取らじ」(第一願・無三悪趣の願)
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、寿終りての後に、また三悪道に更らば、正覚を取らじ」(第二願・不更悪趣の願)

 四十八願とは、阿弥陀如来が法蔵菩薩の時に、お誓いくださった願いです。その四十八個の願いがかなわないのなら、私は仏にはなりませんと、お誓いくださいました。
 その一番目が、阿弥陀様のお国=お浄土には、地獄、餓鬼、畜生はないというお誓いです。
 二番目には、お浄土に生まれたものは、二度と再び、地獄、餓鬼、畜生には更えらさないぞ、という誓いを建てられました。
 お浄土に三悪道がないのも、浄土から三悪道に戻らないのも、当たり前のことですよね。それを、なぜ、わざわざ四十八願のトップに誓われたのでしょうか?

 私の生活は、毎日毎日、毎時毎時、今この瞬間も、ほしい、にくい、愚かしいの三毒の煩悩に、苦しめられ、悩まされ続けています。いえ、嬉々として恐ろしい三毒の煩悩に振り回されているのです。その三毒で造る世界こそが、三悪道。愼恚の業炎が恐ろしい地獄を造り、貪欲の津波がおぞましい餓鬼を造り、そして愚痴の業風が愚かな畜生の世界を造っているのです。三つ並べて書く程度では、たいしたことがないようにも思えますが、本当に何を仕出かすか分からない恐ろしい心が、私の正体。しかも、その苦しみの世界から、一度も抜け出ることが出来なかったのが、この私なのです。

 その私の哀れで恐ろしい現実を前に、なんとかその苦しみの本を抜いてやりたいとの一心で、立ち上がられたのが、阿弥陀如来です。地獄、餓鬼、畜生の苦しみに沈みきったこの私をお目当てに、その苦しみを抜き去り、本当の安楽を与えたいとい大慈悲心を持った御方なのです。その四十八の誓願は、決して聖者のためのものではなく、三悪道に苦しむこの私こそがお目当てなのだという、ご自身の御心を明らかにするために、冒頭にこの願を誓われたのではないでしょうか。

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