愛別離苦の悲しみ
朝から夜まで、訃報に接した日だった。
高齢のお父様をな亡くされた男性。若くして闘病中の妻を亡くされた方は、来館のうえで、心情を聞かせてもらった。ご主人を亡くされた女性にお悔やみの電話をし、長年、米国での布教活動を支えてくださっていたご主人を亡くされた奥様には、お悔やみ文を綴った。ただ、ここが檀家を抱えたお寺とは違うところで、皆さん、既に葬儀も終わってからの連絡である。
それぞれの関係や立場は違っても、親近者の死-親であったり、連れ合いや子であったり近ければ近いほど-愛別離苦の悲しみは深く、辛いものはない。
それにしても、命は儚く、脆い。まさに、朝には紅顔あって、夕べには白骨となる身なのである。と同時に、大命といわれるように、この娑婆に命をもらう誕生も稀なことなら、その定命を生き、そして死んでいくことは、一大事業でもある。死ぬこともたいへんなら、それを支えることもまたたいへんな事業なのだ。それぞれの業縁によって、さまざまな死があり、さまざまなご因縁や関係が生まれた。残された者にも、簡単に区切りがつくものではなく、故人の足跡はいろいろな意味で、遺族に深く刻まれて残っている。それに向き合うこともまた一大事業である。
しかし、仏説にあるがとおり、独り生まれ、独り死に、独り去り、独り来るのであって、それぞれが、その定まった業によって、それぞれの行き先に赴いていくのである。残された私も、また独り死に、自らの業の世界へと独りで出かけていかねばならない。そこに一大事があるのだと、お釈迦様は教えてくださっている。そして、苦から苦へと繋がる迷いの世界を一刻も早く離れて、目覚めの世界、悟りの世界に帰って来いよと、呼びかけてくださっている。その呼び声を聞くことに、この娑婆に生まれさせてもらったのである。
亡くなっていかれた方もまた、この仏説のまことを教えてくださる仏さまのお働きなのであろう。
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