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そして『嘆きのピエタ』に震える

130614 そのまま京都シネマへ。

 キム・ギドクの新作『嘆きのピエタ』を観る。

 彼の作品は、常に評論家の評判も高くて、最新作は欠かさず観ている。いつも、どこかミステリヤス(一言もセリフがなかったり、耳が聞こえないとか、口が聞けないとかね)な設定がおおく、しかも一筋縄ではいかない骨太の話が多い。でも、彼の作品は10本は観ていると思うが、彼の世界観とのズレも感じることもおおくて、関心もしつつも、僕自身のサムシングとはフイット感に乏しかった。

 それが、前作の『アリラン』は、3人のキム・ギドクが苦悩し、もがき、自己との対話を繰り返し、対決し、道を開いていく姿を描く、いわばセルフ・ドキュメンタリー風で、その真摯さと、ちょうどぼく自身の悩みとがリンクするかのようで、タイムリーで、かなり響く作品だった。

 でも、それ以上に、この『嘆きのピエタ』は、ぼくにいちばんフィットして、かなり入れ込んだ。いや、年に150本以上の新作を観る中でも、これは数年に1度しかない魂を揺さぶられる映画だといってもいい。

 高利での借金のために、相手を残酷な形で障害者にして、その保険で返済をさせる鬼畜のような借金取立て屋の若い男の前。天涯孤独の彼の前には、突然現れた母と名乗る女性。彼を捨てた母は、献身的に許しを乞う。彼女を警戒し、拒絶していた彼が、徐々にその立場が逆転していく。しかに、そには復讐劇があったのだが、それが単なる復讐に終わらないで、献身(文字通りいのちを捧げる)の愛という形へと昇華されていくストーリーだ。ソウルの下町、製造業の零細の町工場(というより家族だけのボロ家)の、リアリティ感のある雰囲気がよかったが、そんなリアリティと、ある種の寓話的な色彩を帯びた作風が、交差するのがユニーク。それでいて、カメラのズームインのぎこちなさ(不自然さ)を随所に残すことで、「これはあくまで映画なんだ」というメッセージも残しているように、ぼくには思えた。

 とんでもなくオリジナル溢れる作品を撮るものだと感心して、皆さんに勧めたい。ただし、かなり残酷なシーンもあるので、その手が苦手な人にはちょっとお勧めできないかもしれない。日本人には、馴染みは薄いが、ピエタとは、イタリア語で、哀れみや慈悲などの意味があるが、死んで十字架から降ろされるイエス・キリストを抱く、聖母マリアの彫刻(聖母像)や絵を指すのだそうだが、なるほどと唸る作品。

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