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2013年7月の16件の記事

長距離リレー

大分県津久見市の寺が開いた小学生対象の1泊2日の合宿で、服を脱ぐゲームが行わ、男女約20人が全裸になっていたことがわかった。

   朝日新聞の報道などによると、合宿は2013年7月22日から23日まで行われ、寺を母体とする学校法人が運営する幼稚園の卒園生を中心に1~5年生の約60人が参加した。ゲームは本堂で6班に分かれ、身に着けている服やベルト、ハンカチなどをつなげて長さを競うルールだった。パンツを脱げば男児に100点、女児に200点が加算され、全裸になった児童には紙製の金メダルが贈られたという。

   寺は保護者からの抗議を受けて7月27日に説明会を開き、謝罪した。住職は「約20年前から行っており、子どもは喜んでいると思っていたが、配慮が足りなかった」と話したという。

(以下は、読売新聞ネットニュース引用)

  大分県津久見市の寺が開いた小学生対象の合宿で、脱いだ服の長さを競うゲームが行われ、男女約20人が全裸になっていたことが30日、寺への取材で分かった。

 寺側は抗議を受けて保護者に謝罪。住職は「約20年前から行っており、子供は喜んでいると思っていたが、配慮が足りなかった」と話している。

 住職によると、合宿は22、23日に行われ、住職が園長を務める幼稚園の卒園児を中心に1~5年生の約60人が参加した。問題となったのは班対抗のゲーム。身に着けているものを脱いだり外したりしてつなげ、長さを競うルールで行われ、1~4年の約20人が下着も脱ぎ全裸になったという。

 幼稚園の教諭らもボランティアで運営に関わり、全裸になった児童には新聞紙で体を隠させた。来年から、このゲームは取りやめ、合宿自体についても継続するか検討するという。

  実は、このゲーム、華光仏の子供大会では「長距離リレー」と称する、「室内オリンピック」の定番競技で、だいたい隔年ごとには行っている。とにかく、最後にやれば盛り上がることは間違いないテッパン競技だ。集団心理というか、競争心理も働いて、とにかく盛り上がるのだ。しかも、問題は、長く繋げることだけではなくて、今度は、同じように着ることも競い合わせるので、たくさん脱いだら、後で不利にもなるように、工夫している。

  だから、これまで60年近い歴史の中で、調子に乗ってシャツを脱ぐ男子はいても、一度たりともパンツまで脱いだ子はいない。ましてや女子は、下着姿にすらならない。いくら競い合っていても、普通に競技をやれば、低学年でも、そこまでの常識はあるのだ。

  ところが、ここでは60名のうち20名というから、1/3もが全裸になっているというのである。読売の記事を読んで、新聞紙で体を隠したというのだがら、何らかの配慮もあったようだし、悪ふざけの雰囲気が容認されたのに加えて、ボーナスが加算されることや、特製の金メダルの授与が大きかったのだろうか。

   このあたりのニァンスは一方的な報道だけではわからないけれど、こんなことが報道される社会ということも含めて、なんだかバカバカしさに思わず、反応してしまった。これが始まった20年前とは、ずいぶん社会常識が変わってきたということだ。悪ふざけというか、お遊びだと、おおらかさですまそうとすると、お叱りをうける社会になったのである。 

 これからは、子供大会の諸注意で、「男の子でも、決して乳首をみせたり、パンツは脱いではいけません」と、厳重注意をしてから始めないといけなくなったなー。

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愛別離苦の悲しみ

 朝から夜まで、訃報に接した日だった。

 高齢のお父様をな亡くされた男性。若くして闘病中の妻を亡くされた方は、来館のうえで、心情を聞かせてもらった。ご主人を亡くされた女性にお悔やみの電話をし、長年、米国での布教活動を支えてくださっていたご主人を亡くされた奥様には、お悔やみ文を綴った。ただ、ここが檀家を抱えたお寺とは違うところで、皆さん、既に葬儀も終わってからの連絡である。

 それぞれの関係や立場は違っても、親近者の死-親であったり、連れ合いや子であったり近ければ近いほど-愛別離苦の悲しみは深く、辛いものはない。

 それにしても、命は儚く、脆い。まさに、朝には紅顔あって、夕べには白骨となる身なのである。と同時に、大命といわれるように、この娑婆に命をもらう誕生も稀なことなら、その定命を生き、そして死んでいくことは、一大事業でもある。死ぬこともたいへんなら、それを支えることもまたたいへんな事業なのだ。それぞれの業縁によって、さまざまな死があり、さまざまなご因縁や関係が生まれた。残された者にも、簡単に区切りがつくものではなく、故人の足跡はいろいろな意味で、遺族に深く刻まれて残っている。それに向き合うこともまた一大事業である。

 しかし、仏説にあるがとおり、独り生まれ、独り死に、独り去り、独り来るのであって、それぞれが、その定まった業によって、それぞれの行き先に赴いていくのである。残された私も、また独り死に、自らの業の世界へと独りで出かけていかねばならない。そこに一大事があるのだと、お釈迦様は教えてくださっている。そして、苦から苦へと繋がる迷いの世界を一刻も早く離れて、目覚めの世界、悟りの世界に帰って来いよと、呼びかけてくださっている。その呼び声を聞くことに、この娑婆に生まれさせてもらったのである。

 亡くなっていかれた方もまた、この仏説のまことを教えてくださる仏さまのお働きなのであろう。

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温泉とプールで

Img_6350  初日は片山津温泉、2日目に粟津温泉と、加賀の温泉に宿をとって、2ディーチケットで、芝政ワールドで遊んだ。

 雨を心配した旅行だっが、幸い、Img_6356深夜や移動中に激しい雷雨にはなったが、日中は好天に恵まれた。

 おかげで、2日間、たっぷり泳いだ。いろいろ遊べても、子供たちは泳ぐのがいちばん好きなようだ。特に、下の子は、クロールが出来るか出来ないかというところで、泳ぐことに一生懸命だ。

Img_6293 日焼けには用心していたのに、大型スライダーの列に並んだときに、肩と頭をかなりやられた。肩や背中が真っ赤になって、痛々しい。頭は、顔と、頭との境目がクッリキできて、ある意味で、なんとも痛々しい(。>0<。)。要は、昔は、ここまで髪があったのだ。Img_6303 

  泳いだだけでなく、バギーカーや射撃などもした。ぼくは、アーチェリーが面白くて、かなりはまった。旅館でも、ずっと卓球やゲームをして、かなりImg_6212楽しんだ。
 いろいろとやっても、まだまだ子供たちは負けないと思っていたが、だんだん年は感じるようになっている。今年は、なんとか父親の体面を保ったが、上の子には、まもなくかなはなくなるだろう。親としては、それもまたうれしく、どこか寂しいものであるなー。 

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恐竜博物館

Img_6117_2 夏恒例の家族旅行。ぼくも、子供たちも、楽しみにしている。

 ところが、梅雨があけて快晴が続く夏本番というのに、今年は、梅雨末期のような集中豪雨が、Img_6136日本海側を中心に頻発している。天気予報では、3日間とも雨だ。加賀の温泉を巡って、海や大型プールでたっぷり泳ぐ計画なのに、雲行きのほうがあやしい。

  というわけで、雨だった初日は、予定を変更して、恐竜博物館Img_6141_2向かった。

 恐竜といえば、どちらかといえば男の子の好きなもので、ふたりともそれほど関心Img_6154はない。それどころか、大きな声で啼くような復元恐竜があるのではないかと、怖がっている。ぼくにしても、恐竜の名前も何一つとして知らないのである。ワニ類は、別に先祖がいて(恐竜のライバル)、鳥類の先祖であることなども、今回初めて知ったほどだ。

Img_6175 それでも、きれいな立派な施設で、展示も充実していていた。映画をみて、上の子はかなり興味をもっていた。ぼくにしても、羽Img_6169毛で覆われた恐竜や、単なる化石だけではない部分の発掘も進んでいることや、訪れたばかりのシルクロードのゴビ砂漠で発掘された展示なども、かなり身近に感じるものであった。中国奥地では新発見のものが多いそうだか、確かに、あの猛烈な乾燥紀行と、岩が露出した地形から考えても、それImg_6159は分かる。

 美しい化石もあったし、迫力のある展示だImg_6191った。好きな人は、きっと大人でも大好きだろう。貴重な展示もおおい。しかし、所詮、化石や、大半は復元された骨格、想像される複製を眺めるのが主であって、いま、動いたり、生きているものはいない。それでいて、こんな人工物を前にしても(本物はともかく)、館内フラッシュ禁止の意味もわからんしなー。第一、こちらが主体的に何かを体験的に楽しみという施設ではなかった。下の子にいたっては、「外の公園で遊ぶのがいちばん楽しかった」という始末だ。悪くはなかったけれど、わが家では、次はないなーという施設。つまりは、あまり興味がないということだ。

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8月の法座案内

  何年かぶりにハガキの法座案内を作製した。昔は、これもぼくの仕事だったが、手が離れて久しかったが、緊急での作業である。

 8月は、行事は少なめだが、3泊4日の仏の子供大会は準備がたいへんだ。法座案内にはないが、お盆参りもあるし、広島での真宗カウンセリグWSもあるので、けっこう8月は忙しい月になった。

 法座案内に合わせて、「同人会ニュース」も作製した。4名の方が寄稿くださった。仏青・東海合同法座と、東京講習会の感想に、支部長研修会の報告に、巻頭は、「シルクロード紀行」と題して、ぼくの短い随想を載せた。4件とも、6月の行事ばかりだが、内容も充実していたが、文章も短いが、力作揃いで、充実したライナップである。ただ、これだけの活動と内容がありながら、収益面からみると、6月はなかなか厳しいものがあった。まあ、これも華光の短所であり、特色でもあるから、致し方ない。

 いずれも、華光同人向けに発行しているので、それ以外の方には、以下のHPの8月分の案内で、ご確認の上、奮ってご参加ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/index.html#201308

 

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御馳走

 博多では、御馳走も楽しみだった。

 初日の夜は、法座ではなくて、懇親会だ。久しぶりに、博多しゃぶしゃぶのあり多で、ご馳走になった。店Img_6097主の人柄のとおりの雰囲気のある、いいお店だ。
 おしながきには、「無量」コースというものがあった。おお、さすが念仏者。でも、無量なので、限りがないのかといえば、120分とか、150分とか時間が決まっていた。いや、ほんとうの「無量寿、無量光」の無量(アミタ)は、阿弥陀様だけだという、深いお示しであろう。

Img_6101 でも、たっぶりお肉をいただいた。これだけ肉食をするのは久しぶりである。

 楽しく懇親会が終わって、Y家の家族とご一緒に、スイーツで〆た。

 「ニョロニョロ」+「モジャモジャ」がお出迎えする、ムーミン・カフェだ。

 翌日のお昼は、ご自宅の近くにある、蕎麦の名店に案内された。

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住宅街の真ん中に、隠れ家のようにそっとある。昼間の短時間だけの営業なのは、それだけ自信のあらわれ。通が絶讃する名店だそうだ。

 しかしである。ぼくは、好き嫌いは少ないないほうだか、蕎麦だけはダメだ。アレルギーがあるので、調子が悪くなる。小学生の3年生までどうもなかったが、小児ぜんそくになって以降、調子が悪くなるので、ソバガラの枕も避けている。しかし、そこはよくご理解のうえで、もうひとつの名物である「天丼」を紹介いただいた。エビが2匹が乗っている。けっこうなお値段だったが、それに見合うだけの上品な味だった。人数分より、注文数がおおいとおもっていたら、Tさんは、蕎麦と天丼の両方で、大満足の様子。

 というわけで、法座の内容よりも、食べることの方が、詳しい。殺生の話を、喜々として掲載して、浅ましいとも思わないのであるから、ほんとうに無明というのか、無慈悲というのか、どうやら煩悩に限りはないようである。

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福岡家庭法座

Img_6112_2   福岡での家庭法座。

 事務所のTさんも一緒にお招きいただき、博多へ。

 初日は会計事務所で1座。翌日は、ごImg_6111自宅で2座。

 飛騨の匠、東さんの製作の仏壇(ご本尊)がお出迎えくださる。華光会館の2階の仏壇、3階研修場のご本尊もそうなので、ある意味、華光会館とは兄弟のお仏壇というImg_6110ことだが、とても柔和なお顔をされている。右の蓮が浮かびあがっているように見えたら、これも彫刻だった。

 華光のように小規模な集いでは、家庭法座の意味は大きい。会場ひとつでも、貸し会場やホールにはない、落ち着いた雰囲気や、温かさがある。会所の方は、準備(そうじや片づけ、お迎え)でたいへんだろうが、そこに人が集い、法座が持たれるは、その場所や家族に法徳があるからだ。経典によると、お釈迦様のお命が捨てられた場所だということになる。

 それに、家庭法座のよさは、家族や有縁の方へのご縁の場になることだ。今回なら、お嬢さんたちも法座に座ってくださったのが、有り難かった。これからは、事務所の職員の方にも、ご縁を結んでもらたいと念願されているが、これは気長に関わっていくしかない。仏法を聞くということも、やはり宿縁のたまものである。この場合は、自力で積むというより、お育て、ご縁のたまものといっていい。

 仏さまのお命をいただいてのご法座に、縁あって、いま会わせていただているのである。一座、一座の法縁こそ、大切にさせてもらいたい。

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週末の法座案内

 いろいろあって、華光会のHPが滞りがちなので、ここでも、法座の告知をしておこう。以下は、華光会HPのトップページにも掲載されているのと同じ内容だ。

 明日から、ぼくは福岡(博多)家庭法座にお邪魔する。 

1)九州支部法座(山崎家家庭法座)
◆7月20日(土)・21日(日)
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/07/kyusyu2013-7.htm

 華光会館では、午前が日曜礼拝、午後が仏教青年会=子供大会の法話会がある。

2)日曜礼拝
◆7月21日(日)午前10時~12時
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/07/nitirai2013-7.htm

3)仏教青年会
◆7月21日(日)午後1時30分~4時30分
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/07/bussei2013-7.htm

 同日、悟朗先生は、生駒での大阪支部だ。

4)大阪支部法座
◆7月21日(日)午後1時30分~4時30分
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/07/osaka2013-7.htm

 皆さん、奮ってお参りください。

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7月の月例会

  ロジャーズの臨床実践に入って、「セラピィの脱神秘化」「録音と撮影」を読む。これまで神秘のベールに包まれていた治療プロセスを、可視化し、検証可能にしたところに、彼の革新性がある。それは、彼の開かれた態度が、単にクライエントに開かれているだけでなく、社会にも開かれていることにつながるのだろう。確かに治療過程は、マニュアル化できるものではなく、それぞれの経験に開かれている一瞬一瞬の過程であるのだか、それを包み隠し、専門性の彼方に追いやらないところに、彼の揺るぎない自信と、科学性を追求する態度がしったのだろう。

次回からは、臨床実践の具体例を入るのだが、実際のロジューズの映像を観たことがないという方もあったので、「グロリアと3人のセラピスト」か、「ミス・マン」の事例のどちらかのビデオを観ることになった。

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「壮年の集い」前日

Img_6041_2 自力整体の後、烏丸四条を通ると、山鉾が建っている。完成しているものもあるが、船鉾や岩戸山などは、まさに作業中。まだ、鉾と曳き山だけで、33基が揃うのは、明日以降だが、次回は絢爛豪華な鉾や山が揃っているだろう。Img_6044

 会館に戻ると、明日の壮年の集いのために、北海道からYさんが、早々と来館されていた。お手伝いもしてくださるので助かる。その後も、重なるように来客が続く。壮年の打ち合わせ、子供大会の打ち合わせ、そして6月の会計の説明に、今後の事務作業の変更への対応には、新Img_6046たな難題が生じて、正直、頭が痛い。

 遅い夕食の後で、壮年の集いの教案にとりかかる。法話は、2度するチャンスをいただいた。一度は、シルクロードの感想を中心にするが、そのために、写真を見ていただくつもりだ。ただ、2台のカメラで撮影したので、重複等の取捨作業がたいへん。特に、人が写っている写真は、できる限り生かしたいので、余計、捨てられない。しかし、不参加の方で、人の旅行に関心のない方も多いだろう。30分くらいがちょうどいいのだろうが、なかなか減らせない。最後は、「長くなっても、嫌になっても、見せてやろう」と開き直ったら、逆に、少し減らせるようになった。それでもまだ1時間はゆうにかかる。まあ、後は皆さんの反応を見ながらである。

 もう一席は、先日の伝道研究会で行った「六字釋」を予定している。ほんとうは、鳩摩羅什三蔵様にならって、「阿弥陀経」の話でもいいが、これは各支部法座で、ボチボチと話している。六字釋は、確かに難しいだろう。でも、壮年の方には、教義的な押さえが、自己の上の喜び結びつくように聞いてもらいたいのだ。

 もう遅くなったが、明日からが楽しみ。明日の午前中に、もう一仕事だ。

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そして『嘆きのピエタ』に震える

130614 そのまま京都シネマへ。

 キム・ギドクの新作『嘆きのピエタ』を観る。

 彼の作品は、常に評論家の評判も高くて、最新作は欠かさず観ている。いつも、どこかミステリヤス(一言もセリフがなかったり、耳が聞こえないとか、口が聞けないとかね)な設定がおおく、しかも一筋縄ではいかない骨太の話が多い。でも、彼の作品は10本は観ていると思うが、彼の世界観とのズレも感じることもおおくて、関心もしつつも、僕自身のサムシングとはフイット感に乏しかった。

 それが、前作の『アリラン』は、3人のキム・ギドクが苦悩し、もがき、自己との対話を繰り返し、対決し、道を開いていく姿を描く、いわばセルフ・ドキュメンタリー風で、その真摯さと、ちょうどぼく自身の悩みとがリンクするかのようで、タイムリーで、かなり響く作品だった。

 でも、それ以上に、この『嘆きのピエタ』は、ぼくにいちばんフィットして、かなり入れ込んだ。いや、年に150本以上の新作を観る中でも、これは数年に1度しかない魂を揺さぶられる映画だといってもいい。

 高利での借金のために、相手を残酷な形で障害者にして、その保険で返済をさせる鬼畜のような借金取立て屋の若い男の前。天涯孤独の彼の前には、突然現れた母と名乗る女性。彼を捨てた母は、献身的に許しを乞う。彼女を警戒し、拒絶していた彼が、徐々にその立場が逆転していく。しかに、そには復讐劇があったのだが、それが単なる復讐に終わらないで、献身(文字通りいのちを捧げる)の愛という形へと昇華されていくストーリーだ。ソウルの下町、製造業の零細の町工場(というより家族だけのボロ家)の、リアリティ感のある雰囲気がよかったが、そんなリアリティと、ある種の寓話的な色彩を帯びた作風が、交差するのがユニーク。それでいて、カメラのズームインのぎこちなさ(不自然さ)を随所に残すことで、「これはあくまで映画なんだ」というメッセージも残しているように、ぼくには思えた。

 とんでもなくオリジナル溢れる作品を撮るものだと感心して、皆さんに勧めたい。ただし、かなり残酷なシーンもあるので、その手が苦手な人にはちょっとお勧めできないかもしれない。日本人には、馴染みは薄いが、ピエタとは、イタリア語で、哀れみや慈悲などの意味があるが、死んで十字架から降ろされるイエス・キリストを抱く、聖母マリアの彫刻(聖母像)や絵を指すのだそうだが、なるほどと唸る作品。

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自転車に乗って山鉾の組み立て見て…

 愛車(クロスバイク、早い話が自転車ね)の後輪がパンクしている。いくら直しても、また1ケ月もしない間に、別の箇所がパンクする。そんなことを数回繰り返す内に、修理が邪魔臭くなって、そのまま放置していた。遠出先でパンクし、自転車屋が見当たらずに、1時間以上歩いて帰ることもあって、こんなに頻繁にパンクすると、ちょっと怖くて乗れない。ぼくの移動範囲は、だいたい自転車移動なので、自転車がないと困る。しかたないので、ママチャリに乗っていた。カゴがある分、便利ではある。

 どうやら応急のパンク修理ではなく、チューブ交換が必要なようだ。いつまでも、そのままにしておくわけにいかないので、暑い日差しの中、自転車屋まで修理にいった。一目見るなり、Img_6029「チューブじゃなくて、タイヤごと替えないと、ボロボロだわ」と言われた。少し特殊な大きさなので、取り寄せる必要があって、そのまま預けて帰ったのが、交換が終わった。今日、やはり暑い日差しの中、受け取りにいった。

 他も調整してくれていて、走りごこちはよくなった。第一、すぐにパンクしないだろから、安心して、自転車を漕いだ。Img_6031まわりの人は、「暑い、暑い」と音を上げている。確かに猛暑日が続いて暑い。でも、ぼくは、暑い日が好きだ。汗をかくのも嫌いではない。むしろ、強い冷房が苦手なので、この時機は、長袖が手放せない。

 快調に自転車は走る。気分よく走って、四條通まで出ると、祇園祭の山鉾の組み立てをしていた。20~30メートルを超す巨大な鉾を、一切クギを使わず、縄だけで組み立ていくのだそうだ。写真は、月鉾の様子だ。次に、ここを通る時には、その勇姿を観ることになるだろう。 

 そのまま京都シネマへ。キム・ギドクの新作『嘆きのピエタ』を観た。

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梅雨明け

 京都の最高気温は、36、9度もあった。

 例年より早く、梅雨が明けがあけた模様だ。例年は、祇園祭りのころなので、かなり早い。今年は5月末に、かなり早く梅雨入れしたが、その後は、最初はカラ梅雨で、猛暑も続いた。梅雨か明けから、早くもこの猛暑である。ちょうどその時間、自転車で走っていたが、かなり暑かった。

Img_5133 先日のシルクロード旅行。古来の高昌国、いまのトルファンに滞在したときの最高気温は42度もあった。真夏には、50度を超す日もあるというのだらか、ちょっと想像もつかない。西遊記でも、ここの火を噴く山、火焔山の難所が、見せ場の一つである。それでも、最低気温は20度と、温度差が20Img_5371度以上もある。しかも猛烈な内陸型の乾燥地帯だ。年間の降水量は、33ミリほどだと聞いたが、日本なら、強い雨が1時間ほど降った程度の雨量だ。生まれて初めての40度超えの世界だったが、直射日光は猛烈でも、日陰に入ると風があって凌ぐことができる゛からっとした暑さである。

 旅行中は、中国も猛暑で、上海で38度以上もあった。ここは日本のように蒸し暑かったが、それでも、京都に戻ってきた時のムシムシ、ジメシメとして蒸し暑さは、また別次元である。

 単なる高温だけでは計れない暑さが、これから本格的になる。

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安芸高田市での家庭法座

Img_6020 7月の第1週目は、広島の安芸高田市での家庭法座。恒例になって、すでに9年目に入った。
 いつもと同じように、広島駅に集合して、会所の家業であるジャンボタクシーの送迎を受けて、約1時強かかる。それでも、ご親戚や地元の坊守さんもお参りに加えて、Img_6019備後の福山や島根からのお参りが、30名ほどあって、車座になると、会場は一杯になっていた。ここは、年々人数が増えているようだ。

 これまた楽しみの一つである、蓮の華は、昨晩の雨で散ってしまったそうで、次の蕾は、これからというところ。今年は残念ながら、Img_6023拝ませてもらえなかった。
 今日は、不安定な天気で、強く雨が降ったかと思うと、日が射してたり、また雷雨になったりと、雨や晴れを繰り返している。それでも、縁側から開放された仏間には、涼しい風が入ってきて、心地よい。Img_6026

 軒下には、ツバメが子育ての真っ最中だ。親ツバメが田んぼの上を飛び回ってる。巣には、親鳥のエサを待っているのだろう。ヒナたちが、首延ばし、大きく口をあけて、鳴いている。
 子が親を待つのは、人間も畜生も同じようだ。

 法話の冒頭、シルクロードの旅の強烈な余韻が残っているので、そのことも少し聞いてもらったが、まだ写真などの用意ができていないので、予告程度に留Img_6022めた。親戚や地元の方もお参りされているので、なるべく平易な話題を心がけた。

 この世の中に、最初から、ゴミと言われるものはない。私のために役立ってくださったいのちが、私を活かし、使って不要になったものを、邪魔ものとして「ゴミ」と呼んで、捨てていくのである。同じによう、最初から食べ物といわれものもなく、すべていのちある「生きもの」なのである。高級ホテルを除いて、中国でのトイレはすごかった。とくに、田舎はハエと悪臭、そしてそのものが山盛りで、日本人にはちょっと堪えられない。しかし、よく考えたら、初めから糞というものはない。私が、いのちを「食べ物」として奪い、それを口から入れ、消化し、必要な栄養を奪い、不要になった残りカスを糞としてだすだけのことである。つまりは、私達が、汚がるゴミにしろ、糞にしろ、もともといのちあるのを、この私が使うことで、ゴミにしたり、糞にしているのである。元凶は、私自身にあるのだ。第一、私がきれいだと思っている、この顔。この顔かでるもの-目、鼻、耳、口、みんなクソが付く物ではないか。きれないと思っているこの顔から、実はろくなものはでないのだ。ご法に会うとは、私が正しい、他が間違っている、もしくは、私はきれい(清浄)、他が汚いと思っている見方から、真実の如来様の視点にたって、実は轉倒(てんどう)している姿を教えていただくことである。

 そして、もうとひとつ大きなどんでん返しがある。私からでるものは、ゴミか、糞しかないように、私のこの口からも、怒りか、愚痴か、悪口や噂話の類と、ロクなものは出ない。しかしである。その虚仮の口から、真実の南無阿弥陀仏が飛び出てださるのは、何故なのだろうか。しかも、これだけは、泥の中から生まれて、けっして泥に汚されないで清浄の蓮の花が咲くように、私の煩悩に汚されることなく、真実・清浄の南無阿弥陀仏の華を咲かせてくださるのである。その南無阿弥陀仏の姿を、頭を垂れてお聞かせに預かることが、聞法なのである。

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成長

 母親の留学に同行して、アメリカ留学していた子供たちが、約1年ぶりに帰国した。正確には、11ヶ月ぶりの再会に、ちょっとドキドキしながら、出迎えた。スカイプで顔を観ていたとはいえ、実際にあってみると、やっぱり大きく、たくましくなっている。一方で、この一年で、成長どころか、ずいぶん衰えていく人もいるので、思いは複雑だ。

 たた、二人の成長ぶりとともに、そのよき資質の部分においては、やっぱり子供たちは子供たちだなーと思わせられることが多くて、それはそれで、変わらない姿がうれしくもあった。

 みんなで、久しぶりに楽しい一夜を過ごした。

 今日は、お土産の交換をした。アメリカ土産と、ぼくからはシルロード土産である。ワイワイしているうちに、時間はアッという間に過ぎていった。二人とも興奮して、0時を過ぎても、まだ起きている。

 アメリカの詳しい話は、明朝以降になるのだろう。

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中国シルクロードの旅

  中国シルクロードの旅、18名が無事に、日本に戻ってきました。
アメリカから参加のKご夫妻は、いまアメリカに向かう機上の人ですが、日本の皆さんは、それぞれの家に戻っていかれました。

 まず、華光同人の皆さん18名とすばらしい旅行ができたこと、ほんとうに楽しかった。ありがとう。トラブルも含めて、ほんとうにいろいろなことがあった7日間は、あっという間にすぎました。観るもの、聞くもの、触れるもの、感じることがさまざまあったほんとうに感動的な旅でした。

 いや、ほんとうに遠かった。よくぞ遠路はるばる憧れの地まで訪ねさせてもらいました。日本では想像もできない壮大な大自然に触れました。広大な砂漠を何時間もバスを走らすと、僻地に巨大な千仏堂といわれる仏教遺跡(僧院)が広がっています。そこには色鮮やかな仏画が残されています。そんな遺跡を4ケ所-敦煌の楡林窟、莫高窟、トルファンのベゼグリク千仏堂、そしてクチャのギジル千仏堂をまわりました。やはり、敦煌は想像以上にすばらしかった。入場料とは別に、一人あたり、15,750円も払って、四カ所の有料窟もみましたが、どれも感動的でした。

 また、玄奘三蔵様を慕って、トルファンの高昌古城跡で、阿弥陀経をお勤めしましたが、ほんとうに、三蔵様のお心が、ここに生きておられるという思いで、胸が一杯になりました。また、鳩摩羅什様のクチャのギジル千仏堂での勤行も、すばらしかったです。現地にたって、日本で絶対に想像できない、先達の命懸けのご苦労のおかけで、私に仏法が届いていることに、お念仏申さずにはおれません。

 でも、すべて滅んでしまった遺跡です。インドのすべて仏跡も、その仏教が通ってブッタロードも、単なる遺跡でした。どれだけ目を見張るような美術品も、そこには生きた仏教はありません。

 では、どこに仏教、大乗仏教が生きているのでしょう。そうです。私の中には、南無阿弥陀仏が生きて働いておられます。そのことを実感させれらる旅でした。形は代わっても、玄奘様たちのように働かせていただきたい。いや、そのことを体感させられた旅は、感動ともに終わりました。南無阿弥陀仏

  各地の詳細は、2000枚も撮った写真と添えて、連載していきます。

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