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高山支部法座~子ども会は盛会~

 週末は高山支部法座。

 昨年と同じく、土曜日の昼食は、日高支部の皆さんと、華光会館でご一緒した。悟朗先生の宿泊法座が難くなったので、日高の皆さんが、華光会館にお出でいただいての、半日法座。20歳台の悟朗先生と一緒に、60年を歩んでこられたのだ。日高の皆さんも、老苦や病苦の真っ只中におられる。参加予定者の急なキャンセルが相次いで小人数での、小旅行だったようだか、法座の方は、京都、大阪の同人も加わって尊い集いとなったようだ。

 ぼくの方はお昼を御馳走になったあと、新幹線に乗って、高山に向かう。名古屋で乗り換えて、高山線を揺られていく。車中、『大人のための仏教童話』を読む。これはいろいろと面白かったので、また機会をあらためて書きたい。

 今回の高山支部法座。遠方からの顔ぶれは、京都、滋賀、和歌山、富山に、新潟の家族連れと、常連とはまた違って新鮮。法話も、つとめて聖教などの解説風ではなく、日常や法座の身近な話題を題材に。

 そして、日曜日の朝は、前半が子ども会の法座。高山支部の日曜学校である。新潟の家族の参加もあって、小学生~中学生だけで、13名も参加。これは将来が楽しみだなー。

 子ども会の法話は、「仏さまってどんな方」と、全員にそのイメージや思いを尋ねたあと、ジャータカ物語から、「シビ王とタカ」の物語。さてタカとは誰のこと? ハトとは誰のこと? どうして、ハトとシビ王の重さは釣り合ったのか。さらに、シビ王の(衆生済度を第一と考える菩薩)の清浄、真実の慈悲心による布施行が、真実の利他行へと展開するおこころをいただいた。これは、大人の方にもじっくり考えてもらってもいいかもしれない。ほく自身にしても、子供の時に聞いた印象も強かったが、もっともっと仏さまを血みどろにしているタカこそ、自分自身だと懺悔させられた、お念仏を喜んだ直後の思いとも、いまはまた違って味わえる。菩薩の慈悲心は、単なる慈愛の心ではなく、それが利他行の源泉であり、その究極が法蔵菩薩の大慈悲心に通じることが、尊く味わえるのである。

道を求めてたとい身は    苦難の毒に沈むとも
ねがい果たさんその日まで 忍びはげみて悔いざらん

 それが、自利利他円満した南無阿弥陀仏のお心である。

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