當麻寺~極楽浄土へのあこがれ~
今回のお目当ては、興福寺の南円堂と北円堂だ。中でも、無著・世親菩薩にお会いすることである。
本命の前に、奈良国立博物館にも足を延ばす。特別展として、當麻寺~極楽浄土へのあこがれ~が開かれていたからだ。
ぼくの後ろの2人目の入場者が引き止めれている。背広姿の関者やカメラマンがいるなと思ったら、ちょうど入場5万人目のセレモーニー。ちょっと惜しかったような、煩わしくなかったような…。
さて本題。 二上山東麓の當麻寺へは、伊藤康善先生のゆかりの聞法旅行で訪れたことがある。ぼくが中学生のころのことだ。『仏敵』の中に、「二上山脚に墜ちていく春の太陽は真紅に燃えて…」という一文がある。伊藤先生の當専寺のある新庄町と、當麻寺のある当麻町は隣接していて、いまは合併して葛城市となっているのだ。日想観ではないが、二上山への美しい落日こそ、極楽浄土へのあこがれの原風景だったのだろう。
今回の特別展は、當麻曼陀羅(たいままんだら)の一二五〇年記念にあたるそうだ。さらに當麻寺の自体が、「伝」ではあるが推古朝まで遡り、約一三〇〇年の歴史があるそうだ。
もっとも、後期日程なのて、国宝の當麻曼陀羅(根本曼陀羅)は展示替えで、文亀本の重文の曼陀羅が展示されていた。国宝本は、長い年月を経た影響で、かなり不鮮明になっているので、文亀本の方が鮮明に図柄をみることができる。
加えて、デジタルの詳細な解説で、浄土変相図の見方が示されていた。右側の「王舎城の悲劇」に始まり、左側は「定善十三観」、下方には「九品往生」が順序描かれている。そして中央が、弥陀三尊を中心に、極楽浄土のありさまが描かれている。いわば、『観無量寿経』の世界観なのだが、これが善導大師の『観経四帖疏』の解釈と一致している。
そのことが、後に、浄土教、中でも一遍上人や證空上人へと影響を与えていく。特に、證空の西山義とは強い結びつきを生むが、そうえいば、禅林寺(永観堂)でも、當麻曼陀羅を観たことがある。
當麻寺自体も、聖徳太子の影響から始まり、真言宗でありながら、その後の浄土宗の強い影響をうけ、さらには奈良の山岳信仰とも結びついていく。その背景にあるものが、どの時代においても、庶民の忺求浄土と、極楽浄土への往生を願ったからであって、このような形で、願生浄土の火が脈々と灯し続けれらていることに、感銘した。
ところで、當麻曼陀羅は、中将姫伝説とあわせて拡がり伝説となり、篤く信仰の対象となった。中将姫伝説が、仏教美術や絵巻物を生み出すしていく。もう一つの有名な彼女のエピソードが、『称讃浄土仏摂受経』(『称讃浄土経』)の千巻の写経である。『称讃浄土経』といっても、ピンと来ない方も多いだろうが、これは、玄奘三蔵が翻訳した『阿弥陀経』の意訳である。ちなみに、「舎利弗」は「舎利子」と表記されている。玄奘の翻訳は、正確さにおいて勝れて、彼以降の訳を「新訳」(しんやく)といって称讃されるのだが、『阿弥陀経』に関しては、鳩摩羅什三蔵の経文が流麗さにおいて、正依とされている。今度の華光会のシルクロードの旅では、この玄奘・鳩摩羅什の二大訳聖の御跡を慕わせていただくのである。
ぼく自身は、當麻寺を参拝は、かなり前のことで記憶が曖昧だったので、今回、予想以上に豊富な寺宝があり、また関連の宝物も充実していて、いろいろと有り難かった。
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