舎利弗よ
先日クイズ番組で、「舎利弗」という姓名の読み方が出題されていた。もちろん、普通に「しゃりほつ」さんでは、問題にならない。
さて、なんと読むでしょうか?(正解は最後に)
ところで、今回の永代経法座は、法要は、『大経』(四十八願)、『観経』、そして『小経』(阿弥陀経)の浄土三部経をお勤めさせてもらった。
勤行前に、M師より、皆さんに、そのお経の簡単な説明があったが、これがご法話のようで有り難かった。けっして知らないことではなく、いつもお聞かせに預かっているのだが、原文になると難しく感じる。ただ文字を追うようにあげるだけで終わってしまう。せっかく、実際に読経するのだ。少し言葉の意味にも心を馳せながら、しかも、自分の声に出し、皆さんと一緒に勤めさせていただくことが、たいへん尊くも素晴らしいことのように思えた。
最終日の『阿弥陀経』は、釈尊の一代結経といわれ、また、無問自説といわれている。釈尊の一代の最後のお経であり、またお弟子の問いを待たずに、一方的にお説教が続いているからである。
その聞き手が、智慧第一といわれた舎利弗尊者である。だから、釈尊は、何度も何度も、
「舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ…」
と呼びかけつづけてくださるのである。(そのことについは、二月の同人会ニュースに、伊藤康善先生が、物語風にお経の誕生の背景をお説きくださっているので、またお読みください)。
その数、実に36回も「舎利弗よ」との呼びかけがあるのだと書かれていた。それを読んだ方から、「一つ一つ数えみたら、38回も「舎利弗」とありましたが…」との質問があった。まあ、確かめる同人も、ただ人じゃないけど…。
実はお経の冒頭の六事成就と、最後の結びで、会座の聴衆として紹介され、お説教が終わって舎利弗以下が退席されたという2ケ所は、釈尊の呼びかけではないからだ。
それでも、実に36回も、「舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ…」とお釈迦さまに呼びかけられておられるのだ。
今回、ぼくもそのことに心を馳せながら、勤行をしていた。
するとである。
ああ、そうだなー。呼びかけられているのは、舎利弗尊者ではなかった! この私をめがけて、「かりもんよ、かりもんよ、かりもんよ…」と、仏様は呼びつづけ、真実を指し示して続けてくださっているのだと、味わわずにはおれなかった。なんと有り難いことか。
愚かにも、何百回も、人ごとのように勤行してきたことであろうか。
ところで、冒頭のクイズの正解は、「とどろき」さんというのだそうだ。
釈尊の一番弟子であり、智慧第一の名声が轟き渡っているからだそうだ。
すると、『阿弥陀経』では、36回もその名が轟き渡っている。
いやいや、彼の名声ではない。如来のお働きのおかげで、その中が響き、轟き渡っているのだろうなー。
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