まなざし~無著菩薩との出遇い
こんなにドキドキ、ワクワクしながら、お会いすることは初めてのことだ。たとえば、鑑真和上像や、今月初めの浄土寺の阿弥陀三尊など、楽しみにしていた祖像・仏像に、感銘を受けることはあったが、何か会うべき方にお会いするといった予感めいたものあった。
国宝の北円堂に入る。ここはクツのままでよかったが、南円堂をでる時クツの紐は緩めていた。
正面に、国宝の弥勒如来坐像が鎮座される。
しかし、僕の目は、左側にお立ちの無著(むちゃく)菩薩の静かなまなざしに魅せられていた。あっー! 静謐で、本質を見抜ききったまなざしと佇まいに、やさしく見つめられている。お堂に入る前のドキドキ感は、これだったのだ。涙が込み上げてきて、感動で嗚咽しそうになった。いかん、いかん。あわててしゃがみこんで、クツの紐を結び直し、クールダウンした。
息を整えて、今度は、弟の世親(天親)菩薩にご挨拶する。やはり、真宗者としては、七高僧のお一人として、馴染みは深いお方だ。老年の無著菩薩と違い、壮年で、立派な体躯をされている。古来、千部の論主として、浄土教、浄土真宗の祖師であると同時に、唯識や倶舎の祖師でもある。最近、その精力的な働きから、世親二人説という学説が称えられるほど、龍樹菩薩と並ぶ大乗仏教の二代潮流の大家だ。その世親菩薩が、小乗から大乗に転じる時の、兄無著菩薩とのエピソードはあまりにも有名だが、遠く日本の地でご兄弟が揃い、お奉りされているのである。
兄の無着菩薩が老齢の姿であるのに比べて、ずっと壮観で、しっかりと遠くを見据えられたお姿が印象的だった。でも、さすがに兄の無著様までの感激はなかったけれど…。
お二人は、運慶の代表作というより、日本彫像美術の最高傑作の一つといってもいい。4~5世紀の北インドの菩薩さまに、当然、運慶は、会っておられない。実際のインド人としてのお姿はどうであったかはわからないが、人種や時代を超えた、仏教の求道者(菩薩)としての理想像として、偉大な人格の永遠性を体現しているとの絶讃は、けっして大げさではなかった。
四方には、やはり国宝の四天王立像が守護しているが、南円堂のそれと比べると、かなりの小ぶりだ。平安期の乾漆造で、大きく目を剥いたユーモラスな表情をされておられたが、僕のこころは、無著さまに鷲掴みされたままだ。
しばらく深い感銘の余韻にしたりながら、奈良を後にした。
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