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用事はなくなった

Img_3960 「ドンドン」と太鼓の音が響いている。進路と同じ方向で、稲荷大社の祭事が走っていく。稲荷祭(還幸祭)だ。

 そういえば、4月の永代経の時にも、Img_3963「ドンドン」と太鼓の響きと共に、稲荷大神が(トラックに乗って)、氏子区域をご巡幸になり、広くご神徳を垂れたまれたらしい。

 お旅所が、西九条の小学校の近くにある。かなりの古い歴史のある祭事で、1000年以上前に記録があり、平安中期には盛Img_3964んに行われていたというのだ。今日は、五基の御神輿が、途中で、東寺の僧侶による「神供」を受けた後に、氏子区域を巡行し、伏見稲荷本社に帰還されるのだ。

 実は、この町内も伏見稲荷Img_3967大社の氏子にあたる。
 町内にも、神事係(恐ろしいことに、その筋の方が係で睨みをきかせておられた)がいて、寄附が集められる。一昔前は、強制(町内行事の一貫)であったが、さすがに、今日はかなりその枠もゆるくはなった。それでも、組長があたると集めに回らなくてはならない。

Img_3968 子供の時から、御神輿巡行があるこは知っているが、夜店に遊びにいっても、一度も、御神輿をみたことはないのだ。せっかくなので、前を通ったついでに、ちょっとのぞかImg_3969せてもらうことにした。
 ヘーエー、これがこの地域の御神輿ですか。

 それにしても、商売繁盛を始め、現世利益信仰は、花盛りである。もちろん、ぼくだって、現世の幸せを願っている。いや、その欲得があればこそ、生きていけるといってもいい。念仏を喜ぶ身になったからといって、世間の欲望が消え去るわけではない。

 しかし、ここからが不思議なことであるが、そのために、神仏を利用する気持ちは、微塵もおこならい。お守りも、御札も、占いなどの因果の道理に反するものには、関心がないのだ。もちろん、初詣も、祈祷も必要がない。浄土真宗のおみのりをお聞かせに預かることで、そのことをハッキリ、キッパリと教えていただいたからである。その意味では、覚めているといえば、覚めているのかもしれないなと思いながら、まったく興味本意だけで、写真を撮られてもらった。

 これもまた、51年目で初めてのことだなー。

 このあと、神様ご一行は、トラックに乗ってお還りになるのでした。

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