広島支部法座~花まつり~
広島支部法座。
5月は、支部法座の前の午前中、子ども(もちろん大人も一緒に)さんと「花まつり」を行って、お釈迦様のお誕生をお祝いしている。
今日は、華光会館でも、「花まつり」だ。お貸ししている用具一式が使えなかったが、今回は日高支部にご協力いただいた。これは、故谷本瀧雄さんの尽力で、すべて華光会館と同じものを揃えておられるのだ。
皆さんで飾りつけを行い、お花を添えて、準備完了。
『子どもの聖典』で勤行したあと、小学2年生のS君が、お祝いの葉を読んでくれた。開始前に一緒に考えてくれたのだが、とても真剣で、堂々とした態度だ。その一生懸命さが、皆さんにも伝わって、一応に感激されている。ぼくもちょっとウルとさせられた。
灌仏、散華と続いて、子ども向けのご法話。
真宗王国の広島でも、初めての「花まつり」だという方もあった。右手で天を指し、左手で地を指し、「天上天下 唯我独尊」と喝破されたことや、七歩の歩まれたことも、初めて聞いたとのことだ。今日は、大人も、子供も関係なく、みんなお釈迦様のお弟子、仏の子どもたちである。
最後に、花岡大学先生の仏教童話『砂の城』を読んで、グループに分かれて、わかちあった。
子どもたちが、広い砂浜で場所とりをし、夢中に自分の城を造り、「これかおれの城だ」「私の家よ」と守っていく。しかし、時に、それが他人に潰されたりして、ケンカや争いがおこる。みんな必死に、自分の城を造り、守っている。しかし、「○○ちゃん、ごはんよ」の一言で、大切だった砂の城に見向きもせずに、みんな家に帰っていくのだ。あとは、波が、跡形もなく消し去って、もとの砂浜に戻っている。それをひとりの男が観て、「ああ、生きたご説法だ。ウカウカはしておられない」と立ち上がるというお話。
ほんとうに私の人生の無常のありさまを知らされるようで、なんとも切ないお話だ。しかし、いまの私達は、儚い砂の城ではなくて、間違いない確かな家や家庭だと信じきって、それを守り、広げることだけを必死にやっているのではないか。しかし、真実の仏様の御眼からみたなら、子どもの作る砂の城と、まったく同じなのだと。
諸行無常、諸法無我こそが、仏様が指し示す真実の旗印なのである。
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