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2013年5月の29件の記事

まなざし~無著菩薩との出遇い

Img_4319  こんなにドキドキ、ワクワクしながら、お会いすることは初めてのことだ。たとえば、鑑真和上像や、今月初めの浄土寺の阿弥陀三尊など、楽しみにしていた祖像・仏像に、感銘を受けることはあったが、何か会うべき方にお会いするといった予感めいたものあった。Img_4320

 無著菩薩・世親菩薩立像である。

 国宝の北円堂に入る。ここはクツのままでよかったが、南円堂をでる時クツの紐は緩めていた。

 正面に、国宝の弥勒如来坐像が鎮座される。
 しかし、僕の目は、左側にお立ちの無著(むちゃく)菩薩の静かなまなざしに魅せられていた。あっー! 静謐で、本質を見抜ききったまなざしと佇まいに、やさしく見つめられている。お堂に入る前のドキドキ感は、これだったのだ。涙が込み上げてきて、感動で嗚咽しそうになった。いかん、いかん。あわててしゃがみこんで、クツの紐を結び直し、クールダウンした。

 息を整えて、今度は、弟の世親(天親)菩薩にご挨拶する。やはり、真宗者としては、七高僧のお一人として、馴染みは深いお方だ。老年の無著菩薩と違い、壮年で、立派な体躯をされている。古来、千部の論主として、浄土教、浄土真宗の祖師であると同時に、唯識や倶舎の祖師でもある。最近、その精力的な働きから、世親二人説という学説が称えられるほど、龍樹菩薩と並ぶ大乗仏教の二代潮流の大家だ。その世親菩薩が、小乗から大乗に転じる時の、兄無著菩薩とのエピソードはあまりにも有名だが、遠く日本の地Img_4321_2でご兄弟が揃い、お奉りされているのである。
 兄の無着菩薩が老齢の姿であるのに比べて、ずっと壮観で、しっかりと遠くを見据えられたお姿が印象的だった。でも、さすがに兄の無著様までの感激はなかったけれど…。

 お二人は、運慶の代表作というより、日本彫像美術の最高傑作の一つといってもいい。4~5世紀の北インドの菩薩Img_4286さまに、当然、運慶は、会っておられない。実際のインド人としてのお姿はどうであったかはわからないが、人種や時代を超えた、仏教の求道者(菩薩)としての理想像として、偉大な人格の永遠性を体現しているとの絶讃は、けっして大げさではなかった。

  四方には、やはり国宝の四天王立像が守護しているが、南円堂のそれと比べると、かなりの小ぶりだ。平安期の乾漆造で、大きく目を剥いたユーモラスな表情をされておられたが、僕のこころは、無著さまに鷲掴みされたままだ。

  しばらく深い感銘の余韻にしたりながら、奈良を後にした。

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南円堂

Img_4289  さて、いよいよお目当ての南円堂と北円堂である。興福寺は、4年ぶりになる。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bf21.html

 はやる心を抑えて、ちょっと回りを散策して、Img_4334時間を潰す。混雑を考えて、金曜日の拝観時間が延長されてる夕方を狙って訪れだが、まだ修学旅行生が騒がしい。

 まずは、創建1200年を記念して特別公開されている南円堂へ。普段Img_4292は、非公開で、1年に1日(10月17日のみ)だけ一般公開されるが、今回は、北円堂と、同時公開である。拝観受付で、「根付ストラップ」と、下足をいれるエコ・バックが、記念品として配られたいた。  

  南円堂は、今日でも、西国三十三箇所の札所としも、賑わっている。観音菩薩がご本尊である。Img_4295

 薄暗いお堂の中へ。中央の観音様は、国宝の不空羂索観音菩薩坐像。鎌倉期、康慶作である。お堂一杯の340センチ(3メートル)を超す、重量感のある立派な体躯をされておられた。「不空羂索」の羂索とは網のことで、手に持つ網で、衆生の願いを空しいものにしない(不空)という誓願を立てImg_4309れている。観音様なので、冠には、阿弥陀様を頂かれている。三眼をもたれ、八臂(はっぴ)=つまり八本の手をもって、蓮華坐の上に、堂々とお座りになっておられた。まさにお堂全体を圧倒するのようだ。

 そして、その回りを国宝の四天王立像が護Img_4339っておられる。

 四体それぞれが、写実的で、躍動的なお姿で、豊かな表情は、なんとも素晴らしい。

 入り口には、東の守護の「持国天」。唇を強く噛み、剣の剣先を確かめるかのように、下方を観ておいる。
 南の守護の「増長天」は、右手を腰に、左手をあげて戟(げき)をとり、眼を見開き、下方を睨みつて怒号している。
 そして、西の守護の「広目天」も、左手をあげて戟(げき)をとるが、右手は握り、増長天は反対に左後方に腰を引き、口をしめて睨みをきかせている。
 多宝塔を天高く々掲げ、腰を左にひねって仰ぎ見る「多聞天」は、北方の守護だ。

 鎌倉期の代表的な国宝が並び、この五体だけでも濃厚な空間である。本来は、ここに国宝の法相六高僧像も安置されていたのであるから、圧巻であっただろう。

 けっして、広いお堂ではないが、たっぷりと五体のお姿を拝見させていただいて、いよいよ北円堂へ。(つづく)

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なら仏像館

  2010年7月から、奈良国立博物館の本館が、「なら仏像館」へとリニューアルされている。この建物自体も、明治期の重要文化財なので、歴史のある重厚な作りである。

 もともと寄託も含めてだが、東京、京都Img_4264、そして九州の国立博物館の中でも、奈良は仏像に特化してもいいと思っていたので、このような形で、素晴らしい仏像の数々が、体系的に展示されているのは、意義深い。前回が、2009年の鑑真和上坐像に感銘した唐招提寺展だったので、http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0a55.html、完全なリニューアル後は初めてだ。

Img_4263 如来、菩薩、明王、天、そして肖像に、神仏習合などに分類されるだけなく、地域(日本、中国や朝鮮)や、大和(奈良)の仏という形で、体系的に分類されている。

 面白いと思ったのは、大阪の金剛寺の隆三世明王坐像の圧倒的な姿である。ほんとうは、三尊として拝見されせていただくのが本筋だあろう。

 肖像は、このあと訪れる予定の興福寺の南円堂に安置されていた、国宝の六祖像のうち二体が展示されているが、これは九条兼実公の依頼で、復興されたものだそうだが、写実的な容貌は、鎌倉期の特徴なのであろう。また、浄土寺の重文で、東大寺の再建に尽力した、重源上人坐像が、寄託されていた。

 この同じ部屋に如来の種々相として、少し変わった阿弥陀如来や釈迦如来像が安置されていた。中でも、裸形の阿弥陀如来には、ちょっと驚いた。一つは、それほど大きくはないが、黒光りするおカラダは、赤ちゃんのようにすべすべで、手足も細く、股間には蓮(?)か何かがほどこされて、なんとも異様な雰囲気。そしてその中央には、重文で、やはり浄土寺の鎌倉期の「阿弥陀如来立像(裸形像)」安置されていた。こちらは2メールトを超えるもので、快慶の作。珍しい裸姿は、布製の服を着て、来迎会の際には、台車に乗せて動かされていたのだそうだ。

 そういえば、當麻寺展には、来迎のための菩薩面や、来迎の二十五菩薩像が展示されていたが、その中心には、着飾った阿弥陀様がおられたのかもしれない。とはいっても、裸形像は、なんとも異様な感じで、違った意味で、阿弥陀様のご苦労をとお味わいさせてもらえる気がした。

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當麻寺~極楽浄土へのあこがれ~

Img_4274   今回のお目当ては、興福寺の南円堂と北円堂だ。中でも、無著・世親菩薩にお会いすることである。

 本命の前に、奈良国立博物館にも足を延ばす。特別展として、當麻寺~極楽浄土へのあこがれ~が開かれていたからだ。

Img_4256 ぼくの後ろの2人目の入場者が引き止めれている。背広姿の関者やカメラマンがいるなと思ったら、ちょうど入場5万人目のセレモーニー。ちょっと惜しかったような、煩わしくなかったような…。

 さて本題。
Img_4278 二上山東麓の當麻寺へは、伊藤康善先生のゆかりの聞法旅行で訪れたことがある。ぼくが中学生のころのことだ。『仏敵』の中に、「二上山脚に墜ちていく春の太陽は真紅に燃えて…」という一文がある。伊藤先生の當専寺のある新庄町と、當麻寺のある当麻町は隣接していて、いまは合併して葛城市となっているのだ。日想観ではないが、二上山への美しい落日こそ、極楽浄土へのあこがれの原風景だったのだろう。Img_4257

 今回の特別展は、當麻曼陀羅(たいままんだら)の一二五〇年記念にあたるそうだ。さらに當麻寺の自体が、「伝」ではあるが推古朝まで遡り、約一三〇〇年の歴史があるそうだ。

 もっとも、後期日程なのて、国宝の當麻曼陀羅(根本曼陀羅)は展示替えで、文亀本の重文の曼陀羅が展示されていた。国宝本は、長い年月を経たImg_4259影響で、かなり不鮮明になっているので、文亀本の方が鮮明に図柄をみることができる。

 加えて、デジタルの詳細な解説で、浄土変相図の見方が示されていた。右側の「王舎城の悲劇」に始まり、左側は「定善十三観」、下方には「九品往生」が順序描かれている。そして中央が、弥陀三尊を中心に、極楽浄土のあImg_4302りさまが描かれている。いわば、『観無量寿経』の世界観なのだが、これが善導大師の『観経四帖疏』の解釈と一致している。

 そのことが、後に、浄土教、中でも一遍上人や證空上人へと影響を与えていく。特に、證空の西山義とは強い結びつきを生むが、そうえいば、禅林寺(永観堂)でも、當麻曼陀羅を観Img_4262たことがある。

 當麻寺自体も、聖徳太子の影響から始まり、真言宗でありながら、その後の浄土宗の強い影響をうけ、さらには奈良の山岳信仰とも結びついていく。その背景にあるものが、どの時代においても、庶民の忺求浄土と、極楽浄土への往生を願ったからであって、このような形で、願生浄土の火が脈々と灯し続けれらていることに、感銘した。

 ところで、當麻曼陀羅は、中将姫伝説とあわせて拡がり伝説となり、篤く信仰の対象となった。中将姫伝説が、仏教美術や絵巻物を生み出すしていく。もう一つの有名な彼女のエピソードが、『称讃浄土仏摂受経』(『称讃浄土経』)の千巻の写経である。『称讃浄土経』といっても、ピンと来ない方も多いだろうが、これは、玄奘三蔵が翻訳した『阿弥陀経』の意訳である。ちなみに、「舎利弗」は「舎利子」と表記されている。玄奘の翻訳は、正確さにおいて勝れて、彼以降の訳を「新訳」(しんやく)といって称讃されるのだが、『阿弥陀経』に関しては、鳩摩羅什三蔵の経文が流麗さにおいて、正依とされている。今度の華光会のシルクロードの旅では、この玄奘・鳩摩羅什の二大訳聖の御跡を慕わせていただくのである。

 ぼく自身は、當麻寺を参拝は、かなり前のことで記憶が曖昧だったので、今回、予想以上に豊富な寺宝があり、また関連の宝物も充実していて、いろいろと有り難かった。

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『約束』~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~

130507  新聞に奥西勝死刑囚の容態の悪化を伝える記事が出ていた。

  50年以上に渡る獄中生活。しかも、88歳の高齢者が、毎朝、いつ執行されるか分からない死刑執行の恐怖にさらされ続けている。これは肉体的、精神的な拷問なのであって、明らかに憲法に禁止されている残虐刑にほかならない。
 しかし、刑の執行は停止されないどころか、繰り返しておこなわれている再審請求と棄却。その中では、裁判所による再審決定があったにも関わらず、同じ裁判所によって棄却決定されるケースもあった。

 無実を叫び続けた半世紀の彼の壮絶な生き方を、実際の映像を交えながらの再現ドラマの形式で描かれているのが、『約束』~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯だ。
 この事件を取り上げることで、この国の歪んだ司法制度や裁判制度のあり方、自供中心の取り調べの不当さを、真っ向から告発する映画だといっていい。

 名優たち(仲代達矢や樹木希林など)による再現ドラマの手法をとっているのは、彼が、いまも死刑執行を待つ、死刑囚とだからである。しかも、いまは体調を崩し、医療刑務所に収監されている。88歳の無実を訴えるの老人のやせ細った手は、手錠でベットにつながれているのだそうだ。

 事件は、いまから50年以上前の昭和36年、三重県名張の小さな田舎の懇親会で起こった。ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した、「名張毒ぶどう酒事件」だ。外部の犯行は不可能と判断した警察は、犯人を数名に絞られる中で、奥西が自白させられる。その後は、彼を犯人に仕立てるために、さまざまな証人の証言が都合よく変更され、都合のよい証拠が作り出されていく。

 しかも、今日では、再審の請求のために、当日科学的だった物的証拠が、次々と覆させられていく。有罪の証拠として採用された権威ある学者の鑑定までは、意図的に作られたものであることも判明していくる。さまざまな証人の証拠も、奥西を犯人にしたてるために、後日に辻褄合わせをしたこともあきらかになる。要は、逮捕の後の過酷な取り調べの中での自白だけが、彼を犯人だとする唯一の証拠なのである。しかも、その後の彼は無実を訴えつづけている。一審でも無罪であったのに、戦後の裁判史上唯一覆って、死刑確定したそうである。これだけの新事実が生まれながら、再審の壁をこじ開けることは、あまりにも難しいのである。

 監督の斉藤潤一は、「オウム真理教事件」の麻原彰晃や「和歌山毒カレー事件」の林眞須美などの多くの死刑事件を請け負ってきた弁護士・安田好弘を追った映画『死刑弁護人』、 戸塚ヨットスクールの今をとらえて、現代社会が抱えるジレンマに迫る『平成ジレンマ』などのドキュメンタリー映画を生んでいる。本作も含めて、すべて東海テレビのドキュメンタリー番組が劇場公開の映画版として再編集されているものである。しかもこの3作品とも、京都シネマで上映されていた。3作品とも、良質のドキュメンタリーというだけでなく、テレビ番組がベースということもあって、とてもわかりやすい造りで、好感の持てる作品ばかりだった。

 ただ面白いとか、好感が持てるだけではない。
 彼らを、悪役にしたり、犯人にしたてる片棒を担いだのは、マスコミの過剰な報道にあったのた。しかし、そのマスコミが、また一方で、自分の目で見、自分の頭で考え、立ち止まって物事の本質を見つめるべく、このよう司法という国家権力に真っ向から立ち向かう作品を、世に問うている点にも、意義があるように思えた。

 さまざまな見どころかある作品だけれども、母親役の樹木希林がすごいと思った。ところが、終盤に、実際の彼の母親が、息子の無実を信じて拘置所の塀を進む映像が映し出されたが、彼女の顔をみた瞬間に、込み上げてくるものがあった。やっぱりホンモノはすごいなーと。それは、権威的な学者や不当判決を繰り返す裁判官の顔のアップだけでも、感じるものがあるのが、また不思議。なんやろうね、これは。

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平山郁夫~悠久のシルクロード展~

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 先日、龍谷大学ミュージアムに、平山郁夫~悠久のシルクロード展~を観賞した。前回同様、姉から招待券をもらったのだ。

 来月には、敦煌から新疆ウングル自治区のシルクロード、そのうち、天山北道の聖跡巡拝の旅にでる。はるかローマから中国の古都、西安までいたる遥かな道は、絹などの貿易品だけでなく、文化や知識が往来した道でもある。これは広い意味(地域)でのシルクロードであるが、中国からみた場合、Img_4200玉門関からの西域の道が、本来はシルクロードと呼ばれる地域である。

 このシルク(絹)のロード(道)は、同時にブッダ(仏教)ロードでもある。つまり、インドで生まれた仏教が、中国に伝播するために、なくてはならない重要な役割を果たしているのである。

Img_4203 仏教が伝播するとはどういうことか。一つは、その教えを伝えるためには、法に目覚めた人「僧」がやってくることが必要だ。しかし、それだけでは十分ではない。法としての経典もいる。しかもそれは、インドの言葉から中国の言葉に訳されなければ、理解されない。インドから経典を招来し、それを翻訳した人達が、たとえば鳩摩羅什三蔵に代表される西域の僧侶たちなのである。中国仏教を俯瞰するならば、翻訳仏教だといってもいい。漢文を日本語読みして真似た、日本仏教との相違点である。それだけではない。礼拝の対象としての仏像もまた、この道を通り、ガンダーラ様式から中国の中間にあたる西域独特の仏像があり、それが中国、そして朝鮮半島を経て、日本へともたらされてきたのである。

 本展でも、ブッタ釈尊の歩み示す画伯の絵画や仏像と共に、仏教の北方伝播の歩みが、2階では、平山郁夫画伯の絵画を通して、3階では、その平山郁夫画伯が文化財の保全と共に収拾してきたシルクロードゆらいの仏像や工芸品を通して味わうことができた。特に、平山郁夫シルクロード美術館に収蔵品されている仏像を、地域や時代事に体系的にみるにつけ、インドで生まれた仏教が、後に釈尊が禁じていた仏像(礼拝対象)を誕生させて、それが、各時代、各民族、文化の要素と融合して、伝播していく様子が窺える。たとえばギリシャ・ローマのヘレニズムの影響を受けたガンダーラなどの仏像が、西アジアから、西域を経て、それか中国化していく過程は、まさに百聞は一見にしかずである。

 あと、金貨などのコインでシルクロードの歴史が綴られる。中でも、仏教庇護につとそたカニショカ王のブッダ金貨は、大英博物館とここにしかない貴重なもの。ギリシャ語で、ブッダと刻まれ、施無畏印のブッダ立像が描かれていて、面白かった。

 ぼくにとって、この時期に、この展覧会はかなりタイムリーな好企画。

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フォーカシング・サンガの集いにて

 1月以来、4ケ月ぶりに、フォーカシング・サンガの集いを開いた。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-cc9c.html

 前回と同じく、松江から土江先生をお呼びして、6名限定の少人数の集い。ところが、肝心のM氏が急遽欠席で、参加者は5名のみとなったが、9時から5時までの1日研修だが、密度の濃厚な集いになったのではないか。

 聞くにせよ、伝える(話す)にせよ、自分の気持ち(感情)に左右されがちだ。普通、感情とは、表面的な喜怒哀楽で、人の態度や言葉に激怒したり、ほめ言葉に喜んだりといった感情の起伏のようなものを指している。例えば、伝え方として、怖い顔をしながら、防衛的な態度で、正論を話しても、なかなか相手には伝わらない。そんな時、相手に伝わるのは、防衛的だったり、感情的だったりする、ノン・バーバル(非言語)な部分の方が、大半だからだ。実は、伝える時だけでく、聞く時もまた、そんな防衛的態度になってしまいがちだ。カウンセリングでいうところの、いまの体験過程に生きていないで、傷つきやすく、自己不一致の状態になっているのだ。一対一で向いあった場面はともかく、日常のコミニケーションでも、そのことを気付けないでいることが多い。自分の方に、正論や正義がある場合は、なおさらだ。

 カウンセリングは、事柄よりも感情を大切にするが、この感情とは、喜怒哀楽といった表面的な感情ではなく、そのさらに奥に繊細に隠れているカラダの感じ(フェルト・センス)を手がかりに聞いていくことが重要になってくる。カウンセリングをかじったものでも、案外、このことを忘れて、自分や相手の表層的な感情に、過剰に反応してしまう人が多かったり、そんな場面をよくみかける。

 この場合は、聞くにせよ、伝えるにせよ、自分のカラダの感じ、フェルトセンスの声をしっかり聞くことがポイントだ。これは、簡単なようで、なかなか繊細で、微妙な感じなので、激しい感情の波の前には、すぐに砕かれてしまうのである。

 今回は、カラダを少し動かし、静かに瞑想をした後で、語りたい人(フォカサー)が、聞き手(リスナー)に話し、その感じを味わっていく。今回は、エンカウンター風の車座のままで、焦点をあてる聞き方の固執はなく、自然な感じであったが、聞き手もつとめて、聞いたところを伝え返しをしながら、焦点(フォカース)あてる聞き方の実践をおこなった。

 個人的には、瞑想の時に、自分の中にある「貪欲・愼恚・愚痴」を指折り数え、一つ一つには深く踏み込まないで、「こんな怒りもあった、こんな欲もあった」と観察していくワークか面白かった。それを正当化するのでも、また卑下するのでもなく、だた観ていくという作業で、問題との距離を計ることができるのである。個人的には、恐れというのが、ある怒りを生んで、その根を辿っていくとかなり根深いものがあることに気がついた。今回は、それ以上は、深いいれしないで、「そこにある」という感じを認めて、確かめるに届けた。でも、それだけの作業だであっても、終わりごろには、なにか悲しいでもない、切ないでもない、それでいてとこか温かなやさしさのあるあついものが、込み上げてくる感じがした。フラフラで、恐れながらでも、しっかり立って歩んでいける自分を発見したのかもしれない。

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高山支部法座~子ども会は盛会~

 週末は高山支部法座。

 昨年と同じく、土曜日の昼食は、日高支部の皆さんと、華光会館でご一緒した。悟朗先生の宿泊法座が難くなったので、日高の皆さんが、華光会館にお出でいただいての、半日法座。20歳台の悟朗先生と一緒に、60年を歩んでこられたのだ。日高の皆さんも、老苦や病苦の真っ只中におられる。参加予定者の急なキャンセルが相次いで小人数での、小旅行だったようだか、法座の方は、京都、大阪の同人も加わって尊い集いとなったようだ。

 ぼくの方はお昼を御馳走になったあと、新幹線に乗って、高山に向かう。名古屋で乗り換えて、高山線を揺られていく。車中、『大人のための仏教童話』を読む。これはいろいろと面白かったので、また機会をあらためて書きたい。

 今回の高山支部法座。遠方からの顔ぶれは、京都、滋賀、和歌山、富山に、新潟の家族連れと、常連とはまた違って新鮮。法話も、つとめて聖教などの解説風ではなく、日常や法座の身近な話題を題材に。

 そして、日曜日の朝は、前半が子ども会の法座。高山支部の日曜学校である。新潟の家族の参加もあって、小学生~中学生だけで、13名も参加。これは将来が楽しみだなー。

 子ども会の法話は、「仏さまってどんな方」と、全員にそのイメージや思いを尋ねたあと、ジャータカ物語から、「シビ王とタカ」の物語。さてタカとは誰のこと? ハトとは誰のこと? どうして、ハトとシビ王の重さは釣り合ったのか。さらに、シビ王の(衆生済度を第一と考える菩薩)の清浄、真実の慈悲心による布施行が、真実の利他行へと展開するおこころをいただいた。これは、大人の方にもじっくり考えてもらってもいいかもしれない。ほく自身にしても、子供の時に聞いた印象も強かったが、もっともっと仏さまを血みどろにしているタカこそ、自分自身だと懺悔させられた、お念仏を喜んだ直後の思いとも、いまはまた違って味わえる。菩薩の慈悲心は、単なる慈愛の心ではなく、それが利他行の源泉であり、その究極が法蔵菩薩の大慈悲心に通じることが、尊く味わえるのである。

道を求めてたとい身は    苦難の毒に沈むとも
ねがい果たさんその日まで 忍びはげみて悔いざらん

 それが、自利利他円満した南無阿弥陀仏のお心である。

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「懐かしい」っていうのか 

 卒業から30年ぶりに、初めての大学の同窓会があった。

 大学院のゼミ同窓会は、2年に1度あるのだが、真宗学全体のものは、初めてだ。

 名簿が配られた。40数年の出席があったが、参加者全員、見事に「○○寺」という寺号がはいている。(高田派のひとりを除いて)西本願寺派の住職か、坊守ばかりなのである。そんな中で、「寺」ではなく、ひとりだけ「会館」の文字のぼく。しかも「華光会館」である。本山の職員や宗会議員もいって、そんな皆さんの業界の会話を聞くにつけ、なんとなく居心地がいまひとつ。

 だいたい週末ではなく、平日に同窓会が開かれること自体が、僧侶の中心の証だ。先生方は、週末が法事などの法務でお忙しいのである。さすが、サービス業。

 同窓生は3/4が知らない人。入学時に2クラスに分かれたが、今回の出席者の大方が、ぼくとは違うクラスの人達。座席の両隣の方もお初にお目にかかる方で、ご挨拶。知人の大半は、その後も会っているので、それほど懐かしいーという感じの人は少なかった。むしろ同窓生と知らずにお付き合いしている方があって、それにはお互いびっくりしたけど…。

 それよりこの会場は……。もしかして、披露宴会場じゃなかったのか? 会場まで定かではないが、このホテルは西本願寺の駐車場に隣接し、本山から司婚者をお願いして仏式の結婚式ができるので、ここで結婚式を行い、披露宴をしたのだ。

 これってやっぱり「懐かしい」のだけどー、なんか妙に括弧付き。

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5月21日

130508_2 京都シネマで、ポーランド映画の『明日の空の向こうに』を観た。
 旧ソ連の貧しい町の3人の孤児が、国境を超えてポーランドに向かう、かわいさと、切なさが交じったお話。子供の自然体の笑い声と、笑顔がすばらしい。チャペという6歳の男の子がかわいい。ある意味、いまのぼくにはちょっとキツイ題材でもあったけどなーImg_4243_2

 ところで、自転車出かけたら、東寺駅からたくさんの人が出でくる。あそうか。今日は、弘法さんなのだ。東寺では弘法大師の入定(ご命日)された日にあたる、毎月21Img_4247_2日に開かれる大規模な縁日である。http://www.touji-ennichi.com/

 そのまま堀川通を北に走ると、西本願寺に行き当たる。大きな仏旗と、幕が出でいる。あ、5月21日か。
 そう親鸞聖人のお誕生日Img_4238、宗祖降誕会(ごうたんえ)である。せっかく前を通ったので、手を合わせるだけでもと思って、帰りにちょっと寄り道。

Img_4240 そういえば、去年も同じだったことを思い出した。弘法さんは毎月あるが、5月だけは、降誕会と重なるのだ。そして、ぼくは、昨年も京都シネマで映画を観ている。『オレンジと太陽』だ。なぜか共に、子供が主役とか、テーマの哀愁のある映画というこImg_4241とも共通している。

 でも、ひとつだけ違ったことがある。

 皆さん、覚えておられますか。
 昨年の5月21日は、早朝に金環日食があったのだ。

 あれからもう一年か。なんか早いなー。

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動いてみる、そして味わってみる~真宗法座の集い~

   今年も「真宗法座の集い」が終わった。

 定員一杯だったが、直前にキャンセルがでた。ところが、当日も含めてすぐに補充が出来て、ちょうど定員20名と、世話人4名の24名が集った。 

 ぼくは、この法座がいちばん好きだ。
 輪読法座そうだが、今回も、法衣も着なければ、背広やネクタイもつけない。講師ではないので、司会もするし、準備段階で呼びかけ、買い出しや事務作業も積極的にやっている。以前は、どの法座も、ひとりで運営をしていたことがあるが、それともまた違う。法座の世話役は、座談会だけでなく、運営面も責任を持つのだが、参加者全員にも役割分担をお願いして、何かひとつは役割をもち、皆さんと一緒に進行していくのだ。それも含めて、みんなで作っていく法座なのである。来年は、少し早めに終わって、最後の清掃の時間を、プログラムに組み込んでおいてもいいかもしれない。
 全体会での始まりと終わりの、チェックイン、チェックアウトの一言の時間にしても、順番には回さないで、声に出したい人から、随時、声出してもらう。参加者全員が、なんらかの形で少し積極的に関わってみれる、そんな法座をめざしている。もちろん、顔ぶれが変われば、その内容も変わってくる。今年は、初参加者も多かった。その割には、動きがあった法座だと思った。

 ぼく自身の心境も、毎年異なる。心境が異なれば、態度も代わってくるだろう。その意味では、少しは重苦しさから自由な動きが出来つつある。もちろん、まだまだ引っ掛かりは多いですが…。

 もともとこの集いは、ぼく自身が企画した意図があって、ぼくが指向する方向性を色濃くもったグループである。一口でいうのなら、パーソンセンタード指向の念仏法座(もしかすると、両者の単語が入れ代わることもあるが、この二重性が特徴だ)といっていい内容になってきている。参加者の思いを尊重しながら、それぞれの出会いがあり、それでいて人間の出会いを超えた念仏に帰る場を共有しあう、そんな集いを、皆さんと共にめざしている。

 そのためには、世話人同士で、その意図をよく分かち合えることも大切。その点では、十分かち合える方もあれば、まだまだ発展途上の関係もあって、その未熟さが集いにも反映されている点は、課題ではある。でも、少し時間をかけて、成長を待つことも大切だろう。発展途上もたま魅力でもあるが、もし成長しようという意欲がないとしたら、それは詰まらない。

 とにかく、いろいろと気付かせてもらったが、今回の法座を一口で譬えるならば、とにかく「動いてみる」、そしてその場で「味わってみる」ということになろか。

 導入から、グループ分けに展開する動きがユニークだった。グループ分けが固まってきたところで、黒板に書かれたメンバーで、グループに分かれて座ってみることを提案した。頭の中だけで、あれこれ考えるだけではなくて、とにかく動いてみる。試行してみるのである。そこか動きたくなったら別のグループに移動してもいい。3名グループだと、密度が濃くなって、しんどいと感じられた方もある。8名だとけっこう多い。6名のグループ、2人増えた感じと、2人減った感じは、また違う。誰も出ないグループもあれば、試行錯誤グループもある。自分が、居心地がいいというのは、好きな人だけが集めることとは、まったく違う。以前、好き嫌いでグループ分けを考えていた人もあったが、それでは意味はない。グループとの距離感は、安心できる感じと繋がるものである。ある程度味わえたら、自然と3~7名の4グループに分かれていたのが、面白かった。慌てることも、無理することもない。あとは、自分で選んだのであるから、そこでどんな展開になっていくのかも、また自分に引き寄せて味わうことができるのだろう。

 いろいろな思いや認知、そして気持ち(感情)も大切なのだが、自己の中だけでグルグル回るだけでなく、身をもって行動してみることで、案外、道は開かれていくのかもしれない。

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水瓶座の集い

   真宗法座の集いの懇親会は、ちょっと嗜好を変えて企画ゲームをおこなった。半分は経験したことと、その場で思いついたオリジナルを加えた。これまた動いてみることがテーマとなった。

 まず、単純に1月1日を先頭に誕生日順に座って、座席を決めていく。生まれ年をいれると、年齢のことでややこしくなるので、月日だけでの順番だ。それだけでも、声を出して、他人と触れ合いながら確かめることになる。「私1月○日です」とか、「私の方が先、1月×日」などとやっている。それでもだいたいの目安はある。ぼくは2月10日生まれなので、たぶん先頭の方、5~6番目のあたりだと思っていた。しかし、そのあたりに進んでみると、思いの外、1月生まれが多い。じゃ、2月はというと、「2月1日です」、「2月2日です」、「私は3日」といった具合に、一桁台の人が連なって座っている。やっと、ぼくの10日が見つかったと思ったら、同じ2月10日生まれの方までおられる。しかも、そのあと2月生まれは半分を超えてもまだ続いている。結局、3月はなし、4月は1人といった具合で、あとは疎らなのに、今回の参加者は、1月、2月生まれだけで、6割の方もおられた。しかもそのほとんどが水瓶座に集中しているのだ。

 座席が決まったら、順番に「2月10日生まれの、かりもんです」と自己紹介する。そして、みんなが声を揃えて、「ようこそ、かりもんさん」とフルネームを呼びかけて、歓迎するのだか、これが思いの外好評。みんなに歓迎されると、照れ臭いような、でもうれしい気持ちで、童心の表情になっていかれた。

 そして、自分の長所を話すのだが、日本人は、長所というと「あんまりないですが」と口ごもられる。逆に、短所の方がたくさん出てくる。しかも、なぜか、「我慢強いところ」とか「真面目なところ」とか、「几帳面で凝り性」といった同じようなことを、水瓶座のものが異口同音にいっている。星座や血液型には意味はないのに、こう同じような性格を言い出したことで、みんなでちょっと感心した。

 こうして座席を動いてみると、前の人の顔ぶれも変わる。変わったメンバーで懇親を行い、ある程度の時間で座席変更のゲームを行った。偶発的に回りの顔ぶれが代わって、いろいろな人と楽しく分かち合ったり、懇親が出来た。動いてることで、いつもとはちょっと違う、和気あいあいとした懇親会だったのではないかなー。

 今回は水瓶座の、我慢強く、几帳面な方が多い集いだったことが、よくわかったし…。

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小冊子「法蔵菩薩のご修行」

Hozobosatu 『法蔵菩薩のご修行』  ~妙好人善太郎さんのことばを味わう~

 Rさんの発案、お世話で、法話「小冊子」が、4月の永代経法座で発行していただいた。これまでの素材を生かしながら、多少、手をいれて整えたものだ。

 これは、有志の皆様による「本の貯金箱」を基金に、「いま、仏さまの願いを聞く」シリーズとして、これまで華光誌上に掲載された小生の「巻頭言」や「聖教のこころ」に、誌上法話1編を組み合わせて、定期的に出していく予定でいる(今回は、誌上法話のみ)。小冊子が数冊でたところで、未発表の法話を加えて、法話集としてまとめて発行する計画があるのだ。

 まだ、その第1歩であるが、お世話役のRさんやTさん、それに募金くださった皆様に、御礼申し上げたい。

 300円という値段は手頃だろうが、法事などの施本用などに多めにお使いいただくには、少々割高に感じられるかもしれない。発行部数が多くないので、そのあたりは、次回の発行分へのご懇志と思って、ご容赦いただきたい。施本用で多めに必要な場合は、割引の制度もあるので、どうぞ奮ってご利用ください。この程度の量が読みやすいとの声も聞いたが、いろいろと工夫次第で、使い勝手はいいのではないだろうか。 

 皆さんに好評であれば、第二、第三弾も、すぐに実現するかもしれないので、ご協力をお願いします。

 詳しくは、華光誌HPをご覧ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/book/hozobosatu.htm

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教信寺~播磨の寺院 番外編(5)

  「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」

Img_99612 番外編として、鶴林寺から近い念仏山教信寺を訪ねた。以前、聞法旅行でも参拝したが、親鸞聖人がその非僧非俗の手本とされたと伝えられる念仏者のゆかりの寺である。

Img_9963_2 一般には、観光寺院ではないので、誰も訪れている人もなく、静かに参拝させてもらった。

 ご承知の方も多いだろうが、教信沙弥(しゃみ)は、もとは興福寺の学僧だったともいわれるが、諸国を遍歴の後、播磨国賀古(かImg_4182こ)の駅(うまや)(兵庫県加古川市)近くに庵を結び、教典も仏像も安置せずに、西に壁を設けずに、ひたすら称名念仏し西方浄土を願ったという。髪も剃らず、妻を娶り、子と共に生きる沙弥(しゃみ)として、もちろん権力や大勢とも無縁で、市井にあって、人々の荷物を担いたり、農作業を手伝うなど利他を行い、自ら称名念仏するだけでなく、人々にImg_0190_2もお念仏を勧めた在野の念仏者である。それで人々から、「荷送の上人」とか、「阿弥陀丸」と呼ばれていたという。

 阿弥陀如来の信仰に生きた人々の行実を集めた『日本往生極楽記』や、Img_4183『今昔物語』に紹介されている。特に、その終焉には有名な逸話である。

 八六六年八月十五日、勝尾寺(大阪府箕面市)の僧・勝如(しょうにょ)の夢枕に教信が立ち、「念仏により極楽往生を遂げた」と伝えた。弟子を現地に赴かせて確かめさすと、教信の屍Img_4181は野にさらされ、群犬にその体は食われていたが、首から上は無傷であったという。
 その説話を今に伝えるべき、教信上人の頭像が、開山堂に安置されている(今回は、外からのお参りだったが、聞法旅行の時に、写真も撮らせていただいた)。

 後には、永観律師や、一遍上人、さらに親鸞聖人なども追慕されているが、たとえば、

 常のご持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」と云々。(略)…愚禿の字をのせらる。これすなはち僧にあらず俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと云々。これにより、「たとひ牛盗人とはいはるとも、もし善人、もしは後世者、もしは仏法者とみゆるやうに振舞ふべからず」と仰せあり。 『改邪抄』

Img_4184 というのが、親鸞聖人の常の仰せだったと、覚如上人が記されている。他にも、聖人の言葉と伝えられている、

「某(それがし)閉眼せば、賀茂河にいれて、魚(うお)にあたうべし」(『改邪鈔』Img_4185

もまた、教信沙弥の影響であろう。

 阿弥陀三尊をおまつりする本堂には、「野口大念仏」の扁額があった。教信上人をご命日におImg_4188こなわれる会式が「野口念仏」といわれているのだという。

 教信沙弥の墓所もある。Img_4189_2

 教信上人の事跡を偲び、お念仏させてもらった。

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「シルクロードの旅」に出ましょう!

 6月27日(木)~7月3日(水)に企画した、中国シルクロードの旅も、今月末の締め切りが迫ってきた。

 ~ 鳩摩羅什三蔵と玄奘三蔵ゆかりの地と砂漠の大画廊・莫高窟を訪ねて ~

 企画以降、中国というだけで、いろいろな逆風が吹いている。尖閣問題の反日デモ、PM2.5の大気汚染、さらに鳥インフルという3重苦に加えて、この急激な円安ときては、「参加します!」と言っていたかなりの人達までが、「こんな時期に行くのかと家族に反対された」とか、「ほんとうに行くんですか」といった具合で、集まりが悪くなっている。

 中国は中国でも、主には、かっては辺境の地であった新疆ウイグル自治区が中心だ。回りは、チベットやモンゴル、ウズベキスタン、インドやなどに囲まれた奥地である。

 たぶん、上海と大阪間よりも、ウルムチやクチャの方がはるかに遠いところにいくのであるが、「中国」という言葉の印象が、あまりよくないようである。

 それでも、インドをご一緒した方々がかなり集まってこられる。アメリカからの参加もある。

 最低施行人数の15名のなんとか確保をしたいと思っているが、あと2名というところまできて、ちょっと停滞気味だ。

 迷ってとられる方、ちょっと心にかかっている方がありましたら、ぜひ、ご一緒しましょう。ご相談に乗ります。
 お金が、、仕事が、、家族が、、体が、ペットが、、、といろいろと差し障りもありましょうが、何よりも、「エィー!」と思いきらないことには、始まりません。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/06/kaigai2013-6.7.htm

詳しく、日程は以下に。
 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/06/kaigai.pdf

随時、見どころをご紹介いたします。

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鶴林寺~播州の国宝寺院(4)

Img_9960_3 加古川市の刀田山鶴林寺は、聖徳太子ゆかりの古刹で、播磨の法隆寺ともいわれている。以前、聞法旅行で播磨を訪ねた時は、聖徳太子のゆかりの寺として斑鳩寺を訪ね、聖徳殿で聖徳太子御年十六歳の像を、特別に拝観させてもらった。しかし、加古川市まで来たのに教信寺を拝観しただけで、ここは素Img_9959通りせねばならなかった。

 日本各地に、聖徳太子開基の伝承をもつ寺院は多いが、ここは、太子建立七大寺の一つとも言われ、国宝の太子堂(平安時代)を始め、多くの貴重な文化財を有している。

 寺の伝承では、創建は崇峻天皇(587年ころ)Img_4157_2にまでさかのぼり、聖徳太子が、排仏派の物部氏の迫害から逃れるために、この播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために建立したといわれる。
 聖徳太子と播磨は、太子が、推古天皇に法華経Img_9948を講義したことの功績によって、このあたりの地を得たというのは史実のようだ。しかも、鎌倉、室町の太子信仰が盛んになるにつれて、大寺院となった。しかし、戦国時代にはいって、信長、秀吉などの弾圧によって、往時の勢いは廃れていった。

 仁王門抜けると、三重塔が立っている。
 国宝の本堂の前には、右に菩提樹、左に沙羅双樹の釈尊ゆかりの聖木が植えられている。本堂にImg_4159_2あがると、1ケ月遅れの花祭りの準備中で、花御堂を生花で飾りつける作業をしていた。「明日だった拝観料が無料だったんですよ。お近くなら、またどうぞ」とのお誘いをいただく。

 ほとんどの建物が、国宝か、重要文化財だが、やはり国宝の太子堂が、上品で優美な佇まいで、目に引く(下の写真の2枚目)。宝珠をいただいた桧皮葺で、兵庫県内では最古の建造物らしい。

 ところで、本堂には本尊の薬師如来三尊がまつられているが、Img_4168秘仏で50年に一度しか開帳されない。数年前にその開帳があったそうなので、ぼくが、観ることはもうないだろう。
 隣には、新しい新薬師堂が立てられていて、薬師如来が安置されている。なんでも、ウィンクする仏像といわれているらしい。でも、写真でも分からないなー。

Img_4176 せっかくなので、別料金を払って、宝物館も拝観したが、重文級の仏像や法具が並び、なかなか見応えがあってよかった。中でも、白鳳時代といわれる、金銅製の聖観音像は、優雅というか流麗の仏さま。なんでも、一度盗難にあった時、「あいたた」と声を出されて、驚いた賊が盗めなかったとの伝説がある。

 「あいたた」観音は、ユニークな笑話だか、ここの宝物館には、悲しい歴史(といっても、2000年以降の最近のこと)もある。韓国人の窃盗団に盗難にあったのだ。しかも、犯人は捕まったものの、朝鮮の高麗期の絵画は、そのまま韓国に渡り、返却されていないのである。このあたりは、最近、日韓問で問題になっている対馬の仏像盗難の事件と似ている。その警鐘の意味でも、その経緯が展示されているのが、目を引いた。
 詳しくはここを参照
 で、聖徳太子さま、どうお考えでしょうか?

 ちなみに、盗難文化財をまとめたサイトがあったけれど、神社やお寺は狙いやすいようだ。http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/topics/tonan.htmlImg_4178
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ゆかり(縁)

 大人の法座では、法話で、ある語録から、仏の三不能のことに少し触れた。

 業を滅すること能わず、縁無き衆生を度すること能わず、衆生界を度し尽すこと能わず…これを「仏の三不能」と言うと聞かせてもろた。
 うらは、この三不能が知れることのほかに、お助けはないといいたい。

 前川五郎松同行の語録である。なかなか深い味わいだと思ったが、午前中も、たまたま同人の中からも、「縁なき衆生は度し難き」という話題がでていた。

Img_4222_2 休憩中、お菓子をいただく。
 広島なのに、なぜか東海地方のエビせんべい「ゆかり」だ。袋をあけて、食べだしたところで気がついた。
 「ゆかり」の白文字の下に、白線で「縁」と書いてあるのだ。銘菓なので、何度か食べてきたが、エビセンの「ゆかり」が、「縁」という意味で命名れていることを、初めて知った。

 「縁も、ゆかりもない」とはよく使われる。縁も、ゆかりも同義語なのだろう。所縁と書いて、「ゆかり」と読ませることもある。
 しかし、「縁」があるという使い方はあっても、「ゆかり」があるとは言わない。「ゆかりがあるよ」というと、お菓子がある意味になるな、などとImg_6936バカなことを思いながら、お隣の方のエビせんを無断借用して、撮影。

 つくべき縁あれば ともない
 はなるべき縁あれば はなる

 以前、東本願寺前の掲示伝道で観た言葉だ。ここ数年は、この言葉の事実をしみじみ体感させられる出来事の只中に、身を置きながら、生きている。

 でも、もとを辿れば、今日、ここに集う人達の大半が、最初は「縁もゆかりもない」方々であった。それが、それぞれの不思議なご因縁、仏縁にほだされて、いまご一緒しているだけのことである。そして、お互いが、無常の、そして虚仮の身をもっているのであるから、もし離れるべきご因縁が整ったならば、また離れていかねばならない。

 ならばこそ、いま、ここに集う人達との一期一会の出会いが、なんとも尊いのである。

 そして、人間同士は離れることがあっても、私のいのちにつきまとってくださっている阿弥陀様だけは、けっして離れられることはない。
  ひとりひとりが、阿弥陀様に願われている、縁ある衆生なのである。

  では、「この三不能が知れることのほかに、お助けはないといいたい」という、五郎松同行の言葉は、どう味わうのか。ぼくは、ここは、「唯除は、仮徐ではなく実除である」というおこころに通じるお言葉だと聞かせてもらっている。
 皆さんの味わいもお聞かせください。

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広島支部法座~花まつり~

Img_4207 広島支部法座。
 5月は、支部法座の前の午前中、子ども(もちろん大人も一緒に)さんと「花まつり」を行って、お釈迦様のお誕生をお祝いしている。

  今日は、華光会館でも、「花まつり」だ。お貸ししている用具一式が使えなかったが、今回は日高支部にImg_4212_2ご協力いただいた。これは、故谷本瀧雄さんの尽力で、すべて華光会館と同じものを揃えておられるのだ。

 皆さんで飾りつけを行い、お花を添えて、準備完了。

  『子どもの聖典』で勤行したあと、小学2年生のS君が、お祝いのImg_4211_2葉を読んでくれた。開始前に一緒に考えてくれたのだが、とても真剣で、堂々とした態度だ。その一生懸命さが、皆さんにも伝わって、一応に感激されている。ぼくもちょっとウルとさせられた。
灌仏、散華と続いて、子ども向けのご法話。

 真宗王国の広島でも、初めての「花まつり」だという方もあった。右手で天を指し、左手で地を指し、「天上天下 唯我独尊」と喝破されたことや、七歩の歩まれたことも、初めて聞いたとのことだ。今日は、大人も、子供も関係なく、みんなお釈迦様のお弟子、仏の子どもたちである。

   最後に、花岡大学先生の仏教童話『砂の城』を読んで、グループに分かれて、わかちあった。

子どもたちが、広い砂浜で場所とりをし、夢中に自分の城を造り、「これかおれの城だ」「私の家よ」と守っていく。しかし、時に、それが他人に潰されたりして、ケンカや争いがおこる。みんな必死に、自分の城を造り、守っている。しかし、「○○ちゃん、ごはんよ」の一言で、大切だった砂の城に見向きもせずに、みんな家に帰っていくのだ。あとは、波が、跡形もなく消し去って、もとの砂浜に戻っている。それをひとりの男が観て、「ああ、生きたご説法だ。ウカウカはしておられない」と立ち上がるというお話。

  ほんとうに私の人生の無常のありさまを知らされるようで、なんとも切ないお話だ。しかし、いまの私達は、儚い砂の城ではなくて、間違いない確かな家や家庭だと信じきって、それを守り、広げることだけを必死にやっているのではないか。しかし、真実の仏様の御眼からみたなら、子どもの作る砂の城と、まったく同じなのだと。
諸行無常、諸法無我こそが、仏様が指し示す真実の旗印なのである。

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北条五百羅漢~番外編(3)

Img_9870  国宝寺院ではないが、一乗寺界隈には、石仏が点在している。

  北条五百羅漢が安置される羅漢寺へ。
Img_9857 もともと付近に点在していた石仏を、大正年間に1ケ所に集めたものだという。慶長年間(秀吉晩年と徳川の初期の時代で、400年前)の銘のある石仏があって、おおむね、そのころに製作されたものだと推定されている。

Img_9848 それにしても、なんと素朴な、というより稚拙な技法なのであろうか。

 細長い長方形の石の上を丸くして目や鼻をつけただけで、体は四角の石のまま、線で刻Img_4071まれているだけのものが多い。 いわば、四角い、石のこけしのようなものだ。もっとも、こけしは丸みがあるが、こちら石なので、角張っている。後ろからみると、丸と長方形の組み合わせが並ぶだけだ(下の中の写真)。

Img_4080 しかし、まとまってみると、その稚拙さもまた、「へたうま」ではないが、ひとつひとつに微妙に味があって、面白い。

Img_4075 あちこちに点在していたというのだがら、昔は田舎道のあちこそに置かれて、朝な夕に、畠仕事の行き帰りに拝まれていたものなのだろう。けっして、のどかな風景とはいえなかったのかもしれない。時代は、平定されたとはいえ、関が原や大阪合戦などの時代である。災害や戦などで死んでいった人達への慰霊のためだったのかもしれない。

 羅漢の他に、釈迦三尊や、阿弥陀仏の来迎二十五菩薩の石像もある。閻魔様やその眷属も、なかなか味のあるお顔だ(一番下の写真)。
Img_9863Img_9861 Img_4076

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善導独明仏正意

 5月の伝道研究会。前回から、六字釋に入った。

 六字釋は、善導様が、名号「南無阿弥陀仏」をご解釈くださったのが、緒である。今日の安心論題では、南無阿弥陀仏には、阿弥陀仏の願行、悲智が円具されているもので、私どもを往生成仏せしめる行体であることを明らかにされたものだといわれている。

 では、何故、「南無阿弥陀仏」をそのものをご解釈なさったのか。もちろん、阿弥陀様そのものを解釈できるのは、凡夫ではなく、やはり大心海から化現された御方ならばこそである。しかしながら、そこには、時代の背景が横たわっている。道綽、善導大師の『観経』下下品の十念念仏往生の主張に対して起こった批判を、論破されたものである。

 逆にいうならば、それまでの浄土教にない発揮があったればこそ、また批判が生まれ、今度はその批判を論破することで、六字釋が生まれて、いよいよ阿弥陀如来のご本意が明らかになってきたのである。だから、その背景を知ることも、また尊いのだある。

 まさに、「善導独明仏正意」のおこころである。

 今回は、別時意趣方便説について、詳しく輪読した。

 別時意趣とは、無着菩薩の『摂大乗論』にもとづく摂論学派の偏執者によって、『観経』下下品の十念念仏往生は、唯願無行であって、往生別時意説であるとして批判されたことによる。『摂大乗論』には、仏の説法について、(1)平等意趣、(2)別時意趣、(3)別義意趣、(4)意楽意趣の四種の方便の趣を示されているが、今その(2)、別時意趣である。

 平たくいうと、釈尊の説法について、怠惰で精勤ではない劣機を激励するための方便として、遠く未来でしか獲得できない証果を、即時、または近時に獲得できるかのように示されたというである。詳しく見ると、そこには「往生別時意説」と「成仏別時意説」とがあるが、ここでは、前者の「往生別時意説」にあたる。

 つまり、摂論学派が下下品の臨終の十念では、遠生の因にはなるが、未だ往生を得ることはできないと主張したのに対して、まず、道綽禅師は、十念成就は過去の宿因によったものであるから、臨終の十念成就は即生の因となるのであるとされた。さらに、その道綽様を受けた善導大師は、十声の称名、即ち名号南無阿弥陀仏の中に願と行とが具足していると示し、願行を具足の故に、即時に往生ができるのだと明かして、浄土教批判を論破されたのである。

 詳しくは、テキストを参照くださる(14年の講習会)として、皆さんの感想の中に、聖道・浄土の分別を知らず、また往生と成仏とを混同し、さらに、『観経』の十念往生を法義を曲解して、これを行と知らずに唯願無行と混同していると批判されている摂論学派の偏執者と、まったく私は同じだという声があった。つまり、これまでの仏教の常識、行や往生の理解からみれば、下々品の悪人が「南無阿弥陀仏」ひとつで、即に往生できることの方が、おかしいのように聞こえるというのである。簡単にいうと、南無阿弥陀仏称えたくらいで、往生できるのかというこころである。しかしながら、その批判、疑問のおかげで、ますます他力回向の南無阿弥陀仏のお心が明らかになってきたのである。それを、私の上でいうならば、その生きた南無阿弥陀仏に私が出会わねば、けっして頷かせていただけない世界なのである。

 次回は、善導様の六字三義の深意にはいる。

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一乗寺~播州の国宝寺院(2)

Img_4037_2  予定はなかったが、近くに来たので、法華山一乗寺にも足を延ばすことにした。

Img_9806_2 かなり山間にあるお寺だ。
 もみじが多い。新緑の今も美しいが、紅葉は一段と見事だろう。

 急な階段を上っていくと、まず常行堂が姿を表した。阿弥陀様がご本尊とあったから、不断念仏の道場なのであろう。

Img_4038 また階段をあがると、今度Img_4040は国宝の三重塔。平安末期(1171年)に創立され、床のある(仏舎利というより、室内に仏道安置が目的)の塔としては、年代が確定できるものでは、最古の一つだといわれているそうだ。

 けっして大きくはないが、堂々とした安定さ、重厚さを感じる塔だ。
 東寺の五重塔とは、あきらかに趣が違う。

Img_4041 また石段を登ると、鐘楼堂を抜け、本堂である金堂(大悲閣)が、堂々と立っている。西国三十三箇所の観音霊場である。天台宗の寺院であるが、法華山の山号はあっても、法華よりも、念仏が盛んに行われいたという。Img_9817_2

 開基はというと、天竺マガタ国霊鷲山から紫の雲に乗って飛来したとされる法道仙人によって、白雉(はくち)元年(650年)に開かれたという伝説(真偽はともかく)をもつ、天台宗の古刹なのだ。

 急な石段をかなり歩いて疲れにが、眺望は、歩いただけの値打ちがある。ここも観光客は少なく、山間には鳥の鳴き声も響いて、風情があった。大雨の影響で、奥の院の道は閉鎖されていたが、足の具合を考えると、逆に助かったかもの…。
Img_9828_2Img_4048 Img_9834_2

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浄土寺~播州の国宝寺院(1)

Img_3994_3  縁あって、播州の国宝寺院を訪ねるすることになった。
  お目当ては、浄土寺で、阿弥陀如来三尊にお会いすることである。
  来迎の阿弥陀如来三尊としては、もっとも有名で、何度もテレビや写真集で拝見している。しかも、京Img_4034_2都から高速で、1時間強の近場にあるのだか、まだ訪れたことはなかった。

 播州の加古川流域には寺院が多いが、国宝寺院も点在している。京都と奈良に仏教美術の国宝や重文が集中しているが(博Img_9769_2物館所蔵の東京を除くと)、次いで隣接する近江の国滋賀県、さらに兵庫県が続くそうだ。

 まずは、小野市にある極楽山浄土寺へ。

Img_3996 静かな田園風景が広がている。
 参道を進むと、鎌倉時代に建立された国宝の浄土堂(阿弥陀堂)が見えてくる。朱と白、そして屋根瓦の黒のコントラストが美しく、上品なたたずまい。

Img_4022 境内は、GM中にかわらず静観で、落ち着いた雰囲気がいい。阿弥陀堂の拝観は、最後の楽しみにして、まずは境内の散策。

 鐘楼堂があって、その隣には、八幡神社もある。阿弥陀堂と薬師堂が向かいあうが、その間に神社があるのだ。Img_4018_2日の感覚では不思議な気がするが、廃仏毀釈の以前の神仏習合の形を残しているのだろうか。もともと、東大寺の鎭守の神でもあるのだ。

 いまは、真言宗のお寺になっているが、開祖は、東大寺を再建の大事業をなした重源上人である。もともとは、東大寺の別所で、七箇所あった念仏道場のと一つとして起こされている。開山堂には重文の重源上人像があるが、奈良博でおImg_4021いした。 

 薬師堂は重文で、浄土堂と同時期のもので、形もかなり相似的だったが、朱塗りがない分、地味な印象Img_4009_2がするが、ここが本堂。

 その裏山は、八十八箇所の霊場めぐりのうつしがある。いまは、真言宗になっているので、新しいものだ。重厚なホンモノの中で、このチープさも、また面白い。といっても、これを、現世利益を求めて、いまも信仰されている方もあるのだ。

 いよいよ、お目当ての阿弥陀堂へ。浄土堂ともいわれるが、その名Img_4033_3称がぴったりである。貴重な、鎌倉期の大仏様の傑作といわれている。

 浄土堂、内部。中央はImg_9793_2巨大な阿弥陀三尊がまします。外部からは想像もつかないほど、内部の柱や天井の組は、特色があった。しかも、その天井に突き抜けんばかりの巨大さで、阿弥陀様が立っておられる。観音、勢至の二菩薩を引き連れて、来迎するお姿は、快慶の傑作である。(写真はNG)

 それにしても、圧倒されるほどの大きさだ。もちろん、プロの写真や撮影されたものを見れば、もっときれいなのかもしれない。(たとえば、この写真 http://www.mapple.net/photos/H0000031078.htm
Img_4026 でも、この体感は、現地に立たないと、絶対に分からないものである。

 これに、裏手から西日が指す姿は、さながらに浄土来迎のようであろう。夏の夕方が、ことに美しいといわれた。またの機会をみて、再訪したいものだ。

 もっとも、現世利益同様、来迎もまた、ぼくには用事かなくなっている。いままさに、常に、南無阿弥陀仏がお迎えくださっているのであるから。
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余韻

 永代経法座が終わってから、あっちこっちと出歩いているが、その間も、法座の余韻を味わっている。

 7座のうち、6座が、6名のご講師のご法話。1座は、華光大会から移って、信仰体験発表の時間となった。

 どの先生のご法話も尊かったし、印象に残ったり、影響を受けて本を読んだりしたのだか、中でも、ご満座の悟朗先生の法話が、さまざまな意味で印象的だった。
 皆さんも、、驚かれた方もあっただろうし、悲しい思いされた方もあっただろう。「これ以上ない最高のお説教でした」と涙された方もあった。

 実は、永代経の数日前から体調不良。前日に医者に連れて行くと、症状は単なる風邪で、それ自体は心配はないとのこと。何分、高齢なので油断できない。法話も、体調次第で、交代する覚悟もしていた。しかし、当日は、案外元気で、本人からも大丈夫とのことだったが、何も準備はできていない。

 まさに、老体に鞭打ての身業説法だった。

 何も仰らず、時にしんどそうに頭を抱えながら、座っておられる。

 なんともいえない沈黙で、緊張感が道場に漂っている。

 その尊いお姿に、感極まって嗚咽と共に号泣念仏される方もおられる。
 先生を拝んむ方もおられる。
 すると、皆さんの声を制し、小さな声で、

 「ご一緒に称名念仏申させてもらいましょう。南無阿弥陀仏しか、真実はありません」

 皆さん、一緒に合掌し、称名念仏をさせてもらう。

 ひとしきりお念仏が続くと、先生から、皆さんを静止の合図をされ、静まる。すると、

 「こんな合図で終わるほどのお念仏ですね」と、ユーモアを交え、また一言があって、皆さんがお念仏をする。

 そんなことが繰り返された。

 ぼくもその仲間にいれてもらいながら、静かにお念仏させてもらった。すると、不思議な感覚なのだが、なんともいえない安らぎというのか、至福の思いに包まれているのを感じた。この時間がもっと長く続けばよいという気持ちもになった。大悲のお心に触れて、有り難いとか、尊く、感銘で心を動かされた法話や座談もあるが、こんな静かな至福感を味わったのは初めてかもしれない。といっても、それも30分までの話。それを過ぎると、もうそろそろ終わったほうがいいんじゃないかなと、心配にもなってきたが…。

 別に、いつものような法話があるのでもない。厳しいことを仰るわけでもない。ただ、悟朗先生を中心に、道場に集う人達と、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏々々」と、ただ称名念仏させてもらうだけである。でも、そこに当たり前と思っていることが、実は有り難く、尊いことはないのだという真実に出会わせてもらえる、幸せをかみしめた時間だったのかもしれない。

 DVDを撮影されていた、Fさんが、ぼくのところにやってきて仰った。
「如来様のご説法を撮影させてもらいました。タイトルは、大悲の呼び声ですね」と。

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鯉のぼり

Img_9921_2 5月5日、端午の節句。

 いまは子どもの日として、祝日になっている。

 都会では、すっかり鯉のぼりImg_9920をみかけることは、少なくなった。スペースの関係で、家の中に、兜や武者飾りをするほうが多いのだろう。

Img_9917 もともとは、竜門と呼ばれる滝を登り切りた鯉が、変じて龍になるという中国の故事に由来するものだという。

 池の上を、鯉のぼりがはためいている。いえ、泳いでいるといたほうがいいのだろうか。Img_4149

Img_9941_2 風が強くて、気温は若干低めだが、心地よい五月れ。
 きれいな花と一緒に。

Img_4112 Img_9902_2Img_4113 Img_9925

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オーガニックハウス Salute

 連休中だが、今日は、自力整体の教室があった。

Img_3975 レッスンが終わったら、「かりもんさん、こんなお店知ってる?」と、オガニックカフェのフライヤーを見せられた。いや、まったく知らない。しかし、教室のすぐ裏手で、1分もかからない場所にある。かなり称賛して勧めてくださる。満席のことも多いという。どうせ、近くのカフェでランチをして帰る予定だったので、ダメもとで、さっそく行ってみることにした。Img_3978

 でも、こんなところにお店あったかな? 近くなので、すぐに分かると思っていたが、見あたらずに、もう一度後戻り。どうやら、一筋間違えたらしい。やっと赤いのれんを発見。のれん以外は、普通の民家で看板もなく、この路地は確かに分からずらい。

Img_3979 へえー、マクロビオティックでもあり、ローでもあるんですか。あー、これって、なんか懐かしい感じ。

 ご一緒したお友達は、酵素玄米のローのカレー。ぼくは、おばんざいのランチセット。もちろん、Img_3980ベジタリアンだ。
 えー! なんとやさしい味なんだろう。
 器も、昔の家庭にあったもうなもので、大量生産の既製品ではない、手書き感がある。完食後の風景も1枚。食後は、これまたちょんと懐かしい、たんぽぽコーヒーを飲む。なにかうれしくなってきた。

Img_3983 店員さんと、ちょっとおしべり。不明だった、お店の名前も教えてもらいました。

オーガニックハウス サルーテ ですか。

 久しぶりにヒット。教室のあとは、ここでランチという日が増えるだろう。うれしくなって、RAW(ロー)やマクロに関心のある人に、さっそく「いいお店をみつけたよ」と勧めている。とても分かりやすい場所なのに、近くにくるとちょっとだけ分からずらいということもいいよね。

 京都駅(塩小路側)に近いので、ご法座でおいでになった時には、ちょっと足を延ばしてみては?

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Playback

 日本映画、『Playback』、初日は、上映前に舞台あいさつがあった。

Img_3974 最近は、京都シネマの上映される映画の8割方は観ているだろう。といっても、すべては観ることができない。この映画も、予告段階では、たぶんパスするなと思ったいた。初日に、監督、出演者の舞台あいさつがあり、先行チケット販売もある。それに祝日なれども、珍しくoffの日でもある。

 監督の三宅唱を始め、主演の村上淳、共演の渋川清彦、 渡辺真起子などが登場。一言ずつのコメントやあいさつがあった。今夜夜は、みなみ会館のオールナイトで、渡辺真起子の特集(なんと5本立て)も組まれるのだが、さすがに、それはパス。彼女は、小林政広や園子温監督などの作品でよくみかれるが、個性的な役柄が多く印象に残る女優。

 ところで、Playbackと聞いたら、なぜか山口百恵の「バカにしないでよ~」の『プレイバック partⅡ』のフレーズが思い出されるが、記録した映像や音声を再生することだ。

 モノクロの特色ある映像は、仕事に熱意を失い、家庭も妻との別居、しかも体にも不調をきたしている。そんな人生の分岐点に立たされた中年の映画俳優(村上淳)が主役だ。鬱ではないのだろうが、冴えず、覇気のない表情は、常に虚ろだ。その彼が、友人の結婚式に出席するために、故郷に戻ることになる。車中、居眠りをして目覚めると、なぜか、大人のまま制服姿の高校時代に戻っている……。という展開だ。

 題名のPlaybackどおり、現実なのか、空想なのか、それが反復されるストーリーだ。だが、再生時には微妙に細部が異なっている。結局、人生の岐路に立つ男の「再生」にも掛けられているのだろ。

 ラストを飾る、大橋トリオのやさしい歌声が、素敵だった。

 なんか熱心に観た如く書いているけれど、よほど心地よかったのか? それとも退屈だったのか? かなり居眠りが快適で、すっきり目覚めた映画だった。

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用事はなくなった

Img_3960 「ドンドン」と太鼓の音が響いている。進路と同じ方向で、稲荷大社の祭事が走っていく。稲荷祭(還幸祭)だ。

 そういえば、4月の永代経の時にも、Img_3963「ドンドン」と太鼓の響きと共に、稲荷大神が(トラックに乗って)、氏子区域をご巡幸になり、広くご神徳を垂れたまれたらしい。

 お旅所が、西九条の小学校の近くにある。かなりの古い歴史のある祭事で、1000年以上前に記録があり、平安中期には盛Img_3964んに行われていたというのだ。今日は、五基の御神輿が、途中で、東寺の僧侶による「神供」を受けた後に、氏子区域を巡行し、伏見稲荷本社に帰還されるのだ。

 実は、この町内も伏見稲荷Img_3967大社の氏子にあたる。
 町内にも、神事係(恐ろしいことに、その筋の方が係で睨みをきかせておられた)がいて、寄附が集められる。一昔前は、強制(町内行事の一貫)であったが、さすがに、今日はかなりその枠もゆるくはなった。それでも、組長があたると集めに回らなくてはならない。

Img_3968 子供の時から、御神輿巡行があるこは知っているが、夜店に遊びにいっても、一度も、御神輿をみたことはないのだ。せっかくなので、前を通ったついでに、ちょっとのぞかImg_3969せてもらうことにした。
 ヘーエー、これがこの地域の御神輿ですか。

 それにしても、商売繁盛を始め、現世利益信仰は、花盛りである。もちろん、ぼくだって、現世の幸せを願っている。いや、その欲得があればこそ、生きていけるといってもいい。念仏を喜ぶ身になったからといって、世間の欲望が消え去るわけではない。

 しかし、ここからが不思議なことであるが、そのために、神仏を利用する気持ちは、微塵もおこならい。お守りも、御札も、占いなどの因果の道理に反するものには、関心がないのだ。もちろん、初詣も、祈祷も必要がない。浄土真宗のおみのりをお聞かせに預かることで、そのことをハッキリ、キッパリと教えていただいたからである。その意味では、覚めているといえば、覚めているのかもしれないなと思いながら、まったく興味本意だけで、写真を撮られてもらった。

 これもまた、51年目で初めてのことだなー。

 このあと、神様ご一行は、トラックに乗ってお還りになるのでした。

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初めて~五重塔初層~

Img_3952 お客様がおいでになると、近場の西本願寺と東寺(教王護国寺)をご案内することが多い。

 有料ゾーンの拝観は、普通は、講堂と金堂のふたつである。特に、講堂は、密教の宇宙観を経典(言葉)では表せきれないものを、立体的な曼陀羅として顕した講堂の二十一軆もの仏像群で構成される立体曼陀羅があって、何度見ても見事の一言で、その度毎の発見がある。今回は、大日如来の化身である不動明王の迫力のすばらしに魅せられた。また、如Img_3933来を守護する天部もすばらしいが、帝釈天と梵天は特に秀逸で、帝釈天の男前度はピカ一で、思わず「わーあ、美形」と声がある。悟りの静寂や深遠さを表した如来像よりも、持物も多く、またより人間に近い天の方が、表情や姿勢もより細やかに表現しやすいからであろう。

Img_3937_2 ところで、今回の目的は、五重塔の内部である。しばしば特別公開されるのだが、近くにいるのに(というより身近すぎて)と、なかなかその機会がなかった。51年間、毎日のように眺めているのだが、51年目にして、ちょっとワクワクしながら、初め五重塔の初層を拝観されてもらった。

Img_3944http://www.toji.or.jp/2013_spring.shtml

 えー、思ったよりも、ずっと小さいことに、まず驚いた。ご承知のとおり、東寺の五重塔は、高さ55mで、現存する木造建築物としては、日本一の高さを誇る。その高さに比べると、この狭さはびっくりである。

Img_3945  9世紀に創建されたが、その高さのゆえに、落雷などによって何度も焼失しているのだ。しかし、一度も、地震では倒壊していない。その理由に、有力説はあるが、現代においても、ほんとうのところ確定的ではないのだから、そんなものを9世紀に建立したこと自体が驚きである。現在のものは、徳川家光によって再建された5代目で、江戸時代のものだが、国宝だ。

Img_3942 内部には、中央に五重塔の心柱がある。実は、これが大日如来であり、その回りを四軆の如来が囲んでいる。それで、講堂と同じ五智如来の配置となり、その回りは八大菩薩が奉られている。それ以外にも、柱や壁には、かなり彩色が薄れているが、たとえば護法八方天や八大龍王、そして真言の八祖師などが描かれていた。平安時代の講堂の仏像群と比べると、明らかに江戸期のものではあるが、Img_3950それでも、この静かに佇む雰囲気は、なんとも表現しがたく、魅せられる。

 今日は、ときより時雨れる天気で、風も強くて、5月というのに、肌寒い。それでも、お庭の池の回りには、さまざまな初夏に向かう花々が咲いていて、美しい。

 確実に、春は新緑の季節へと向かっている。

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舎利弗よ

 先日クイズ番組で、「舎利弗」という姓名の読み方が出題されていた。もちろん、普通に「しゃりほつ」さんでは、問題にならない。

 さて、なんと読むでしょうか?(正解は最後に)

 ところで、今回の永代経法座は、法要は、『大経』(四十八願)、『観経』、そして『小経』(阿弥陀経)の浄土三部経をお勤めさせてもらった。

 勤行前に、M師より、皆さんに、そのお経の簡単な説明があったが、これがご法話のようで有り難かった。けっして知らないことではなく、いつもお聞かせに預かっているのだが、原文になると難しく感じる。ただ文字を追うようにあげるだけで終わってしまう。せっかく、実際に読経するのだ。少し言葉の意味にも心を馳せながら、しかも、自分の声に出し、皆さんと一緒に勤めさせていただくことが、たいへん尊くも素晴らしいことのように思えた。

 最終日の『阿弥陀経』は、釈尊の一代結経といわれ、また、無問自説といわれている。釈尊の一代の最後のお経であり、またお弟子の問いを待たずに、一方的にお説教が続いているからである。

 その聞き手が、智慧第一といわれた舎利弗尊者である。だから、釈尊は、何度も何度も、

 「舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ…」

と呼びかけつづけてくださるのである。(そのことについは、二月の同人会ニュースに、伊藤康善先生が、物語風にお経の誕生の背景をお説きくださっているので、またお読みください)。

 その数、実に36回も「舎利弗よ」との呼びかけがあるのだと書かれていた。それを読んだ方から、「一つ一つ数えみたら、38回も「舎利弗」とありましたが…」との質問があった。まあ、確かめる同人も、ただ人じゃないけど…。

  実はお経の冒頭の六事成就と、最後の結びで、会座の聴衆として紹介され、お説教が終わって舎利弗以下が退席されたという2ケ所は、釈尊の呼びかけではないからだ。

 それでも、実に36回も、「舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ、舎利弗よ…」とお釈迦さまに呼びかけられておられるのだ。

 今回、ぼくもそのことに心を馳せながら、勤行をしていた。

 するとである。

 ああ、そうだなー。呼びかけられているのは、舎利弗尊者ではなかった! この私をめがけて、「かりもんよ、かりもんよ、かりもんよ…」と、仏様は呼びつづけ、真実を指し示して続けてくださっているのだと、味わわずにはおれなかった。なんと有り難いことか。

 愚かにも、何百回も、人ごとのように勤行してきたことであろうか。

 ところで、冒頭のクイズの正解は、「とどろき」さんというのだそうだ。

 釈尊の一番弟子であり、智慧第一の名声が轟き渡っているからだそうだ。
 すると、『阿弥陀経』では、36回もその名が轟き渡っている。
 いやいや、彼の名声ではない。如来のお働きのおかげで、その中が響き、轟き渡っているのだろうなー。

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