年忌法要
予想どおり、強い雨になった。
近所の同人宅での年忌法要。
数名だがご親戚の方もおられる。手を合わせ、声に出してお念仏を称えてもらう。そして、一緒に勤行してもらえるように「正信偈」をゆっくりとお勤めしている。
雑談のあとで、ご法話は、声に出して称えていただいた「南無阿弥陀仏」のお心をお伝えする。いつもと同じような話題なのてが、でも、一番大切なお心を繰り返してお伝えしていくことしかないことを強く思う。
手を合わせ、口に出す「南無阿弥陀仏」は、けっして呪文でも、まじないでもない。阿弥陀如来という仏様の他力(本願力)からの、私へのご回向であり、私からの祈願(お願い)や回向ではないこと、また故人の追悼のために称えるのでもないことを、身近な話題に引き寄せてお話申しあげた。世間の一般常識の、手を合わせ、称える意味とは、まったく逆といってもいいのである。
けっして、難しい話をしているのではないが、親(如来)の方から、私に手を合わせ、声に出して私を呼ぶ声であり、その声に応える子(私)の返事であることを、私のこととして聞いていただくことは、ほんとうに難しいことだ。
前回も、その前も同じような話をさせてもらっているが、今回もまた、初めてのことのように驚いて聞いておられた。ただ、これを繰り返していくしかない。
私もまた、命の長い親によって、お育てに預かってきたのに変わりはない。南無阿弥陀仏
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