長期連載
たぶん、昨年のことだったと思うが、岡山の家庭法座の飲み会で、あるご住職から、「いま、寺報に、亀井廣先生にお正信偈のお心を連載してもらっているのが、あと数回で終わる。次は、ぜひ、四十八願を1願ずつお願いできませんか」との打診があった。僕もほろ酔い気分で、「ああ、いいよ」とあっさり快諾をした。
しかしである。あとで、よくよく考えると、寺報は年3回程度の発行。1回に1願ずつなら、えーと、16年間もかかるではないか! うーん、そんな先まで命があるのやら、その方と仲良くしているのやら、かなりあやしい。まあ、先の話だと、すっかり忘れて歳月が過ぎていったが、3月末に原稿依頼があった。しかも単なる解説ではなくて、「MR.かりもん師」の色が出たものをものをお願いします、との枠まで付けられた。いやはや邪魔くさい。でも、約束は約束だ。1願ずつといっても、何願かをまとめたり、逆に大切な願は数回に分けたりしながら、阿弥陀様の私にかけてくださった根本の願いを味わっていくことになった。
いろいろなところに原稿を書いてきたが、テーマのあるこんな長期連載は初めてなので、かなり限られた紙面でとあるこどあって、面倒くさいなとも思うけれども、どこか楽しみでもある。
出来る限り分かりやすく、それでも大切な要を外さないでお伝えできればいいと思っているが、初回は、あいさつのあと、概観的なところから始めた。
まず、1回目は、四十八願とは何ですか。どこに、誰が説かれたものなのかなどの基本的なことに触れておきましょう。
親鸞様が、真実の教えだと断言された『仏説無量寿経』(大経)に、四十八願は説かれています。『大経』は、お釈迦様の出世本懐(しゅっせ・ほんかい)のお経で、本願(四十八願、中でも第十八願)を説くことが、このお経の最も肝要なことです。お釈迦様は、阿弥陀様のご本願を説きたいがために、この世にお生まになられたのです。ならば、私達も、このご本願をお聞かせいただくことこそが、最も肝要なんですね。
さて、四十八願は、私達のためにお釈迦様が説いてくださったのですが、これは阿弥陀様の願いなのです。少し詳しくいうと、阿弥陀様が、阿弥陀様になられる前、生きとし生きるものをすべての苦しみを除きたい、私を本当の幸せにしたい!と、法蔵菩薩というお名前でご修行中に、お師匠様の世自在王仏の前で起こされた、希有なる大誓願のことをなのです(このあたりは『正信偈』の冒頭にありますね)。
実は、どの菩薩様も、誓願(ちかいとねがい)に生きておられますが、四十八願は、阿弥陀様の特別な願(別願)なのです。それで、四十八個の願いすべてに、「私(法蔵菩薩)が仏(阿弥陀仏)に成る時、もし×××が実現しないようなら、私(法蔵菩薩)は、決して悟りを開きません」という、尊い誓いを建ててくださっています。
ではその願いの中身は何か。次回から一つ一つ味わっていきましょう。
この原稿の前段階で、多少は聞法されているが、初学者の方に読んでもらった。
すると、「まったく知らないので、この企画は有り難いです」、とのお断りの上だが、「出世本懐という言葉が分からない」とか、「×××って、山口百恵の美・サイレントみたい」とか、はたまた、「生きとし生きるものをすべての苦しみを除きたい、私を本当の幸せにしたい!なんて、偽善ぽいなー」とか、かなり本音の辛辣なお答えをいただいた。
はい、勉強になりました。紙面の都合で変更はできないところもあったが、多少、その声で書き直したのが、上の原稿。あんまり代わってないかなー。
ひとつだけ、生きとし生きるものをすべての苦しみを除きたい、私を本当の幸せにしたい!もし、これが人間の願い、私の言葉なら、偽善だろうけれど、阿弥陀様のそのために大悲の塊になってくださっている。私には微塵もない、その大悲のお心を聴くことが聞法。
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