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2013年4月の17件の記事

おかげ

 3日間の永代経法座が終わった。

Img_3926 翌朝は、普通ゴミの収集日。玄関に出したら、絵の通り足の踏み場もない状態。

 これに加えて、翌日のプラステックごみに2袋、翌々日のカン・ビンに3袋が残っている。

  毎回のことながら、これを出し終えたら、行事が終わった気持ちになる。

 紙コップもお弁当の容器も必要なものであり、中には食べもの、つまり、生きものもあったのだ。どこにも最初からゴミといわれるものは、この世には存在しないのだ。ただ、私が、もう必要でなくなり、利用価値がなくなって、邪魔者になったら、側に置きたくないので、ゴミと蔑稱して捨てていくだけのことである。

 私の「有り難かった、尊かった」には、期間中は目に触れないところに隠され、行事が終わったら捨てられていく、ゴミと嫌われているいのちのおかげの上にしか成り立ってはいないのだ。

 そんな当たり前のことすら分からないのが、無明の私の姿なのだ。

 だって、絶対に、この臭い匂いするゴミを、有り難がって拝まないものなー。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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まもなく永代経法座です

 例年、GM中は、華光会の永代経法座である。
 4月末になるか、5月の始めになるかの違いはあるが、今年は、4月末の日程(4月27日(土)・28日(日)・29日(祝))の3日間である。

 全部で7座あるが、6名の先生にご出講いただき、ご法話がある。また、今年から1座は、信仰体験発表の時間である。これまでは華光大会の恒例行事であったが、試験的に永代経法座に移してきた。

 法要は、3日間とも、昼座のみ3回だ。
 昨晩は、M師と法要の打ち合わせをする。特に、決まったことはないそうなので、初日は、『仏説無量寿経』(四十八願)、二日目は、『観無量寿経』で、故池永師の追悼法要も兼ねている。三日目は、『阿弥陀経』をお勤めさせてもらう。

 今日は、おみがきやトイレ掃除に京都同人の有志の方、日曜日には遠方からのお手伝いもあったが、明日、明後日も、掃除のために皆さんがご協力くださる。

 すでに宿泊定員には達しているが、まだお参りだけなら、余裕があるので、どうぞ奮ってご参詣ください。当日の参加も可能だが、、事前にご連絡いただけると、受付もスムーズなので、どうぞご協力ください。
 詳細は、以下のHPで。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/04/eitaikyo2013-4.htm

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指し示されたまこと

 4月の輪読法座。

 常連がお休みで、参加者は少ないめ。逆に、生駒や長浜から仏青のお参りがあった。

 巻頭言の「お釈迦様のお勧め」を読む。

 このところぼくがよく法話する、お正信偈の構造を通しての「応信如来如実言」に呼応する内容だ。弥陀の本願を、教主である釈尊の教説を通してお聞かせに預かったいるのである。

 まず、全体を通して読み、次ぎに一段落ずつ味わって読み、最後にもう一度全体を通して読み進めた。

 若い参加者から、本文に「繰り返し」のお勧めという言葉が、(それこそ)繰り返し使われていることから、私にかけられたあの手、この手のお育て、ご方便を、「分厚いお勧めのおかげ」という言葉で味わっておられたのが、印象的だ。

 ぼくは、短い本文の中に、「指し示す」とか「指南」、「指勧」と、「指」という言葉が何度もでてきたことが、こころに残った。

 釈尊の説教(まさに仏説)である第十八願成就文にも、「其の名号を聞きて、信心歓喜せん」とある。まさに「其の」と、お釈迦様が指を差して、諸仏が褒めて讃えてくださってる十七願の名号であることを示してくださっている。最高の善知識であるお釈迦様によって、「これだよ、これなんだよ」と指し示していただいたおかげで、私達は、南無阿弥陀仏の真実を、聞くことができるのである。

 そのことを親鸞様が明かにされ、それが連続無窮の働きによって、末法の今も教えていただいけた知識に出会えたことを喜ばずにおれない。

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花水木

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 京都駅前に自力整体に出かけたら、隣の区役所の入り口に、2本のハナミズキが咲いていた。

 新葉も目立つているので、満開を過ぎImg_3907ているところだが、紅と白の花がツイになって、きれいだった。

 初夏を思わせる暑い日続いたと思ったら、ここ数日は、一転肌寒い。山間部や北国では、雪になっているようだが、京都でも、朝晩は、かなり寒い。だいたい春は、寒暖の差が激しいものだが、前日の最高気温が14、5度も下るのも珍しい。1日の中でも寒暖の差が激しいので、体調管理もなかなかたいへんだ。厚手の服も、なかなかクリニーングに出さない。
 でも、すっかり春だよねー。Img_3906_2

 

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総会

 恒例の真宗カウンセリング研究会の総会。

 営利などの利害関係のない小さな集まりだが、M先生を中心にして、52年目の活動が始まる。細々でも、身の丈にあった継続的な活動を信条としている。

 数名をのぞいて、世話人や事務局の担当ばかりだか、全員が、参加した昨年の各セッションや集いについて、各自の言葉で振り返り、分かち合うという感じで進行した。感じたり、気付いたりすることがあって、最後は、時間が短くなったが、役割分担などの決めなくてはならないことまでは、決まった。 

 月例会では、英国の第一人者、ブライアン・ソーン著「の「カール・ロージャズ」に取り組むことになった。ただ、昨年は、ロジャーズの歩みや中核理論の核心部分が中心だったが、今年は、有名な事例を通してカウンセリングの特色や、批判の部分で、進行が難しい。輪読と並行しながら、実際の映像として残っている、ロージャズの面接ビデオを見ても、面白いかもしれない。また本書は、カウンセリングとスピリチュアル(霊性)との問題に触れてるのが特色なので、真宗カウンセリングの視点から、掘り下げていってもいいかもしれない。そのあたりは、5月にもう1度、皆さんと相談することにしよう。

 本年度も、どうぞよろしくお願いします。

 華光会館の1階に、今年の活動ブログラムがありますので、ご自由にお持ちください。

http://dbpca.web.fc2.com/2013.html

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震動大千

  早朝、長い揺れで目が醒めた。京都では、久しぶりの地震。大きな揺れではなかったが、長かった。不気味に思い、テレビを付けると淡路島が震源。時間帯といい、阪神大震災を彷彿とさせられて、心配になる。

Img_3901 新幹線も遅れがでて、京都駅は払い戻しなどで混雑していたが、ぼくが乗る時間帯は、ほぼ通常ダイヤに回復。被害も大きくなくて、一安心。

 快晴。
 久しぶりに青空の富士山をみた。雪のバランスもいい。残念ながら、デジカメが手許にない。

 帰路も、天気がよくて、今度はデジカメを用意していたが、逆光になってクッキリは取れなかったのが、残念。行き帰りともきれいな富士山が見えるは、なかなか珍しい。

Img_3890

 今年は桜早かった。東京では終わっている思っていたが、八重桜は満開だ。
 会場の全林野会館前の公園の桜が、青空に濃いピンクが映えている。

Img_3896 2ケ月ぶりの東京支部法座だ。

 初日は、新顔もなく、参加者も少なめ。夕食や懇親会は、少数だっだことで、ゆっくりと過ごすことができた。逆に、日曜日は、初参加者も含めて、倍近くの参加者である。

 法話の最中にも、地震。東京では珍しくないらしいが、ぼくの東京法座の最中に、よく起こる。昔、聞法旅行で訪ねた稲田の草庵の本堂で、ご法話中に大きな地震があったことを思い出す。もちろん、震動大千というわけではないですが…。

 

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skype

 便利な世の中になった。

 アメリカのバークレー留学中(?)の子どもたちとの連絡は、専らスカイプだ。

 父が、アメリカ布教中は、料金を気にしながらの国際電話だっだのなー。

 それが、いまや(いわば)テレビ電話(画質はいま一つだし、向こうの画面が映らないことも多いが)で、画面を見ながら話すことができる。しかもである。アメリカと日本の国際間でも、何時間でも無料というのが、とても有り難い。おかげて、時間がゆるせば、1日おきにでも、会話ができる。

 時差は、約17時間だが、春分の日からサマータイムになるので、1時間短くなる。学校の都合で、アメリカの夜8時~9時ごろを連絡すると、日本は、すでに日付が変わっていて、翌日の昼間12時~1時ということになる。こちらが、「これからお昼ごはんやねん」と言いながら、Img_3887供たちには「じゃ、おやすみ」と、お別れする。

 逆に、こちらの深夜は、向こうの朝で、今度は、「おはよう」と「おやすみ」が、同時に来る。ぼくが寝る間に、アメリカでは学校に行っていることになる。サマータイムの前後は、ちょっと混乱することもあったが、いまは慣れた。

 今日は、父や母も来て、子供たちと歓談している。
 しばらく会わないうちに、大きくなったなー。

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『恋する輪廻』~オーム・シャンティ・オーム~

 仕事を終えて、レイトの映画に、みなみ会館へ。
 劇場の入り口前で、携帯の男性に見覚えあり。あれれ?、Yさんじゃないですか。
 週に1度、京都に下宿されて、龍谷大学院に通っておられるだのだか、どうやら授業の帰りらしい。電話中なので、会釈だけして、劇場へ。

 すると、Yさんも中に入ってこられた。ぼくをおいかけてこられたのか、映画好きで予定されていたのかは知らないが、京都のディープな劇場で、二人でインド映画をみることになった。 日本では、一度、踊るマハラジャで、小さなブームがあったが、なかなか世界一の映画大国でありながら、インド映画はブームにはならない。

 アメリカのハリウッドに対抗して、ボンベイ(今はムンバイだが)に由来する「ボリウッド」と呼ばれている。仏跡の地のある地域と違って、ムンバイは近代的な都市の印象がした。ぼくも、30年前に、インドで本場のインド映画を見たことがある。でもボンベイではなくて、首都ニューデリーの映画館。リキシャーに乗って出かけたのだ。平日の夜だったが、民衆でごった返していて、ちょっとドキドキしたことを覚えている。言葉はわからなかたっが、そんなことはどうでもよかった。極彩色の画面と、歌い、踊るスートリーに、言葉不要だ。映画の題名をメモっているが、あわてて書いたようで、その綴りも曖昧だが、「エッグ・ツジャリエ、二人の為」と、意味不明な映画で綴らないる。

Om_shante_om でも、今年は、そんなインド映画がプチブームの予感。まとめて上映される機会があるのだ。その第一弾が、今夜の『恋する輪廻』~オーム・シャンティ・オーム~だ。

 いきなり、輪廻転生ですか。しかも、「オーム」じゃないですか。残念ながら、日本では「オウム」真理教で、悪名高くなってしまったが、もともとは仏教でも、ヒンドゥーでも、さらにヨーガでも、聖なる言葉なのである。ぼくがやっている呼吸法でも、途中で、3度「オーム」唱えながら、長くい呼吸が挟まる。

 ホホー、インド映画の中の王道ですなー。極彩色の華麗な衣装に、ダンス、そして歌、さらに恋愛に、アクションに、コメディーに、ホラー(?)に、サスペンスと、なんでもありの豪華絢爛てんこ盛り。その上、インドは有名な新旧のスターがカメオで総出演しているようだ。といっても、日本のぼくたちは、知ったことではない。それより、新人のヒロインがまばゆいばかりに美しい。さすが、人口12億の大国である。チラシのお写真は、まさに千手観音である。
しかも、「輪廻、ミュージカル・エンターテインメン!!」とチラシにある。なんのこっちゃ。ストーリー? まあ、ストーリーは、まあどうでもいいかもしれない。悪くはなかったけが、即に輪廻転生し、過去世の記憶が簡単に蘇るなんて、ご都合主義もいいところ。でも、そんなことは、インド映画には関係ない。3時間の長尺なのに、居眠りすることなく、楽しめたのだから、よしだ。

 でもね、大事なクライマック、残り15分になってから、機材のトラブルで、何度も画像が切れるという醜態まだおこった。アアー、京都みなみ会館のその後の対応はいただけない。以前、京都シネマで、雷で停電して、一瞬、画面が途切れた時には、次回の無料券が配られた。一瞬で、むしろなんの実害もないのにラッキーだ。でも、こんなに何度も途切れて、最後は何分も待たれたのに、みなみ会館では、1000円になる割引券だけ。ウーン、ぼくはここの劇場は、いつでも1000円なんですが…。クライマックスのよいところで、あんなに何度もぶちきれたら、こちらがブチきれそうになる。ロビーでは、親爺がスタッフを捕まえて、かなり怒っている。気持ちはわかるなー。

 でもね、これも仕方ないですよ。だって、ここはインドなんですから。停電も、トラブルも、すべて

「それはあなたのカルマが悪い」ということになる。タイトルの「シャンティ」は、平安とか、平穏ということですか、まあ、オームと3度唱えて、心穏やかにいきましょう。

 というわで、予定にはなかったが、Yさんと、劇場近くの飲み屋で、一杯呑みことにことにした。論文のこと、映画のこと、そして金儲けの秘伝(?)を、おいしい京都の地酒を肴に、楽しい時間を過ごした。Yさんとは、熊本の上通り、京都の木屋町と、3週続けとの楽しいお酒となった。 どうやら、よいカルマの1日となりました。

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願文と成就文

 4月の伝道研究会。

 安心編の総論に入って、願文と成就文に関係について。
 成就文といえば、大経下巻の冒頭、十一、十七、十八願の成就文は、よくご法話でもお聞きする。中でも、本願成就文である第十八願成就文は、機受の極要といわれるが、法蔵菩薩(阿弥陀さま)の直説である本願を、応身仏である釈尊によって開示解釈されたことで、私共凡夫にも届けられたものである。

 しかし、成就文は、何も「行、信、証」のこの三願だけではない。やはり釈尊のご教示がなければ、十二、十三願の光明無量、寿命無量の願のお心もわからないのだ。それを、十二願と、十二願成就文を比較しながら尋ねていった。皆さんも、「十二願成就文はどこにあるのですか。聞いたことがない。何故、上巻にあるんですか」という程度で、ほとんどがご存じない。確かに、日頃のご法座では、わざわざは聞かない。しかし、実は、いつもよく目にされている有名なご文があるのだ。

 『正信偈』の十二光である。

 つまり、お『正信偈』は、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の帰敬表宗で始まったあと、阿弥陀仏の救済の因果について、つまり、南無阿弥陀仏の救いの因果でなのであるが、まず法蔵菩薩の発願の因ついて述べられたあと、その結果が示される。それが、十二願成就文にある十二光と、そして十七願、十八願、十一願成就文のお心で、阿弥陀様の救済(くさい)の示されているのである。これもまた、五願(12、13、17、18、11願)開示のおこころである。

 しかも、本願文だけでは阿弥陀仏のみ仏身のお徳を誓われたように見えるのが、十二、十三願の成就文によって、無量寿仏のみならず、その往生人もまた、光明無量、寿命無量の弥陀同体となることが、釈尊によってご教示くだされたのである。

 皆さんは、ポカッーと口を開けながら聞いておられたが、『大経』と『正信偈』の関係、さらには、『教・行・信・証・真仏真土』との関係などと体系的に聞かせていただけた。

 今月は、欲張って、「六字釋」の序説にも入った(詳しくは、次回から)。
 その冒頭、弥陀の本願は、釈尊の成就文によって、どのように開示解釈されたかということを、

 「名号を信心として授けられた」

 の一言であらわされていて、またしても学ばせてもらった。実に、今回は教えていただくことが多かった。直後の法座でのご法話にも、反映されていくだろう。

  次回は、5月8日(水)夜7時30分~9時50分です。

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竹田城址

 朝から同人宅を8軒の月忌参りをする。すべて歩いて行ける距離にある。皆さん、高齢になられ、老苦、病苦を目の当たりにする。それでも、まだ女性はお元気だ。先にご主人に先立たれた方ばかりだが、10年以上元気に過ごされている。女は強しだ。

Img_3827_2 すべてが終わって、S代さんとお別れ。永代経には参加したいと、急にはりきっておられて、びっくりした。法の力で蘇られたようだ。

 そのままRさんとの待ち合わせ場所へ。おいしい手打ちうどんをご馳走になり、帰路のインターから遠くない竹田城跡Img_3884に案内しもらうことになった。何十年も日高法座に来ているが、数年前までは竹田城の存在すら知らなかった。しかも、インターから、こんなに近い場所にあるとは思いもしない。

 細い旧街道を抜けて、最寄り駅の竹田駅に立Img_3849ち寄る。趣のある駅前は、中年のハイカーでごった返している。案内のRさんも、その盛況ぶりに驚いておられる。山頂の最寄り駐車場に近づくと長蛇の車列。先頭に30分待ちの標示だ。平日の午後に、こImg_3855の人気。しかたないので、中腹の駐車場に車を止めて、そこから歩くことにした。麓からも頂上の石組みが見えている。
 昨日の荒れ模様は一転、好天で、汗ばむ陽気だ。ただ山城の見学の予定はなかったので、背広、革靴で歩くにしては、ちょっと距離が長かっImg_3834た。でも、天気もよくて、森林浴にもなり、気分はいい。かなり登り道を歩いて、やっと山頂の駐車場に到着。そこからまだ山道を700mほどいったところが、山城跡の入り口にあたる。ここから人出か急増。何台も観光バス来ている。もともと、雲海に浮かぶ姿が天空の城として人気がでてきたところに、高倉健主演の映画で、妻Img_3839役の田中裕子の童謡コンサートの様子が描かれているのが、ここだ。あなたへには、このブログでも触れている。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog//10/post-138f.html

Img_3852 汗をかいて、やっと山頂に到着すると、眺望も絶景である。
 ただ満開のはずの山桜は、残念ながらまだ疎ら。それでも青空に輝いている。それにしても、見事な石垣の石組みだ。石垣以外は何も残っていないが、放射線状に広がる城の配置も、またユニークで、「虎臥城(とらふすじょう)」Img_3872と、別称されていたそうである。15世紀に、山名宗全によって基礎が築かれ、秀吉によって落城し、関が原以降に廃城になっているので、すでに400年以上経っていることになる。

 好天と、見事な眺望に、すっかり気分もよかったが、今度は、Img_3886下り坂を歩かねばならない。でも、適度な運動になって、気分はいい。ここからだと、高速のインターも近くて、会館までは2時間弱だ。

 ただ、午前中は正座、午後は予期せぬ山歩きで、ちょっと足が疲れた。運動不足もいいところだなー。近所のスーパー銭湯に立寄って、汗を流して、ゆったり気分で帰宅。
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日高支部法座

Img_3805 支部法座は、土曜、日曜という日程で開かれるが、今回は、高の支部長さんの提案で、日曜、月曜の変則て開催。ただ、曜日が変わっただけでなく、これまで、土曜の夜が大人、日曜の朝が子供会という段取りの法座を、日曜日の昼・夜にまとめ、分散していた月忌参りを月曜日に、集中して回ることになった。

 荒れ模様の空を心配していたが、風は強くても、北部は心配したほどではなかった。ただ、夕方から急激に冷えて、夜はかなり寒かった。

Img_3808 子供たちはお参りしないが、せっかくの花祭りだ。大人だけでも、あまちゃを飲んで、お釈迦様のお誕生をお祝いした。年々人数は減っていくが、おもわぬお客様もあり、また夜には、壮年世代の野方もお参りくださって、うれしかった。

 昼座のご法話は、その花祭りに因んで、お正信偈の
  
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪世群生海 応信如来如実言如来」
をいただいた。

 意訳の「しんじんの歌」では
  「教主世尊は弥陀仏 誓い説かんと生(あ)れたもう
  にごりの世にしまどうもの おしえのまことを信ずべし」
といことになる。

 お釈迦様は、教主であり、弥陀さまは、救主ということになる。では、二河白道では、どんな役割とお言葉がありますかとか、他の諸仏のお役目なんですか、なぜ、そんな大切なお釈迦様をおまつり(誕生仏の花祭りはするけどね)しないのですかなどと、具体的に問いを投げかけながら、おこころを味わった。

 ここは、歎異抄の第2章の「弥陀の本願まことにおわしまさば…」にも通じるところである。結局、私達は、阿弥陀仏の本願、南無阿弥陀仏のお心をお聞かせに預かるのであるが、漠然とした話ではなくて、しっかりと、それを、誰の言葉として、どうお聞きするのかを、伊藤康善先生のご指南を仰げ、懇ろにそのお心をご教示くださったおかけで、いまご法を喜べる身にならせていただているのである。

 このことは、最近、支部法座でもよく話しているので、詳しくはこちらで。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-b285.html

 

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年忌法要

 予想どおり、強い雨になった。

 近所の同人宅での年忌法要。

 数名だがご親戚の方もおられる。手を合わせ、声に出してお念仏を称えてもらう。そして、一緒に勤行してもらえるように「正信偈」をゆっくりとお勤めしている。

 雑談のあとで、ご法話は、声に出して称えていただいた「南無阿弥陀仏」のお心をお伝えする。いつもと同じような話題なのてが、でも、一番大切なお心を繰り返してお伝えしていくことしかないことを強く思う。

 手を合わせ、口に出す「南無阿弥陀仏」は、けっして呪文でも、まじないでもない。阿弥陀如来という仏様の他力(本願力)からの、私へのご回向であり、私からの祈願(お願い)や回向ではないこと、また故人の追悼のために称えるのでもないことを、身近な話題に引き寄せてお話申しあげた。世間の一般常識の、手を合わせ、称える意味とは、まったく逆といってもいいのである。

 けっして、難しい話をしているのではないが、親(如来)の方から、私に手を合わせ、声に出して私を呼ぶ声であり、その声に応える子(私)の返事であることを、私のこととして聞いていただくことは、ほんとうに難しいことだ。

 前回も、その前も同じような話をさせてもらっているが、今回もまた、初めてのことのように驚いて聞いておられた。ただ、これを繰り返していくしかない。

 私もまた、命の長い親によって、お育てに預かってきたのに変わりはない。南無阿弥陀仏

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満開

  今週は、 なぜか遠方からの来館が多かった。

 まず、広島からは、若い娘さんとお母様。東京の大学を卒業されて、4月から就職されるのを機に、ごあいさつを兼ねて、ご示談にお出でになられた。まだお若くて、聞法経験も少ないが、真面目に人生を生き、豊かな感性で、世の無常を実感し、法の尊さを素直に聞き入れていかれるお姿は、もう立派な求道者。ぼくも、新鮮な空気をいただいて、有り難かった。

 新潟からは故I先生の奥様が、急にお出でなって、びっくり。ご本人も、突然の上洛になったそうだが、せっかく京都まで来たのでと寄ってくださった。華光誌追悼号のことも喜んでくださる。

 そして今日は、東京支部のSさんが、病の身を押して、1年ぶりに華光会館に訪ねてくださった。悟朗先生や母にも、一言御礼を申されたかったのであろう。よくお出でくださりImg_3801_2ました。ただ、「ようこそ、ようこそ」である。

 それにしても、今日は天気がいい。夏日になって、風も心地よい。冬の間、ほとんど閉じこもったままの父を連れて、十条駅までお見送りを兼ねて、3人で、すぐ近くの公Img_3799_1園に出かけた。

 桜が満開だ。

 風に吹かれて花びらが舞い始めている。今日の好天も、明日からは台風並の大荒れになるという。もしかすると、「夜半に嵐のふかぬものかは」で、今週末には、この桜も散ってしまうかもしれない。でも、おかげさまで、南無阿弥陀仏一つで、もう用事は足りている身が、ありがたい。Img_3800

 夕方は、福岡のYさんご夫妻にお誘いいただく。しかも、九州の方に、京都のおいしいお店を紹介してもらった。三条木屋町近くの焼き野菜のお店。新鮮な旬の野菜の数々を前に、事務所のTさんも、最初から満開、エンジン全開で、かなりハイテンション。
 おかげで、楽しい夜を過ごさせてもらいました。ちょっと飲みすぎましたか…。ありがとう。
御馳走さまでした。Mainimage_4 
 ちなみにTさんを満開にさせたのは、こんな雰囲気のお店。焼き野菜が中心だけど、旬の魚やお肉の炙り物も…。

 

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素朴

 姉から龍谷ミュジーアムの招待券をもらった。義兄が、3月で退官された館長さんの友人という関係で、これまでもたびたびご招待いただいている。

 両親を連れて、企画展の若狭・多田寺の名宝展に行く。

Img_3787  この特別展まで、若狭の多田寺のことは、まったく知らなかった。真宗寺院でもないので、どんなご因縁で、龍大の博物館で開催されることになったのも、まったく知らない。

 これまで、数回、若狭の各地を巡っている。小浜でも、観光や海水浴にいったこともあるが、いずれも子供のころなので、詳しい記憶はないが、断片的には印象深く覚えImg_3788ている。ただ、お寺の記憶はないが、小さくても古刹が多いことで有名だ。 

 今回の展示も、国宝級のすごい名品があるわけではないが、素朴の中にも、引き付けるものがある。博物館にある美術品ではなくて、生きた信仰に支えられきた独特の匂いが漂っているからだろうか。

Img_3789 通常展示では、仏教の発展や釈尊伝の展示があった。6月末にシルロードに行くこともあって、西域北道の遺跡に関する展示に、こころが動いた。特に、ここにはベゼクリク千仏洞の誓願図のデジタル復元の回廊がある。しかも、その様子や現地の映像が、ミニシアターでも上映されていた。あー、こんなすごいところに行くんだなーと、感激。

 でも、ベゼクリク石窟寺院の壁画の多くは、近代の探検家に持ち去られて、イギリス、ロシア、日本、韓国、インドなど世界各地の一流博物館に分散して保管されている。日本や韓国のものは、大谷探検隊による収集品だ。そのおかげで、崩壊寸前の貴重な美術品が残ったのではあるが、現地にないというのは寂しい。

 映像をみた母が、「ここに行っても、何もないのと違うの?」と言われた。まあ、そのとおりだけれども、それをいうならば、どんなところでも映像や写真集の方が、きれいに見えるのにはまちがいない。でも、実際にその場に立たないと分からないことは多いのだ。仏教が播の地の空気感やその匂いは、実際に体感しなけれど、絶対に味わえることはない。その意味でも、いい予習勉強になった。http://museum.ryukoku.ac.jp/bezeklik/index.html

 しかも、次回の特別展が、平山郁夫画伯の悠久のシルクロード展というのも、ぼくにはタイムリーだなー。http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html

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長期連載

   たぶん、昨年のことだったと思うが、岡山の家庭法座の飲み会で、あるご住職から、「いま、寺報に、亀井廣先生にお正信偈のお心を連載してもらっているのが、あと数回で終わる。次は、ぜひ、四十八願を1願ずつお願いできませんか」との打診があった。僕もほろ酔い気分で、「ああ、いいよ」とあっさり快諾をした。

  しかしである。あとで、よくよく考えると、寺報は年3回程度の発行。1回に1願ずつなら、えーと、16年間もかかるではないか! うーん、そんな先まで命があるのやら、その方と仲良くしているのやら、かなりあやしい。まあ、先の話だと、すっかり忘れて歳月が過ぎていったが、3月末に原稿依頼があった。しかも単なる解説ではなくて、「MR.かりもん師」の色が出たものをものをお願いします、との枠まで付けられた。いやはや邪魔くさい。でも、約束は約束だ。1願ずつといっても、何願かをまとめたり、逆に大切な願は数回に分けたりしながら、阿弥陀様の私にかけてくださった根本の願いを味わっていくことになった。

 いろいろなところに原稿を書いてきたが、テーマのあるこんな長期連載は初めてなので、かなり限られた紙面でとあるこどあって、面倒くさいなとも思うけれども、どこか楽しみでもある。

 出来る限り分かりやすく、それでも大切な要を外さないでお伝えできればいいと思っているが、初回は、あいさつのあと、概観的なところから始めた。

 まず、1回目は、四十八願とは何ですか。どこに、誰が説かれたものなのかなどの基本的なことに触れておきましょう。

 親鸞様が、真実の教えだと断言された『仏説無量寿経』(大経)に、四十八願は説かれています。『大経』は、お釈迦様の出世本懐(しゅっせ・ほんかい)のお経で、本願(四十八願、中でも第十八願)を説くことが、このお経の最も肝要なことです。お釈迦様は、阿弥陀様のご本願を説きたいがために、この世にお生まになられたのです。ならば、私達も、このご本願をお聞かせいただくことこそが、最も肝要なんですね。

 さて、四十八願は、私達のためにお釈迦様が説いてくださったのですが、これは阿弥陀様の願いなのです。少し詳しくいうと、阿弥陀様が、阿弥陀様になられる前、生きとし生きるものをすべての苦しみを除きたい、私を本当の幸せにしたい!と、法蔵菩薩というお名前でご修行中に、お師匠様の世自在王仏の前で起こされた、希有なる大誓願のことをなのです(このあたりは『正信偈』の冒頭にありますね)。

 実は、どの菩薩様も、誓願(ちかいとねがい)に生きておられますが、四十八願は、阿弥陀様の特別な願(別願)なのです。それで、四十八個の願いすべてに、「私(法蔵菩薩)が仏(阿弥陀仏)に成る時、もし×××が実現しないようなら、私(法蔵菩薩)は、決して悟りを開きません」という、尊い誓いを建ててくださっています。
 ではその願いの中身は何か。次回から一つ一つ味わっていきましょう。

 この原稿の前段階で、多少は聞法されているが、初学者の方に読んでもらった。
 すると、「まったく知らないので、この企画は有り難いです」、とのお断りの上だが、「出世本懐という言葉が分からない」とか、「×××って、山口百恵の美・サイレントみたい」とか、はたまた、「生きとし生きるものをすべての苦しみを除きたい、私を本当の幸せにしたい!なんて、偽善ぽいなー」とか、かなり本音の辛辣なお答えをいただいた。

 はい、勉強になりました。紙面の都合で変更はできないところもあったが、多少、その声で書き直したのが、上の原稿。あんまり代わってないかなー。

 ひとつだけ、生きとし生きるものをすべての苦しみを除きたい、私を本当の幸せにしたい!もし、これが人間の願い、私の言葉なら、偽善だろうけれど、阿弥陀様のそのために大悲の塊になってくださっている。私には微塵もない、その大悲のお心を聴くことが聞法。

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うじゃうじゃと

Img_3688_2 桜見物のついでに、梅小路の京都水族館を覗く。

 ここは、散髪にきたり、散歩にきたりするので、ずいぶん気分転換になる。

 年間パスを買ったが、そImg_3725れが今週で切れる。子供たちが、アメリカから戻るまでは、しばらく来る事もないだImg_3662_2ろう。

 閉館前なのと、イルカショーの最中なので、ずいぶん空いている。予想以上の大人気Img_3684なのだが、さすがに1年経つと人出も、多少は落ち着いてきたのか。

Img_3669 オオサンショウウオがうじゃうじゃ、上になったり、下になったりしている。

 こちらは、エイが、うじゃうじゃと泳いでいる。ダイバーの餌付けに集まったきた。まるで人間の顔をようだ。

Img_3748 ぼくたち、人間は、畜生よりは、すごく上等だと思っているが、たった2段しか違わない。 結局、上になったり、下になったりしながら、生死の苦海を浮き沈みしているのにハ、なんら変わりはなはい。Img_3752

 さて、さて、このカエルさんたち。じっとしておられる。何か考えておられるでのしょうか。まさか瞑想中ということはないだろうが、鋭い眼光に、ちょっとしたご修行中の風情だ。
 あ、ぼくたちの法話拝聴中の姿のようにも思えるけどなー。
 真面目ぶっても、「手を突いて、頭を下げぬ、蛙かな」
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Img_3649 4月になった。

 昨日は、熊本で桜をみたが、用事のついでに、今日は、ちょっと近場で桜を眺めた。

 一つは、本山興正寺の脇にある、Img_3651興正会館にある桜だ。

 長年、華光でも、また仏青や真宗カウンセリングでもお世話になってきた興正会館も、昨年から廃業されている。もともと、ここの婦人会館で、華光大会が始まっている。

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 うーん、掲示伝道が、ずいぶんシンプルというか、、、。ちょっとザンネン。
 というより、これじゃ、浄土真宗じImg_3769ゃなくてもいいよね。

 
 翌日は、梅小路公園の桜。

 残念ながら、小雨のなかで、青空とはいかImg_3766ずに、見栄えはいま一つ。

 それでも、ソメイヨシノだけでなく、枝垂れ桜Img_3773に、八重桜など、種類はさまざま。

 菜の花もきれい

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だ。

 3月は、比較Img_3759的温かかったが、ぞさでも、寒い日も、強風もあったり、荒れ模様だった。

 でも、もうすっかり春爛漫。

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