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2013年3月の7件の記事

熊本城の桜と、くまモン体操

Img_3623_2 法座が終わってから、皆さんと熊本城を見学に行く。

 前回は、水前寺公園。共に、お寺からはそれほど遠くない。

 今年の桜は、早い。まだ3月末なImg_3611のに、熊本城の桜は、散り始めていた。昼まで雨模様だった空も、夕方は青空が広がっている。桜のピンクに、新緑の緑も鮮やかで気持ちがいい。ただ風はかなり強い。でも桜の花びらが舞って、それもまた美しい。

 初めて訪れた熊本城は広い。城壁だけでも、ずいぶん立派なImg_3626ものだ。外からは眺めていたが、中に足を踏み入れて実感する。

 天守閣は、西南戦争の直前に炎上したそうで、これは戦後の復元された、鉄筋コンクリート造り。短時間だったが、Sさんの案内で、天守閣に登ることもできた。さすがImg_3638にSさんは地元の人。いろいろと見どころを説明してくれて、「次は、焼け残った宇土櫓にも登りましょう」と勧めてくれたが、残念ながら、飛行機の発着時間が迫ってる。

Img_3613 今日は、熊本城で桜のイベントで、多数のよさこいのグループがでている。二の丸の広場を通ると、舞台には、ちょうどほんもの(?)くまモンが、くまモン体操を踊っている。熊本県人と一緒だったが、彼らも「たまもに見るといいものなんですよね」とか、「けっこうキレいいね」とか言っている。確かになー。Img_3608_2

 熊本空港も、駅も、街も、そしてお寺のグッズも、右を見Img_3590_2ても、左を見ても、「くまモン」一色である。4年前には、「くまモン」の「く」の字もなかった。その後、熊本県庁にお勤めの、ゆるキャラファンの同人から、初めて存在をきいたのが2年ほど前のことだ。その時は、ひこにゃんなどの二番煎じだと、なにも感じなかったが、いまでは、熊本を代表するキャラクターになっている。でも、ここまで大ヒットし、人気者になるとは、誰も想像していなかっただろうが、経済効果Img_3646は抜群。何が流行るかなって、ほんとうは分からないもんやね。

 予定どおり空港についたのに、ANAだけ軒並み遅延で、搭乗機も1時間遅れとの標示。待ち時間を利用して、熊本ラーメンを食べることにした。ここもくまモングッズだらけ。

 

 

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九州支部法座in熊本

Img_3594_2 最近は、福岡での開催が定着している九州支部法座だが、久しぶりに熊本で開かれることになった。これも会所を引き受けてくださった蓮光寺さんと、支部長のSさんのおかげある。ご家族のご協力、お世話で実現しImg_3593たことである。ありがとう。

 蓮光寺さんは、仏青での法座があった以来なので、ぼくは約4年半ぶりになる。お寺の看板は(右手写真の灯籠の奥)、悟朗先生の書だ。旧華光会館のものといわば兄弟である。残念ながら、会館の看板は、いまは倉庫に収納されている。

 いつもの会議室のような会場とは異なり、お寺での法座は、格別な雰囲Img_3592気があって、いい。皆さんも異口同音で、法座の雰囲気がいいと言われている。
 中央のご本尊の阿弥陀様が、お迎えくださる。お寺の本堂は、なんの気兼ねもなく、勤行をし、お念仏申し、お説教を拝聴できる聞法道場なのである。きっと、本堂の柱や天井、畳などにも、長年の、多くの方々の、お念仏の声がしみ込んでいるからであろう。

 顔ぶれは、いつも支部法座常連に加えて、天草や熊本のご住職、それにご親戚のお寺さんや檀家さんも顔を出してくださったのが、うれしかった。特に、これまで法縁がないのに、Sさんのお友達が、自分のところで聞法してくれていた。たぶん、難しいことも多かっただうが、座談会でも、逃げ腰でも、建前でもない、聞こうという姿勢が、こちらにも伝ったきたのか尊かった。

 ご法話は、お正信偈を中心にした2席と、檀家さんには専門的すぎたかもしせれないが、最後は、五朗松同行の法語と、最近のぼくの法縁をからめた分かりやすい法話につとめたつもりだ。バラバラのようで、ぼくなりにはテーマがあったような気がする。仏願が具体的に私にまで届く、種々の善巧方便といってもいい。

 Img_3589ところで、初日は、昼座の後、短い休憩を挟んで、夜座ではなく、夕座が開かれた。休憩には、おぜんざいの接待があった。碗などが揃うのも、お寺ならではのこと。上品な甘さで、おいしかった。

 少し遅めの夕食は、親睦会を兼ねて、繁華街に出ることになった。熊本一の繁華街、下通(しもとおり)は、年度末の週末ということで、ずいぶん賑わっていた。道中が混雑して、皆さんなかなか揃わなかったが、気分転換にはいい企画であった。後に法座がないので気兼ねはないし、いつもの懇親会より早く始まる分、ゆっくりと飲める。せっかく熊本に来たのだからと、馬刺しを勧めてくださったが、生肉系は最近、やや苦手である。歳と共に、肉食が減ってきたのは、自然な流れでいいのかもしれない。ともかく、九州支部の皆さんと、楽しい時間を過ごさせていただいた。

 

 

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華光誌の発送

 今日の事務所は、助っ人を頼んで、4月号(72巻-第2号)の華光誌の発送を行った。

 強力な助っ人のおかげて、手際よく作業がすすみ。かなり早い時間で終了した。だいたい華光誌自体も、法話大会の日程の都合で、予定より早く印刷所に渡してたので、3月中に発送することができた。事務所のT君も1年たって、編集作業にかなりなれてきたくれている。

 誌上法話は、小生の大遠忌法要法座での「願生浄土」。熱が入って時間オーバーになったので、長い分、省略するのに困ったが、言いたいことはだいだい文章化できたと思う。願生心も、他力回向の如来様の働きではあるが、ますます念仏しずらい、念仏者として生きづらい世の中にあって、いかに泥凡夫の私が願生浄土するのか。その意義はどこにあるのか。私達、現代を生きる念仏者、ひとりひとりに厳しく問われている課題について、その問いを提示している。

 また本号は、1月にご逝去された新潟のI先生の追悼号になったので、予定していた新しい体験記や連載の随想は、次号へ。それでも、通常より8頁オーバとなっている。

 ほかに、今年は4月27日、28日、29日に開かれる永代経法座のご案内も同封されているので、ご確認ください。

 明日から、熊本での九州支部法座。Sちゃんのお寺が会場。

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スランプ

 2月は調子がよかったのに、2月末のゲートキーパーの養成講座以降からの1ケ月以上、完全にスランプ。

 華光誌編集に、法話大会などの法座の準備、それが終わってからも、ご示談や相談が続いていたこともあって、確かに慌ただしかった。が、それだけではない。

 夜になって、更新するつもりでPCの前に座るのだが、途中で、「まあ、続きは明日…」と投げ出してしまう日が続いて、結局、ほぼ毎日、下書きのままで終わっているのだ。

 古い記事に執着せずに、前に進めばいいのに、どうもそれができなかったのが、この3月だった。 

 実は、今夜もそういう感じに包まれて、このままフェイドアウトしそうな気分(まあ、それも楽でいいよなー)という調子だったので、その感じのままを文章にすることにした。

 で、原則は前に進むのだが、振り返って(3月19日以降)後退もしながら、つまり前に進んだり、後ろも更新があったりという、少し読みづらいものになるかもしれないけれど、まあ、皆さんは、お好きなところで読んでくださればいいのですから、とりあえずは、一歩前に進むことにした。

 なんか、こんな気持ちの表明でも、前に進む気持ちになるのが不思議。

 さっそく、アップしていなかったカウンセリング研究会の記事など書き上げた。

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オムライス

 今日は、恩師の信楽峻麿先生の米寿記念祝賀会の予定だった。

 さまざまな病気を抱えておられるのに、とても精力的に法話や講演活動をこなされている。出張前の伊丹空港で、ばったりお会いしたこともあった。2月には、アメリカ・カリフォルニアでも布教活動をされ、アメリカにいる子供たちも別院に聞きにいったようである。文字通り東奔西走は、驚異的なご活躍である。

 昨年には、父の米寿祝賀に出席いただたので、楽しみにしていたが、1週間前になって、急遽、延期の連絡が届く。体調を崩されたらしい。早く回復され、延期された祝賀会でお会いしたいものである。

 というわけで、空いた午前中に映画を1本。今週の4本目。『ぼくの中で、好き度では5本の指にはいるミヒャイル・ハネケ監督の、『愛、アムール』。
 タイトルのようには、甘くはなく、老と死の問題を含みながら、静謐の中にも、なにかざわざわした感情が隠された、ある意味での名作。これは、2度見ないと、よさが汲み取れないなーと思われた1本。
 今週は、単なるヒーローものにはない深みがあった『フライト』、文句なくおもしく、超スッキリしたタランティーノの『ジャンゴ』、そして故若松孝二監督の遺作『千年の愉楽』と、話題作や名作に当たった週で、かなり満足。

 マノアマノでランチをする。久しぶりにこんなものを食べた。ほんとうは、祝賀会の御馳走を食べているのになと思いながら、ふっくらしたたまごの食感を堪能。

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PCAの本質とは?

 1年間輪読してきた、ブライアン・ソーン著の『カール・ロジャーズ』のまとめ。といっても、カール・ロジャーズの生涯と、その理論の部分を読んだだけで、まだ道半ばというところ。今日は、その前半戦のまとめる意味でも、最後に収録されている、わが国を代表するロジーャズ派の第一人者、畠瀬稔先生と、監修者である諸富氏との対談部分を読むことにした。

 諸富氏が、畠瀬先生が日米で直接、生に触れたロジャーズの思い出やエピソードを交えながら、その人柄の一端に触れようというものである。その最後に、「ロジャーズのアプローチ、パーソンセンタードの本質とは何でしょうか?」という諸富氏の質問に対して、

「人間関係のパワーの問題について、大転換を行ったことだと思います。」

と、畠瀬先生はズバリ応えておられる。

「心理療法やカウンセリング、教育、福祉、親子、夫婦……ありとあらゆる場面で、一人一人の持つ潜在的な力を最大限に発揮できるようにお互いのパワー(権力)を平等に認める関係を追求したことではないでしょうか。」

 まさに、リチャード・ファーソンが、ロジャーズを「静かな革命家」と呼んだところである。

 ともすれば、カウンセリングや心理療法、単なる相談室内でのカウンセラーとクライエントといった狭い関係でしか捉えらないロジャーズの功績の本質を、ダイナミックに捉えられるのはさすが。西光先生の書籍のタイトルに沿うのなら、「暮らしの中のカウンセリング」であり、「育ちあう人間関係」を最大限に発揮するために、お互いの権力を平等に認める関係を追求したということになるのかもしれない。

 しかも、それが単なる理論にとどまらず、実際のあらゆる場面で実践的に経験されているところにも、ロジャーズのすごさがある。常に、彼は実践家であって、理論家だったのである。

 研究会は、4月は総会だが、5月から輪読を再開の予定。真宗カウンセリング研究会の会員なら、どなたでもご参加いただけます。

 来年度の予定は、下記の頁を参照ください。

http://dbpca.web.fc2.com/

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いよいよ第2回の法話大会

 半月以上のご無沙汰だ。

 その日、その日を書いていけばいいのに、前のことから遡ろうとすると、なかなかおもうように、アップできなかった。

 寒中子供大会の翌日には、3日間の日程で、京都市の宗教者を対象にした、ゲートキーパー養成講座を受講して、いろいろと感じたことも多かった。法座も、高山法座、輪読法座、広島法座に、大谷への納骨をご縁とした一家での会館で法要など、有り難いご縁も続いたが、華光誌の編集作業に追われ、法話大会の準備もあって、更新が滞っていた。

Img_3555 おかげで、華光誌も昨日夜には、データが完成。今月末には発行ができる。そして、明日から第2回法話大会の準備も、ほぼ終わった。

 楽しみだ。

 上田義文先生の奥様を知識とした方と、信楽先生を師と仰ぐ広島の方、そして、華光同人の方も新旧2名、30年ぶりにお出でくださる福岡のお坊さんに、まだ20代の若い初法話の僧侶と、その後の展開も楽しみだ。

 さらに目玉は、母も何十年ぶりかに法話と、囲む会も持つことだ。打ち合わせでも、ぼくの知らない貴重な話も聞かせてもらって、「ヘェー」とおもうことも多々ある。華光は父だけでなく、母の縁の下の力なくしては、今日はない。そのくせ、母の求道や獲信、その後の歩みを、同人の方も詳しくはご存じないだろう。

 申し込み状況も、かなり盛況で、それぞれのご縁の方がご参加くださるのがうれしい。お寺参りなど初めだという方もおられるようだ。それだけでも、今回の法座の意義がある。

 宿泊はもう無理だが、参加だけなら、当日の参加もできる。土曜日だけ、日曜日だけでもよいので、どうぞ、奮ってご参加ください。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/03/houwataikai2013-3.htm

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