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東海支部法座~如来如実の言~

 2月の東海支部は、岐阜が会場。

 このところ厳しい寒い日が続くが、幸い雪にはならなかったので、珍しく車で出発する。京都から会場までは、正味、1時間50分で到着した。

 広島に引き続いて、お正信偈の

 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 
 五濁悪世群生海 応信如来如実言

の四句を頂く。

ここでの如来とは、どなたをさすのか。なぜ、「仏」(ブツ)ではなく、「如来」なのか。また、弥陀、釈迦、そして諸仏の働きの違いはどこにあるのか。そして、釈尊(諸仏)の出世の本懐が、弥陀の本願を説くためだといいきれるのは、なぜなのか。同時に、私自身が人間界に生まれてきた出世の本懐はどこにあるのかなどを、皆さんに問いながらお話を進めたいった。

 ご承知のとおり、お正信偈は、まず「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」という聖人の信仰告白と一偈の要点といっていい、帰敬表宗で始まる。それが、大経に基づく(依経段)の弥陀の救済(ぐさい)の因果と、本段からの釈尊の教説へと展開し、そこから依釈段に入って、七高僧の教示が示されて、最後は、「唯可信斯高僧説」と結ばれる。

 浄土真宗は、「弥陀の本願」を信じる教えだと漠然と決めて分かったつもりでいるが、それをどのような形でお聞かせに預かるのかを、お正信偈に示されている。

 ここでは、五濁悪世に群れて生きる迷いの私は、唯、海のように広大で深い弥陀の本願を説くために、出世された釈尊(始めとして諸仏方)=如来の如実の言を信じなさいと、釈尊の教説が示されている。しかも、偈の最後にも、「唯、この七高僧方の教えを信じなさい」と結ばれていくのである。

 つまりは、「弥陀の本願」を信じるとは、本願にかなった釈尊の金口の説法を通し、さらには、その釈尊の教えから展開した七高僧の教えを通じてお聞かせに預かることを、親鸞様によってお示しいたたき、さらにそのことを蓮如様を始めとする善知識方、そしていま先達の先生や同行の生きた言葉としてお聞かせに預かっているのである。

 もう少し詳しく述べよう。如来如実の言を端的に伝えるならば、唯弥陀の本願を説くために出生された釈尊によって説かれた大無量寿経であり、つづめるならば本願成就文である。成就文は、阿弥陀樣が誓われた第十八願(本願)を、釈尊が開示解釈されたものである。これは、正覚の悟りを開かれた釈尊でなくては説くことができず、その経意を知るのは菩薩でなくてはならない。それで天親菩薩の『浄土論』の指南によりて解釈され、浄土論は、(お正信偈では「鸞菩薩」と見なされる)曇鸞大師の『論註』によって明かにされていくのである。かくて、釈尊の教説から七高僧の論釈を受けて、親鸞聖人の『教行信証』に大成されていくというのであるか、それを、いま私達は伊藤康善先生のご指南によって、お聞かせに預かっているである。

 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 
 五濁悪世群生海 応信如来如実言

南無阿弥陀仏

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