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2月の伝道研究会~欲生心・願生心って?

 2月の伝道研究会。悟朗先生の「真宗の基礎、安心編」をテキストにしながら、輪読法座である。いつものことだが、単なる一方通行の講義ではなく、皆さんから質問や疑問に、ただ応えるだけでなく、逆にぼくから問いをだして、一緒に考えてもらう形式で進行している。

 総説が終わって、いよいよ本論に入っていくが、まずは、本願(十八願)について、成就文との関係から始まる。いきなり核心の最重要のテーマである。

 テキストの流れではないが、参加者から、成就文の「願生彼国」について、これは衆生(私)が願うこころなのか、という質問がでた。十八願文にも、「欲生我国」とある。本願文は、法蔵菩薩の誓願なので、「我が国」、成就文は、釈尊の仏説なので、「彼の国」となっている違いはあるが、浄土を願うという点では同じある。

 実は「欲生我国」には、十九願や二十願のよう自力の欲生心もあるが、ここは他力の欲生心を顕している。それは、成就文では、「至心廻向・願生彼国」と成就されるもので、この欲生心は、如来の廻向心であり、口業に上がる時、本願招喚の勅命なのだと、親鸞様はお示してくださった。それで、「至心に廻向せしめたまり」なのである。しかも、覚如樣は、この「至心廻向の四字は成上起下とならふなり」(願願鈔)とご指南くださっているが、そにれよるお、阿弥陀様の衆生を救わんとの「真実心」(至心)が、衆生して「信心歓喜・乃至一念」せしめ、さらに下の「即得往生・住不退転」たらしめるというのである。

 ちなみに、衆生の「欲生や願生」は、他力の信心決定の上では、決定要期の義といって、必ず浄土往生が決定し、その当来の浄土を要望期待するものだというのである。

 そのことを踏まえたうえでも、浄土には単に物見遊山にも、癒しで参るのでもなく、弥陀同体の悟りを得て、則に還相廻向の働きをさせていただくのであるだから、その浄土参りに決定した、そのことを要望期待する以上は、もっと積極的な働きや展開を語っていいのではないかと、常々思っている。

 他にも、なぜ、釈尊の出世があったのか、なぜ、仏説として釈尊の金言がないと、仏法が聞けないのかなどが本題であったが、じっくり味わうだけの時間がなかったのか、ザンネン。

 3月は、参加者の都合で第1ではなく、第4水曜日の夜になった。

 ◎3月27日(水)夜7時30分~夜9時50分

 

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