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2月の輪読法座

 2月の輪読法座。

 華光誌の悟朗先生の「ほんとうに大丈夫か」を輪読する。

 とてもシンプルな言葉だが、何度も味わいたいフレーズに出会った。

仏様は、「早よう来い、お前は六道を迷いに迷うてきた人間だ。いま人間界に生まれさせてもろうたのが最期と思え。そして命が終われば、早く私のふるさと、私の居場所へ帰ってきてくれ。我と同じ仏の仕事をしてくれ」と、おっしゃってくださっとる。これを聞かせていただいた。すると、もう他のことはどうでもよいことになった。もちろん、美味しいもの食べて、そして夫婦は仲よく、子供にも背かれないようにという思いはありますよ、いっぱい。それこそが、生活や。だけれど、思うどおりにはならない。いま過去を振り返ってみたら、当てが外れたことばーっかり。そのことを教えてくださっておったのが、仏様の教え。ますます仏様の言われるとおりになってきた。

 もう少し整理すならば、悟朗先生は、阿弥陀樣の「早く来い。お前を浄土に生まれさせ、我と同じ仏にしてみせるぞ」と教えにを聞かせていただいて、「もう他のことはどうでもよいこと」になられた。もちろん、煩悩生活(黒い心)は残るが、人間の思いなどは末通らない虚仮だと。

 つまり、阿弥陀様の勅命をお聞かせに預かったならば、もう他のことはどうでもよくなられた人格に、私達は出会わせていただいたのである。
 最近しばしば感じることだが、教義も大事、根拠も大事なのであるが、下手をすると頭でっかちの血の通わない理屈で終わることもあろう。それより、まず第一に、弥陀の本願に出会って貫かれてしまった人との、生きた出会いこそが、最肝要ではないのか。

 仏様の「早よう来い」を聞かせていただいた。すると、もう他のことはどうでもよいことになった。

 このほかに何があるのだろうか。

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