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I先生の葬儀

Img_3173_2 新潟県の旧牧村、原の山寺での、葬儀に参列する。

 先生の引率でご一緒にインド参拝したYさんと共に参列。越後同人のFさんと、娘のKちゃんの車に同乗させてもらって、大いに助かった。みな、I先生とは学生時代からのご縁なのだから、50年以上も永きに渡って、公私に共々のお付き合いのあった皆さんである。車中も、華光との出会い、I先生との出会いや尽きない思い出Img_3159を語り合いあった。

 曲がりくねった細い雪道を登って、原の明願寺へ。

Img_3162 どんよりした曇天か、雪を想像していたが、この時期には、珍しいまでの青空か広がっている。

 40数年ぶりの再訪である。

 しかも家族新聞や噂でしか聞いたことImg_3192のない、冬に訪ねることになるとは、感慨深い。山門を抜けても、何も思いだせないが、妙に懐かしい。夏に10日間の車での家族旅行で訪れた以来だ。

 でも、しっかりと3つの記憶が、目に浮かぶ。前宿で、母が貸し金庫に預けた旅の資金を忘Img_3183_2れ、先生からお金を借りる場面。雪を溶かすための道路のシャワーで遊んだこと。そして、喪主のご長男が、車を気に入って、庭をグルグル何週も回ったあげく、最後は降ろされた大泣きのままお別れたことだ。我ながら、妙なことを覚えていると思っていたが、葬儀から帰ってから姉に報告したら、彼女の記憶もまた同じだったので、二人で笑った。

 彼女も、自身のブログに、先生の思い出を綴っている。

 http://asanoya.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-8ecb.html

 さて、本堂で、ご親戚、門信徒の皆さんと、ご一緒に、お正信偈をお勤めさせていただく。その間、先生との思い出がさまざまに蘇って、胸が熱くなる。

 たまたまだが、華光関係の4名が並んでしたお焼香Img_3158が一番最後となって、そこでお正信偈も終了した。

 七条袈裟に包まれた先生の棺桶。ああ、先生の華光での講習会「私く死入門」の時に、生存葬の形で、横たわった先生に七条袈裟をかけ、模擬葬儀を行った風景を思い出した。

 献体されるので、火葬場に行かないので、ご遺体の出発をご遺族と一緒にお見送りした。そのおかげで、ご遺族方にも、ご挨拶することができた。先生のご弟妹さん、そして先生のお子さん方、みな華光とのご因縁のある方Img_3167ばかりで、一言、お声かけるたびに、お互いに涙ぐむような、深いご因縁のある方ばかりだ中には、20~30年と、少し疎遠にはなっているが、みな仏法を中心にご縁をいただいた方ばかである。

 葬儀での檀家総代さんの弔辞は、型破りな立派なものだった。また、お導師の表白も、心のこもった内容で、先生のご功績をたたえ、人柄を偲ぶには十分なものだ。 

 しかしである。どのご挨拶も、いちばん大切なところ、その核心に触れられることはなかったように思えた。確かに、先生の死は、身をもって無常をお知らせくださったのであるが、それは人間の儚さを知らせるだけではない。その身を通じて、どうか仏法聞いてくれ、後生の解決をしてくれ、そのためのいのちなのだという願いに貫かれておれらる。そのために、さまざまな機縁や工夫をして、平易にお伝えすることにかけられたのが、先生のご生涯ではなかったか。その意味では、華光とは、今は少し距離の出来た方も多いが、きっとそのことひとつという仏法の一大事のとこでは、頷けあえる法友なのであろう。まさに、I先生の生身を通して、ご兄弟やお子さんやそのお連れ合い、さらにお孫さん方へとお伝えくださった真実のお念仏は確かに拡がり、相続されているのだ。

 やはり、参列させてもらってよかった。

 先生の死を悼みつつも、その長年のご化導を偲び、その後のご相続を思う時、阿弥陀様のお働きの手強さに、今日の日、青空のようなすがすがしい気持ちで明願寺を後にすることができた。

 

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