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訃報

 報恩講法座の朝、法話の教案を考えていたら、訃報が入った。

 新潟のI先生が、今、未明にご逝去されたというのである。エー!、と思わず声がでた。9月の大遠忌には法中として元気に出勤くださっていたのではないか。癌に関しては、かなり良好な様子だと窺い、安心したところだった。その1年前の越後御旧跡巡拝のことだ。地元の赤倉ホテルで、ご法話をいただた時に、自らの癌の余命確率を告白されたので、その時は、ほんとうに今生のお別れになるのではと名残が惜しかったことを覚えている。それが、元気に、京都にまでご出勤くだされるまでに回復されていただけに、ほんとうにご家族の方にとっても、突然の訃報だったようだ。

  ほんとうに、先生には、50年以上にわたり、父の右腕となって、献身的にお世話をいただいた。法座だけでなく、日常の業務や仕事、書道教室にしても、先生の力がなかったならば、華光の運営もままならないことか多かった。ぼくが、まだ子供だったころには、たとえば、父のアメリカ布教中には、父に代わって、日曜学校、婦人講座、法話会、そして毎週毎の書道教室の先生、さらに華光誌の発行に、急なお葬式の依頼にも、忙しいお仕事を合間を縫って、身を捨ててお世話くださってきたのだ。先生がおられればこそ、父も安心して、2月から3月にかけての2ケ月以上も、毎年、会館を開けることができたのである。

  いやそれだけではない、日曜学校にしても、子供大会にしても、また仏青や聞法旅行にしても、2度のインド旅行にしても、先生がおられなかったならば、今日まで続けられていなったのではないかと思うほどに、貢献してくださった。

  京都を離れられて新潟に戻られてから、かなり日時が経つので、いま華光同人には、先生に直接、ご教化いただいた人は少なくなってきたかもしれない。

 しかし、ぼくたちが、知っていても、知らなくても、先に歩く念仏の先達のさまざまなご苦労があったればこそ、今日の法座が連綿として続いてきていることは、紛れない事実である。ほんとうに、私が見えているご恩やご苦労などは、氷山の一角というか、ほんの爪の先の砂粒ほどのわずかでしかない。そんな先達が捨ててくださったいのちの上に、ぬくぬくとあぐらをかいて、「分かった、分からん」「有り難い」とか、「冷めてる」とかいいながら、甘え、駄々をこねているのが、私の求道の正体なのだろうなー。

 ちょうど 親鸞聖人の報恩講である。祖師のご恩徳は、同時に、そんな先輩念仏者の願いに思いを馳せ、そして阿弥陀様の洪恩のほんの一端を、この私がお聞かせに預かるためのものでもあるのだ。

  I先生、長年に渡るご化導、まことにありがとうございました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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