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かなわない

  華光会報恩講も、無事に終了した。風邪や葬儀で、当日のキャンセルも多く、参詣は、例年よりは少なめだった。それでもご法の尊さは、変わらない。若いM師が取り組んでくれた華光らしさ残した法要も、緊張感があり、参詣の皆さんとの声もそろってよかった。30代~80代の老若の先生方のご法話も、それぞれ個性的で、有り難かった。事前にきっちした教案が作れないままのぼくは、法話のエンジンがかかるのが遅くて、ダラダラと時間オーバー。毎回、猛反省するのに、やはり教案を作り上げられないのが、最近の悩みだ。

   法要もあり、法話もオーバーしたことで、最後は久しぶりに全体会となった。短時間だったが、皆さんのお声も有り難かったのだが、最後の最後、全員の前で立ち上がった悟朗先生の姿、まさに阿弥陀様の直説法だった。座の真ん中に進み出た正座されると、不徳の息子に向かって、「尊いご法話、ほんとうありがとうございました。弥陀の直説法のごとく、お聞かせに預かりました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と深々と、懺悔されなから、頭を下げてのお念仏されるではないか。そして、「世間さまにバカにされようとも、私は仏法がうれしいです」と、またお念仏。皆さんも、唖然としながら、もう涙とお念仏しかない。こちもただうなだれて、そのお言葉をいただくばかりで、ただただ恥じいるだけだ。

  でも、悟朗先生は、人を拝んでおられるのではない。その背後の阿弥陀様に手を合わせてくださっている。その姿は、理屈や一時の感情を超えた、まさに身業説法だ。

  ああ、こんな高齢になられても、絶対に、この人にはかなわないのだと思い知らされた。しかし、そんな師をもったことが、無性に尊く、有り難かった。阿弥陀様のお姿そのものを示してくだされるのだからなー。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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