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2013年1月の23件の記事

『声をかくす人』

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 『声をかくす人』というタイトルに、まず引かれた。

 名優ロバート・レッドフォードが、実話に基づく重厚な時代物の社会派ドラマを監督した作品。

 冒頭の戦場シーンやリンカーン暗殺場面もあるけれど、あとは法廷劇や室内劇がメインの、静謐な展開。時代考証も丁寧で、画面は暗めだけれど、それがテーマの重厚さをあらわしているようで好感も持てる。

 南北戦争時代のアメリカが舞台。北軍の勝利がほぼ決定した直後、南北戦争の傷跡が痛み中で、南側の人間によるリンカーン大統領暗殺という大事件が起こる。主犯格の男は射殺、ほとんどの共犯者も逮捕される中で、首謀者たちを自宅に下宿させていた、南部出身の下宿屋の女将も、共犯として逮捕される。

 しかし、戦時下のこと。大統領暗殺のみならず、副大統領や閣僚も狙った国家転覆の大事件だ。推定無罪の可能性が大きい一般女性が、軍事裁判での不当な裁判を受けることになる。

 彼女を弁護するのは、リンカーン大統領の側近だった上院議員。しかし南部出身者ということもあり、彼の部下で、北軍で勇敢な戦功もあった将校が、弁護士として活躍する。これをジェームズ・マカヴォイがかっこよく演じます。彼は北軍のエリート、当然、一般感情と同じく、重大犯罪を犯した彼女が許せず、極刑(公開の絞首刑)の支持していたのが、上司の無理強いもあり、彼女に接するうちに、この裁判の不当性、国家権力による「生贄」として裁かれる彼女の無罪を信じて、どんな妨害にもめげないで、国家権力との戦いが始まる。

 アメリカ初の女子死刑囚メアリー・サラットを演じるロビン・ライトが、派手さはないけれども、女性の死刑囚として、また守るべきものを持つ母として、押さえた演技で渋く演じ、また司法長官から陸軍長官として判決を作製したケヴイン・クライン他、脇役もみな堅実な演技で、派手なアクションや展開はなくても、なかなかしっかりしている。

 結局、正義とはなんだろうか。法のもとの平等といっても、それ以上に大切なものがあるのか、ないのか。強大な国家権力を駆使してまで、莫大な被害で国家を二分して戦争(内戦)と、その後の大統領暗殺という悪夢の恩讐を一刻を早く超え、国民を一丸としてまとめるために必要だった生贄なのか。それとも、いかなる時、いかなる事情があっても、不変の法の正義があるのか。それを貫くための奮闘する正義の弁護士と、国家の大局にあって、強権で卑怯な手段をつかってまでも、国家の意志を貫く長官との対決。そこに、自らの身を賭して、わが子を守ろうとする母親の愛情が絡んでいきます。正義以外は、声を隠さざるをえないのかもね。

 社会の正義、その不条理。さらには、人間の尊厳にもかかわる問題も見え隠れしするけれど、重厚さだけでなく、エンターテーメント性もあって、退屈はしなかったなー。

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フォーカシング・サンガの集い

 日曜日。午前中は、会議、午後は、日曜礼拝、そして夕方には、明日のWSの準備と、前泊されるカウンセラーご講師とのWS前夜祭(?)-といっても、ただ近所の串カツ屋さんで一杯飲ぬ会と、けっこう忙しかった。でも、仏教(真宗)とカウンセリング(心理療法)の立ち位置や対応など、違いも含めて聞かせていただき収穫も大だ。

 月曜日は、平日の朝から、松江市から土江先生を招いてのフォーカシング・サンガWSを開催した。最近、元気のでないM先生を囲んで何かできないかという提案から生まれて、ぼくたちもご相伴に預かることにした少人数の集いだ。

 6名定員の集いとはいえ、平日だ。人が集まるか心配していたが、ちょっとした声かけだけで、すぐに6名が集まった。一応、真カ研の会員ばかりだか、華光同人の方が4名もある。まだ現役で仕事を持っている人もいるが、早くから予定が入れていると、案外、平日でも人は集まれるようだ。

 簡単にカラダを動かし、瞑想し、フォーカサー(伝え役)とリスナー(聞き役)が出て、実際にカラダの感じ(フェルトセンス)に触れながら伝え、それを伝え聞きして、ある程度、区切りがついたところで、みんなから、フォーカサーにギフト(分かち合いだけども、言葉や気持ちでの暖かいプレゼントを贈る)をする、それを6名のメンバーが、それぞれにリスナー役や、フォカサー役になって、繰り返していく。

 ぼくも、リスナーとフォカサーを1回ずつやらせてもらった。自分のからだの声を聴く、フォーカサー役をなった時には、自分の気にかかる、右のお腹のあたりにある重い鉛のような塊をフォーカス。どうも、近くにあって、見えるところでチラチラしているのが落ち着かないが、遠くにやってしまえなし、といって、そのままいられても困るという重い感じがした。それが、今度は、胸に漂うガス(黒霧)のようになって覆ってきたが、なぜか見通しは悪くない。それどころか、それを抱えながらも、ドンドンと前に進む感じがするから不思議だ。

 ぼくの気付きは、昨日の促しでもあって、「お前も腹を括れよ!」のご催促だ。いろいろな間接的に聴く外野は確かにかしましいけれども、結局、自分が決めて、前に進むしかない。いや、霧を抱えながらも、前に進んで行くことでしか霧は晴れないのだろう。改めて、昨日からのみんなに支えられていることの勿体なさと直結してきたのか、ちょっと晴々した気分。

 とはいえ、3日間も密度の濃い集まりが続くと、さすがに後半からは疲労。よく考えると、この10日間の大半は、夜の会食や飲み会があって、下痢をする日もあり、胃疲れもあったようのだろう。

 でも、おかけで、何かのきっかけをいただいたような日々だった。

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内省(ご恩)は暖かい世界

 正午で、前日からの会議も終わって、昼からは通常の日曜礼拝。

 ご法話は、役員でもあるKさんだ。会議に引き続くのも好都合だと思ったが、病気で、手術を受けられたので、ぜひ、その味わいもとお願いした。講師や若手の先生だけでなく、同人のご法話が聞けるのも、日曜礼拝しかないことだ。

 まずは、新年のあいさつについて。子供のころは、ただ「あけましておめでとう」だけでよかった。それが、だんだんとと、「あけましておめでとうごさいます。今年もよろしくお願いします」となり、大人になるにつれて、さらに「旧年中はお世話になりました」が加わる。確かに、年賀状でも、そうだなー。そこには、新年だからといって、ただ前々に進むだけでなく、昨年お世話になったことに対して振り返り、お世話になったご恩に感謝から始まることを、教えていだいてきたというのである。

 そして、電車に乗った時の車掌さんのアナウンス。「次は、京都、京都」といい、京都をすぎたら、「次は、名古屋、名古屋」と、次ぎの駅を告知するが、決して、「ただいま京都でした」と振りかえることはない。最終の行き先(「東京行きです」)はあっても、どこから出発したか、どこを通ってきかなどのお知らせもない。常に、前に、前に進んでいくのだ。

 しかし、実際は、出発駅があり、次々と駅を過ぎて、目的地に進んでいるはずだ。人生もそうだ。その意味では、誰もが、母親のトンネルをとおり、出発の駅から、おしめ換えてもらい駅やお乳もらい駅をとおり、洟垂れ小僧駅も過ぎてきのだ。でも、成長とは、前に前に進むことであって、前や上をみても、足元にあった、または私の歩んできた歩みを振り返っていくこはない。

 それが、悟朗先生のオリジナル、『子供の聖典』にある内省の三角形の図である。「私・ご恩・仏さま」とあるが、多くのご恩のおかげで、私は上に上に上がっている。それは、まさに常に戦い、人を蹴散らし、上に、上にと上がって、自分(自我)を主張しつづけて、三角の頂点に登ってきた姿である。しかし、私が立った頂点の下には、さまざまな「おかげ」「ご恩」の命が満々ているのではないか。そして、その「ご恩」とは、実、オレガ、オレガで作ってきた「罪悪」の別称なのである。。しかも、その「罪悪」という名の「ご恩」の最底辺には、「仏さま」おられる。私が作った「地獄」に落ちておられるのである。仏法は、上に上を聞いてもわからない。自己の内省、下に下に聞いていく時、多くの命の犠牲があり、そのどん底に、私の地獄で叫んでくださっている仏さまがおられるのである。

 悟朗先生から、何度このお話を聞いてきたことか。また、ぼく自身も何度、この話をしたことだろうか。しかし、今回のKさんのお話で、初めてお聞かせに預かった気がした。

 「下へ下へと向かう内省の世界は、ご恩の世界、それは暖かく、つながりの世界です。
 しかし、上へ上へと「お山の大将」の、オレガオレガの世界は、孤独で、寂しい、ひとりぼっちのみじめな世界です。」と。

 あ、そうだった。内省の世界とは、暖かい世界なのだ。仏法や内省するとは、けっして暗い、つらいことではないのだ。そこには、同時に、ご恩の世界に目覚めさせていただくことであり、けっしてひとりではなかったことに気付かせていただく世界なのである。ひとりぼっちの孤独なたましいをもった私は、実は、多く人達の、多くの命、生きとし生きけるものの命に支えられている、暖かい世界が広がっていいるのである。
 逆に、「オレガ、オレガ」が、自己主張し、自我を満足させるだけの世界は、実は、孤独な、ひとりぼっちの寂しい世界なのである。まさに、地獄の世界そのものである。

 そうすると、私は、どこまも冷たく、孤独で、寂しいのだ。しかし、仏様の世界は、暖かく、豊かで、幸せな世界なのであって、内省の世界、仏法聴聞とは、その仏様の真の豊かさ、暖かさに触れることだというご法話に、(午前中の会議とリンクして)胸が熱くなってきた。南無阿弥陀仏。

 やはり、初事、初事と聴聞させていただくことは、肝要なんですね。

 最後に、Kさんは、「一つ目ザルと、二つ目サル」の「開目閉目」というS先生からお聞きしたお話で結ばれた。まさに、内省の世界とは、世間のオレガ、オレガの一つ目の世界の中で、たったひとりでも、二つの目をいただくことなのだろう。

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責任・運営・事務局会議

  責任役員の改選と、新しい運営委員会が発足したことを受けて、合同での会議。

  北海道、神奈川、髙山、三重、福岡等々、遠近各地から、多忙の中、参集くださる。華光のおそろしいところは、本部会議にもかかわらず、交通費も食費も自弁に留まらず、宿泊費と称して参加費まで徴集するところだ。もちろん、懇親会も持ち寄りというのだから、すごい。参加費が必要な運営会議などあまり聞かないが、これも仏法のおかげ。すみません。そして、ありがとう。

 あらためて、華光70数年の歴史と、宗教法人として華光会の規則や組織の確認も行った。なぜ、この会が起ってきたのか。どこに目的があるのかは、とても明確で、ひとりひとり信心獲得と、仏法(念仏)弘まれの精神にある。そのことを継続して華光会を支えてくれていること、役員は代わっても、その精神は、みんな心に受け継がれていること。そのおかげの上に成り立っていることが、改めて尊かった。

 司会、書記の新副運営委員長のお二人が、場を仕切って進行されるのも、いままでにない積極性が感じられた。皆さんも、活発に意見を述べられたし、第一、運営委員長、責任役員とも開催までに、十分に打ち合わせや準備がなされていたので、とても安心して参加することができた。

 会議は、華光会「規則」、華光同人会「規約」を確認した上で、責任役員の役割、運営委員会の構成と、その役割、そして事務局の構成と、その役割を確認したり、文章化した。いわば、運営委員会の運営の上でのルール作りが中心である。

 同時に、同人の声を聞き、また決定事項を伝えていく仕組みとして、拡大運営委員会を規定していくことと。その延長では、広く懇談会のような集まりも可能なのかれもしれない。

 今回は、参加の皆さんと、華光会の現状確認と、新たな組織作りの方向性を共有することができたのが、大きな意味があった。

 個人的には、まったく予想していなかった展開もあって、ちょっとびっくりもしたが、とにかくひとりひとりが、どの立ち位置で華光会の運営に関わるのかを整理した上で、将来に向けての建設的な意見が多くよせられて、前に進むエネルギーをもらった感じがした。建設的な意見といっても、出来ること、出来ないこと(限界)もはっきりとさせることなので、単なる思いつきの提言や、総花的なきれいごとの羅列とは違うのである。

 またこれは個人の問題点でもあるが、法人組織としての華光会の会員と、誌友や支部員、仏青会員のみ、さらには参詣のみの元会員を含めた広義の意味での華光があって、その広義のところで問題点を、しがらみや情の部分でもすべて華光会と混同していたことにも、気がついた。

 もちろん、広聴と広報の活性化するその組織作りは、そう簡単なものではない。たとえば、会議での決定事項は羅列できても、この雰囲気、ニァンスを伝えることは難しいのと同じである。でも、批判や意見をおそれず、確実に、進むことは進んでいくしかないこともある。

 といっても、これからもいろいろな難問や問題も起こってくるだろう。新たな提案も必要ではある。でも、本部がしっかりとスクラムを組んで進んで行ける、そんな勇気をもらえる集まりとなった。

 結局、お前も、しっかりと腹を括って進めときだぞ、という貴重なメッセージもいただいたのであるから、それに応えて頑張っていくしかないのである。

 2日間といっても、わりと短時間ではあったが、密度の濃い、充実した、意味のある会議ではなかったか。

 参集の役員の皆様、ありがとうごさいました。

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4点セット

 本日、新年号の華光誌に同封できなかった、2013年の年間行事表を発送した。同人の方と、法座案内申し込みの方に送付しています。ご確認ください。

1)「2013年華光会年間行事表」(オレンジ色)

2)「第1回行信論講座」案内(白色)
  2月10日(日)夜7時~11日(祝)4時30分

3)「第6回海外仏跡巡拝の旅~中国シルクロードの旅~」(カラー)
  6月27日(木)~7月3日(水)(申込書同封)

4)「2月の法座案内」(ハガキサイズ・ウグイス色)

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1月の伝道研究会

 1月の伝道研究会は、真宗の基礎が、安心(あんじん)編にはいって、前回までは総説だったのが、いよいよ、その中身である別説にはいっていた。

 といっても、今回は、「安心」(あんじん)という言葉の意味から押さえていくところから。

 というもの、簡単に、浄土真宗では、「信心」と「安心」を同一に使っているけれども、厳密にいうならば、「信心」には自力の信心、つまり19願でも、20願もでも、一般の信仰でも、信心と称されるが、真宗の「安心」といった場合は、「金剛堅固の他力の信心」さしている。正意安心に異なる安心はあっても(異安心)、自力の安心はないのである。

 とはいうもののは、これは善導さまの言葉であって、善導さまの当面では、(1)安心、起行、作業(さごう)という場合の、願生の信心を確立する意味があり、またその場合は、(2)『観経』の至誠心、深心、回向発願心の三心を明かすところの、信心を指すものであった。観経の三心には、穏顕(自力の面と他力の面)があり、法然上人は、観経の三心を、大経の三信と同一としめされているので、この場合は、他力のおこころである。それが、(3)蓮如上人にいたり、安心を真宗の他力回向の信心として使用されると共に、「あら、ようもいらぬ取りやすの安心や、されば、安心といふ二字をばやすきこころとと読めるはこのこころなり」(二-七通)とあるように、他力の信心のゆえに、取りやすく、こころえ易いというおこころを示してくださるようになる。

 その「安心」を巡って派生する問題点についても、あれこれ雑学的にお話した。

 次回は、いよいよ中身はいって、まずは、本願のお心。つまり十八願文と、成就文の関係についてという、もっとも肝要な部分からだ。

 ◎2月6日(水)夜7時30分~10時前まで。です。

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スタンドながと

Img_3226廿日市の法座のあとは、バー・ブッタを覗いて、スタンド・ながとで御馳走になる至福のコース。

 ブッタの裏口をあけると、Img_3229横は浄土真宗のお寺。お墓もあるけど、実は、真宗系の霊能者(?)冗談ぽいけど)の話では、お墓は寂しいところでなく、むしろ怖いのは神社の方だと聞いたことがある。伊藤先生だって、お墓よりも、都会の雑踏の方が恐ろしいと書かれてるように、私の心の中が、地獄なんですかね。ずーと怖いわけ。
 しかも、ブッタでは、カラオケにならない限りは、増井悟朗先生のDVDImg_3233が流れております。

 ながとでは、例によって御馳走をいただきました。ママも一生懸命接待くださいます。

 最近は、広島支部に、島根県からの新しい同人も加わったり、なかなか京都でまでおいでになれない広島の方との交流もできたり、他の仏教系の新興宗教の信者さんが、自分の信仰をImg_3235表明しながら、華光同人と和やかに交流してくださったりと、なかなかユニークな集まりに。しかも、皆さん、こブログの愛読者という話題もあって、ほんとうにありがとうごさいます。

 料理には、それぞれに深いおいわれもあるけれど、まあ、そこはImg_3236_3今回は、この程度ということで。

 楽しく、和気あいあいと、御馳走になりました。

 

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ゆるされて聴く

 親鸞聖人は、『行巻』と『化身土巻』に二度、『大経』の異本である『平等覚経』の往覲偈にあたる御文を引用されている。

「宿世の時、仏を見たてまつれるもの、楽(この)んで世尊の教を聴聞せん。人の命稀(まれ)に得べし。仏、世にましませども、はなはだ値ひがたし。信慧ありて致るべからず。もし聞見せば精進して求めよ。(略)」

 上記引文は、『行巻』であるが、『化巻』(板東本)の部分の「聴聞」のご左訓(親鸞様が、文字の左側に、その読みや意味などを書き記されたもの)に、

「ユリテキク シンジテキク」

 と記されている。もっとも、写真版をみる限りでは、素人にちょっと判別しずらい。ちなみに、『行巻』の左訓では、「ユルサレテキク」とあるのだが、これは、清書本(西本願寺本)だけで、板東本にはなかった。

 ところで、この「ユリテ」とは、「ユルサレテ」の古語であるのだから、意味は同じである。

 ゆるす-許す、赦すと、普通は書くが、たとえば、この漢字辞書の文字変換をみても、15種類(旧字体を含む)の漢字か標示されていた。その一部だが、「許、赦、允、免、放、宥、容、恕、釈、縦、聴」などがあった。「聴」の字は、音読では、「チョウ」「テイ」だか、訓読では、「キ」くと、「ユル」すと表記されている。そしでその「聴」には、「先方の望みをきき入れる」という意味がある聞き入れるという。

 また、「ゆるす」というのは、「相手の意志を受け入れる」「願いを聞き入れて、聞き届ける」といわれている。

 つまり、端的に述べるならば、私が如来様、その大悲のお心によって、先手をかけて「聞き届けられている」「受け入れられている」ということであり、その先手の大悲心があるからこそ、そのお心を「信じて聞かせて」いただけるのである。

 そもそも、私が如来様のみ教えを聴聞できるのも、宿世の時に如来様を見奉った宿善のたまものである。だから、「楽(この)んで」、如来様のみ教えを聴聞させてもらっているのである。絶対に、「楽んで」仏法聴聞する輩ではない私が、ここに、ご聴聞の身にさせていただているのも、如来様のお働きにはかならない。

 だから、私が聴くのではなくて、すでに、如来様に聞き届けていただている。許されている。信じ切ってくださっている。そのお心をひとつをお聞かせに預かるだけなのである。

 広島支部では、このお心を、正像末和讃の

  如来の作願をたづぬれば
   苦悩の有情をすてずして
   廻向を首(しゅ)としたまひて
   大悲心をば成就せず

のいわば仏願の生起本末に即した和讃を通じて、その大悲のお心のほんの一端に触れさせていただくご縁をいただいた。

 如来さまに、私のすべてが見抜かれ、すべてが受け入れられ、そしてすべてが許されてい、ただ「そのまま来い!」「いますぐ来いよ!」の大悲の呼び声で、十劫が昔より叫び続けてくださっているのである。

 (参照・「親鸞における聞の構造」信楽峻麿先生)

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ひろしま男子駅伝

1月の広島支部法座は、いつも広島駅前ではなくて、廿日市市が会場。

 広島駅から山陽本線を宮島方面に向かう。途中、車窓から、沿道には、駅伝の応援のための集まっているのが見えた。

 都道府県対抗の男子駅伝が行われていた。

 法座会場の道中も、駅伝コースにあたるらしく、警備や応援の人達が出ている。会場前の道がコースなのだ。

 勤行が終わって、ご法話というところで、ちょうどランナーが走ってきたので、みんなでビルの上から、応援することにした。でも、あっという間に、通り抜けていって、どこがどのチームやら、ビルの上らはわからなかった。なんでも、折り返しで、もう1度前を通ったらしいが、その時は、法話中。

 長年、京都では、年末に高校駅伝、1月には、都道府県女子駅伝が行われいる。もちろん、テレビ観戦をすることはあっても、1度も実際のレースはみたことはなかった。予期せぬ旅先で、遭遇するのもまた不思議。もっもと、1~2分のこと。目の前の通るのは、ほんのひとときだ。確かに、マラソンや駅伝は、テレビ観戦が1番だなー。
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燃焼

 1月の輪読法座。司会役のT君、中心メンバーのMさんが欠席で、全般におとなしめに進行。

 滋味深い巻頭言「親を求めて止まぬ業魂」を読む。絆、絆、とつながり強要する社会のムードがあるが、ほんとにう帰るべき所はどこなのかを、味わう。

 今号の「聖教のこころ」は、嗜好を変えた。いつもの聖教に、解説や味わいを加えるのではなく、釈尊のお言葉の現代語訳のみを、掲載いした。それで、通仏教(釈尊)の当面の立場と、煩悩具足の凡夫がそのままおめあての真宗でのいただきぶりの違いを説明しながら、各自の味わいを分かち合う。みんなで、声を出して読みあうだけでも、有り難かった。(以下、増谷文雄先生の「仏教百話」より掲載)

   -象頭山(ガヤーシーサ)での説法-

 比丘たちよ、すべては燃えている。熾燃(しねん)として燃えさかっている。そのことを、なんじらはまず知らねばならない。
 比丘たちよ、一切が燃えるとは、いかなることであろうか。比丘たちよ、眼は燃えているではないか。その対象にむかって燃えているではないか。人々の耳は燃えているではないか。人々の鼻も燃えているではないか。人々の舌も燃えているではないか。身体も燃えているではないか。心もまた燃えているではないか。すべて、その対象にむかって、熾燃として燃えているのだ。比丘たちよ。それらは、何によって燃えているのか。それは貪欲(むさぼり) の火によって燃え、瞋恚(いかり)の火によって燃え、愚癡(おろかさ)の火によって燃え、生老病死の焔となって燃え、愁い・苦しみ・悩み・悶えの焔となって燃えるのである。
 比丘たちよ、このように観ずるものは、よろしく、一切において厭いの心を生ぜねばならぬ。眼において厭い、耳において厭い、鼻において厭い、舌において厭い、身において厭い、意においてもまた厭わねばならぬ。一切において厭いの心を生ずれば、すなわち貪りの心を離れる。貪りの心を離れれば、すなわち解脱することを得るのである。」 (相応部経典・燃焼)

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 2月の輪読法座は、16日(土)昼1時30分~ 悟朗先生の「ほんとうに大丈夫か!」からの予定。 

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『籠の中の乙女』とアップルクランプルケーキ

 ギリシャ映画の超怪(?)作 『籠の中の乙女』。~健全な家庭に狂気が宿る~か。別にホラーでも、サスペンスでも、またお笑い(ある意味)でもないけれど、こちらの感情移入を拒む、普通の中のへんなスタイルが、斬新だ。映像はスタイリッシュでありながらも、あとからゾッーとする恐ろしさがある、まさしく家庭物の怪作。

 映画のあとは、今年初めて、マノアマノでほっと一息。オーナーのSさん、もうじきオメデタ。ぼくと同じ2月生まれのご予定。

 3種類あって手作りケーキは、アップルクランプルケーキを選んだ。クリームとよくあって美味。
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居多ケ浜

Img_3142  葬儀のために、前夜は、直江津駅前に宿泊した。直江津までは、交通の便いい。それでも、特急を乗り継いで4時30分ほどかかった。

 夜に到着した時には、雪はなく、Img_3146ちょっと拍子抜けをした。そういえば、北陸の車窓も雪の風景はほとんどなかった。それが、夜半から雪だ。ちょうど通学時間である。でも、このあたりは海沿いなので、雪は少ない。しかも、出発前には晴れてきた。

Img_3151 ホテルの窓から、妙高山が視界にくっりきと姿をあらわした。一昨年九月の聞法旅行では、妙高高原に宿泊して、夏の風景を眺めたところだ。夏の風景もちょっと乗せておこう。

 駅前で越後同人のFさん母娘と待Img_7447ち合わせをして、牧区(旧牧村)の原まで、ご一緒にてくださった。ありがとうございます。地理不案内につけて、都会のようにはいかないので、同乗させてもらって大いに助かった。珍しい雪国の除雪風景も、いろいろと解説をいただきながら、雄大な風景を眺めながらの旅となった。

Img_5906  さすがに地元の人だ。I先生の山寺までの雪道も、何の苦もなく走られる。でも、この道でも、対抗車が来たら、なかなかたいへんなようだ。それに、雪の多い夜間は、道の区別がつかなくなって、何度も危険な目にあっておられるという。

 葬儀が終わって、昼食を一緒した。その後、駅に急いでもらImg_3154ったが、ちょうど列車が出たところ。待ち時間を利用して、居多ケ浜に足を伸ばすことにした。車なら10分ほど。ここは親鸞聖人の流罪の地である。途中、国府別院や五智国分寺(草庵跡)、光源寺、そして鏡ケ池などのご旧跡が点在している。一昨年の聞法旅行で訪ねたところで、まだ記憶にあたらしい。

 居多ガ浜は、これで3度目だ。これまでは夏なので、冬の風景はImg_3209初めてである。親鸞聖人が、上陸された時は、冬だったと言われている。今日は青空が拡がり、気持ちかはいい。冬の日本海でも、サーフィーンをする若者もいて、どんより曇った荒れた冬の海のイメージはない。前回は、浜辺に降りられなったので、打ち上げられたゴミだらけの浜辺を散策した。浜辺には、ここが親鸞聖人の上陸の地であることを示す、木の目印が1本立っている以外は、普通の浜辺の風景である。9月の聞法旅行の時のことは、以下に触れている。文章の最後にImg_3205、I先生にお迎えを受けたことを記している。

  http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-0d86.html

 今日は、1月16日。お西では親鸞聖人ご命日である。この報恩講Img_3199の日に、流罪の地である越後で、雪の明願寺でI先生の葬儀に参列し、その地、居多ガ浜に立っていることが、なんとも不思議で、感傷に浸った。華光の報恩講が始まる前には、想像すらしなかったことである。

 記念に、居多ケ浜の石を拾って帰った。日時と由来を記入することにした。

 Fさん、Kさん母娘には、いろいろお世話なり、ほんとにう助かりました。
 また、ご一緒くださった、Yさんもありがとうございました。

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I先生の葬儀

Img_3173_2 新潟県の旧牧村、原の山寺での、葬儀に参列する。

 先生の引率でご一緒にインド参拝したYさんと共に参列。越後同人のFさんと、娘のKちゃんの車に同乗させてもらって、大いに助かった。みな、I先生とは学生時代からのご縁なのだから、50年以上も永きに渡って、公私に共々のお付き合いのあった皆さんである。車中も、華光との出会い、I先生との出会いや尽きない思い出Img_3159を語り合いあった。

 曲がりくねった細い雪道を登って、原の明願寺へ。

Img_3162 どんよりした曇天か、雪を想像していたが、この時期には、珍しいまでの青空か広がっている。

 40数年ぶりの再訪である。

 しかも家族新聞や噂でしか聞いたことImg_3192のない、冬に訪ねることになるとは、感慨深い。山門を抜けても、何も思いだせないが、妙に懐かしい。夏に10日間の車での家族旅行で訪れた以来だ。

 でも、しっかりと3つの記憶が、目に浮かぶ。前宿で、母が貸し金庫に預けた旅の資金を忘Img_3183_2れ、先生からお金を借りる場面。雪を溶かすための道路のシャワーで遊んだこと。そして、喪主のご長男が、車を気に入って、庭をグルグル何週も回ったあげく、最後は降ろされた大泣きのままお別れたことだ。我ながら、妙なことを覚えていると思っていたが、葬儀から帰ってから姉に報告したら、彼女の記憶もまた同じだったので、二人で笑った。

 彼女も、自身のブログに、先生の思い出を綴っている。

 http://asanoya.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-8ecb.html

 さて、本堂で、ご親戚、門信徒の皆さんと、ご一緒に、お正信偈をお勤めさせていただく。その間、先生との思い出がさまざまに蘇って、胸が熱くなる。

 たまたまだが、華光関係の4名が並んでしたお焼香Img_3158が一番最後となって、そこでお正信偈も終了した。

 七条袈裟に包まれた先生の棺桶。ああ、先生の華光での講習会「私く死入門」の時に、生存葬の形で、横たわった先生に七条袈裟をかけ、模擬葬儀を行った風景を思い出した。

 献体されるので、火葬場に行かないので、ご遺体の出発をご遺族と一緒にお見送りした。そのおかげで、ご遺族方にも、ご挨拶することができた。先生のご弟妹さん、そして先生のお子さん方、みな華光とのご因縁のある方Img_3167ばかりで、一言、お声かけるたびに、お互いに涙ぐむような、深いご因縁のある方ばかりだ中には、20~30年と、少し疎遠にはなっているが、みな仏法を中心にご縁をいただいた方ばかである。

 葬儀での檀家総代さんの弔辞は、型破りな立派なものだった。また、お導師の表白も、心のこもった内容で、先生のご功績をたたえ、人柄を偲ぶには十分なものだ。 

 しかしである。どのご挨拶も、いちばん大切なところ、その核心に触れられることはなかったように思えた。確かに、先生の死は、身をもって無常をお知らせくださったのであるが、それは人間の儚さを知らせるだけではない。その身を通じて、どうか仏法聞いてくれ、後生の解決をしてくれ、そのためのいのちなのだという願いに貫かれておれらる。そのために、さまざまな機縁や工夫をして、平易にお伝えすることにかけられたのが、先生のご生涯ではなかったか。その意味では、華光とは、今は少し距離の出来た方も多いが、きっとそのことひとつという仏法の一大事のとこでは、頷けあえる法友なのであろう。まさに、I先生の生身を通して、ご兄弟やお子さんやそのお連れ合い、さらにお孫さん方へとお伝えくださった真実のお念仏は確かに拡がり、相続されているのだ。

 やはり、参列させてもらってよかった。

 先生の死を悼みつつも、その長年のご化導を偲び、その後のご相続を思う時、阿弥陀様のお働きの手強さに、今日の日、青空のようなすがすがしい気持ちで明願寺を後にすることができた。

 

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かなわない

  華光会報恩講も、無事に終了した。風邪や葬儀で、当日のキャンセルも多く、参詣は、例年よりは少なめだった。それでもご法の尊さは、変わらない。若いM師が取り組んでくれた華光らしさ残した法要も、緊張感があり、参詣の皆さんとの声もそろってよかった。30代~80代の老若の先生方のご法話も、それぞれ個性的で、有り難かった。事前にきっちした教案が作れないままのぼくは、法話のエンジンがかかるのが遅くて、ダラダラと時間オーバー。毎回、猛反省するのに、やはり教案を作り上げられないのが、最近の悩みだ。

   法要もあり、法話もオーバーしたことで、最後は久しぶりに全体会となった。短時間だったが、皆さんのお声も有り難かったのだが、最後の最後、全員の前で立ち上がった悟朗先生の姿、まさに阿弥陀様の直説法だった。座の真ん中に進み出た正座されると、不徳の息子に向かって、「尊いご法話、ほんとうありがとうございました。弥陀の直説法のごとく、お聞かせに預かりました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と深々と、懺悔されなから、頭を下げてのお念仏されるではないか。そして、「世間さまにバカにされようとも、私は仏法がうれしいです」と、またお念仏。皆さんも、唖然としながら、もう涙とお念仏しかない。こちもただうなだれて、そのお言葉をいただくばかりで、ただただ恥じいるだけだ。

  でも、悟朗先生は、人を拝んでおられるのではない。その背後の阿弥陀様に手を合わせてくださっている。その姿は、理屈や一時の感情を超えた、まさに身業説法だ。

  ああ、こんな高齢になられても、絶対に、この人にはかなわないのだと思い知らされた。しかし、そんな師をもったことが、無性に尊く、有り難かった。阿弥陀様のお姿そのものを示してくだされるのだからなー。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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訃報

 報恩講法座の朝、法話の教案を考えていたら、訃報が入った。

 新潟のI先生が、今、未明にご逝去されたというのである。エー!、と思わず声がでた。9月の大遠忌には法中として元気に出勤くださっていたのではないか。癌に関しては、かなり良好な様子だと窺い、安心したところだった。その1年前の越後御旧跡巡拝のことだ。地元の赤倉ホテルで、ご法話をいただた時に、自らの癌の余命確率を告白されたので、その時は、ほんとうに今生のお別れになるのではと名残が惜しかったことを覚えている。それが、元気に、京都にまでご出勤くだされるまでに回復されていただけに、ほんとうにご家族の方にとっても、突然の訃報だったようだ。

  ほんとうに、先生には、50年以上にわたり、父の右腕となって、献身的にお世話をいただいた。法座だけでなく、日常の業務や仕事、書道教室にしても、先生の力がなかったならば、華光の運営もままならないことか多かった。ぼくが、まだ子供だったころには、たとえば、父のアメリカ布教中には、父に代わって、日曜学校、婦人講座、法話会、そして毎週毎の書道教室の先生、さらに華光誌の発行に、急なお葬式の依頼にも、忙しいお仕事を合間を縫って、身を捨ててお世話くださってきたのだ。先生がおられればこそ、父も安心して、2月から3月にかけての2ケ月以上も、毎年、会館を開けることができたのである。

  いやそれだけではない、日曜学校にしても、子供大会にしても、また仏青や聞法旅行にしても、2度のインド旅行にしても、先生がおられなかったならば、今日まで続けられていなったのではないかと思うほどに、貢献してくださった。

  京都を離れられて新潟に戻られてから、かなり日時が経つので、いま華光同人には、先生に直接、ご教化いただいた人は少なくなってきたかもしれない。

 しかし、ぼくたちが、知っていても、知らなくても、先に歩く念仏の先達のさまざまなご苦労があったればこそ、今日の法座が連綿として続いてきていることは、紛れない事実である。ほんとうに、私が見えているご恩やご苦労などは、氷山の一角というか、ほんの爪の先の砂粒ほどのわずかでしかない。そんな先達が捨ててくださったいのちの上に、ぬくぬくとあぐらをかいて、「分かった、分からん」「有り難い」とか、「冷めてる」とかいいながら、甘え、駄々をこねているのが、私の求道の正体なのだろうなー。

 ちょうど 親鸞聖人の報恩講である。祖師のご恩徳は、同時に、そんな先輩念仏者の願いに思いを馳せ、そして阿弥陀様の洪恩のほんの一端を、この私がお聞かせに預かるためのものでもあるのだ。

  I先生、長年に渡るご化導、まことにありがとうございました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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打ち合わせ

 華光会の親鸞聖人御正忌報恩講の準備がすすむ。仏具のおみがきや荘厳、そして掃除のために、大阪、京都の有志の皆さんが集まってくださる。

 2日間に渡って、新運営委員長のRさんが来館されて、今回のリーダーS君も加わり、詳細な打ち合わせを行う。生活や進行、そして座談会の司会役など、決めることは多岐だ。

 夜の10時から、会奉行役をお願いしたM師と法要の打ち合わせ。大遠忌法要があったことで、法要の意義を感じることが多くなった。どうせ、同じ時間を費やすのなら、より丁寧にお勤めしていこうと思う。これもまた、これまでの華光の伝統でもある。それで、一部を改定して新しい差定の相談。法中だけでなく、参詣の方にも、声明集を作製して、一緒にお勤めしてもらうことにした。

 そのあと、声明の練習もお願いしたが、初めて教えてもらうことも多く、ある意味目からウロコ。ほとんど独学でやってきたので、間違ったものを信じて、さらに練習を重ねてもダメだということを知らされた。けっして得意ではないが、とても新鮮で、面白かった。気がつくと、もう0時になっている。

 お世話の皆さん、どうぞよろしくお願いします。

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『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

 正月、映画館で見て、パンフレットも購入した映画の番組を、録画して観た。

 その当時、新生のジャズ・ボーカーリストとして一世風靡した、ノラ・ジョーンズが主演した、ウォン・カーウァイ監督の『マイ・ブルーベリー・ナイツ』だ。ところが、タイトルと、主演の記憶は確かにあったが、たとえば、ほかに、ジュード・ロウやレイチェル・ワイズ、そしてナタリー・ポートマンなどの豪華な顔ぶれが共演していたことも、ストーリーの断片も、一カットのさえも、見事に思い出すことなかった。結局、最後まで、まったく初見の新鮮なものとして観ることになった。ただ観た映画館と、ランチを挟んで2本続けてみたという記憶はある。ただ、もう1本はなんだったかは、まったく思い出せない。5年前のことになると、この無能ぶり。うーん、これは1年前でも、記憶はかなりあやしいかもしれないなー。

 ……

    ……

       ……

 すぐに10年日記をひもといてみる。メジャーの映画なので、映画館の確率は1/2だったが、その映画館も違い、当然、ランチのお店もまったく違っていた。ただ、ランチを挟んで2本続けてたことだけは当っていた。

 そのもう1本は、コーエン兄弟のオスカー受賞作の『ノー・カントリー』だった。あー、こちらはかなり覚えがある。老保安官のトミー・リー・ジョーンズと、大好きな男優であるハビエル・バルデムが、コイントスでの殺し屋ぶりがよかったやつだ。えーと、最後は、ボーリング場での殺人で、……、いやいや、これはまたその年の話題作のラストだったよな……。

 経験したことすべてを思い出すことがあっては、とんでもないことになるが、この記憶の喪失ぶりはなんだ。まだ観たという記憶があるだけましな部類か。でも、まもなくこれもすべて失せていくのだろう。 

 

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体験的一歩

 今年のお正月は、いつものように映画に加えて、最近では珍しく読書にも時間を費やした。

 新しい本ではなく、昨年読んだり、これまで読みかけていた本のページをパラパラめくっては、アイダーラインや付箋がついてある場所、気になった箇所を読み返したりをした。まあ、ザーと眺めるだけなのだが、これがけっこう面白かった。以前、途中で挫折してた袴田憲昭著『本覚思想批判』、セイモン・イングス著『見る』~眼の誕生はわたしたちをどう変えたのか~(著者の好奇心のすごさ、博覧強記ぶりには脱帽)、そして、野口晴哉著『風邪の効用』と三枝誠著『整体的生活術』(本音のみで書かれた、歯切れのよさは最高。善男善女の恐ろしさと、悪人のすすめが面白い)と、興味深く読んで印象深かった、池見陽著『僕のフォーカシング=カウンセリング』だ。

 特に、最後の池見先生のものは、いまの僕自身の関心事もっともフィットするもので、いわば、痒いところにビッタリ届くような画期的な書物だ。その文体といい、着眼点といい、カウンセリングのライブ感(アドリブ感)というか、もっとも言葉にしずらい、「その人なり」の直感的ものも含めたパーソナリティーの部分を惜しげもなく表明された、実践的な書物だ。

 あちこちにアンダーラインや付箋を張り付けているのだが、それでも、読み落としている箇所に、ハッとした。

 人は自分が感じていることの中で、今まではっきりわらかなかっこと--これをインプリシットな側面という--がわかってくるとき、〈ああ、わかった!〉といった興奮を体験する。この体験は理論用語で〈体験的一歩〉と呼ばれ、フォーカシングの実践用語では、〈フェルトシフト〉と呼ばれている。

 こうして、フォカサーの中で、「新しい体験の側面が動きはじめている。それは、新しい気持ち、というばかりでなく、新しい生き方、あり方にも関係している」

 明白なものの周辺にはグジャグジャ、モゾモゾと流れ、すでにカラダでは感じられてはいるけれども、まだ意識として明確になっていない感じに焦点があたり、意識化され、名付けがなされて、体験と、意識と、言葉がピッタリとした、「あ、わかった!」という気付き体験、つまり「フェルトシフト」を指しているのだろうけど、このような気付きが、理論用語で、「体験的一歩」と名付けされていることを、すっかり読み逃していたことである。

 「一歩出る」-仏法では、常々お聞かせに預かる言葉であるが、これは単なる一歩ではなく、身も心もかかった「体験的一歩」であり、単なる気持ちの持ち方といった慰めではなく、新しい生き方、在り方の動きの始まりとなるものだ。いくら、正しい言葉を並べ、口では納得しても、この「体験的一歩」の踏み出したがないと、前には進んでいかないのである。

 「体験的一歩」。こんなぴったりした用語があったんだなー。

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無明の酒に酔う

 今夜は、飮酒(おんじゅ)の罪を作る話である。

 日頃は、晩酌に、小カンのビールか、またはワインを飲み、少し足らずは、焼酎をロックで飲むのが、ぼくのいまの定番である。でも、若いころ~20代、30代初め~は、日本酒が一番好きだった。ビールを飲みとしても、それは夏のことで、秋・冬は、専ら、熱燗の日本酒を好んだ。それが、いつのまにか、冬でもビールになり、昔はほとんど飲まれなかった焼酎を飲むようになっていた。日本酒は、甘い口当たりや、後々に悪酔いする気がして、苦手になってきたのである。もちろん、お酒全般が苦手になってくれればいいのだが、残念ながら、酒量は増えていくようだ。

 ところが、父の好みは違う。50年以上、毎日、晩酌はせずに、夜食に寝酒していた。しかも、若い時から、ずっと日本酒が好きで、ぬる燗で飲み、あとはウィスキーを少し飲んでいる。

 しかも華光の皆さんは、けっこう親子のお酒の趣向をご存じで、父は皆さんから日本酒をいただき、ぼくは、ワインや焼酎をいただくことが多い。

 しかし、ご承知のとおり、休肝日もなく、毎晩、毎晩、寝酒をうれしそうに飲んでいた父が、3月に検査入院をしたのをきっかけに、ぴったりとお酒をやめたのだ。医者は、今程度の酒量なら、別にやめなくてもいいと言っていた。それが、「もう一生分を飲んだわ」といって、まったく見向きもしない。隣で飲んでいようが、懇親会でもお茶である(甘味ジュースは禁物)。ノン・アルコールも欲しがるそぶりもない。別に、強い決意があったわけでもないのに、米寿の祝いのときですから、勧められても、「もうやめましたから」と、自然体で断っていた。

Img_3079 いくら「止めた」といっても、まあ、たまには飲まれるのだろうと皆さんは、思っておられるのだろうか。当然、お中元やお歳暮でいただいた日本酒が、飲み屋が開けるぐらいたんまり溜まっていることを、正月前に発見した。しかも、八海山、久保田、Img_3109越乃寒梅に、賀茂鶴の大吟醸…と、銘酒揃いである。なかでも、高山の方から、ノンラベルで、「一般人が絶対に飲めことのない、最高級の極秘酒」と命名された、精米歩合35%!のお酒があって、今年のお屠蘇となった。

 というわけで、テンションのあがったぼくは、「さすがにお正月は、日本酒」だということで、以降は、日本酒とワイン三昧。

 お酒の酔いで、人生の苦をごまかしたとしても、結局、醒めれば迷いの闇が深くなるばかりだ。が、これだけは親鸞聖人の教えとはいえ、なかなか止められない。おゆるしくだされ。

 もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏の誓ひを聞きはじめしより、無明の酔ひもやうやう少しづつさめ、三毒をも少しつつ好まずして、阿弥陀仏の薬を常に好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。(御消息集第二通)

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御正忌報恩講のご案内

 昨年の御正忌報恩講は、親鸞聖人750回大遠忌の御正当報恩講だった。

 蓮如様の御文章には、「七昼夜のあいだ」とあるが、満七昼夜(まんしちちゅうや)のあいだに、「念仏勤行をこらしはげます」のである。つまり、1月9日のお逮夜より、七昼夜の間といのだから、親鸞聖人のご命日にあたる(お西の系統は、新暦を採用するので)1月16日にご満座となる。

 しかし、華光会では、報恩講は二日間の行事。親鸞聖人のご遺徳を偲び、報恩謝徳のお念仏を申すのであるが、それは、単なる法要や儀式ではない。ひとりひとりが、我が信やいかに、他が信やいかにと問う法の場である。その意味では、常日頃の法座のお心はなんら代わりはないが、皆さんと、一緒に、「お正信偈」をあげ、共にご聴聞し、お念仏申し、またその慶びを語り合いましょう。

 〆切が迫っているが、年末年始ということもあって、まだ余裕がある。どうぞ、奮ってご参加ください。宿泊などが不要な場合は、当日参加も可能ですが、事前にお申し込みくださると助かります。

日時=1月13日(日)昼13時30分~17時(法要・法話・信仰座談会)
                          夜19時~21時30分(法話・信仰座談会)

        1月14日(祝)朝9時~12時(法話・信仰座談会)
                           昼13時30分~16時30分(法要・法話・座談会)

 詳しくは、華光会HPをご参照のこと。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2013/details/01/hoonkou2013-1.htm

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『ソハの地下水道』

Img_3107  2013年の第1作目は、京都シネマで、ポーランド映画、『ソハの地下水道』を観る。

 日本からはポーランドのイメージは遠くて薄いが、旧共産圏の中でも、ボーランドは映画の名作や名監督の宝庫である。この映画も、「灰とダイヤモンド」と並ぶボーランドの巨匠アンジェイ・ワイダの代表作、『地下水道』を意識した邦題がつけられている。

 英語の原題では、「In Darkness」。暗闇の中で、ということになる。確かに、劇場も、暗闇の中だ。映画が終わり、あたりが明るくなった時、ボーランドの地下水道にいたぼくは、ここが平和な日本であることが、なんとも不思議な感覚になった。

121209  毎年、2~3本は、必ずといっていいほど、ホロコースト物を観る(昨年なら、『アンネの追憶』がそうで、『善き人』の題材もそうだった)、もうやり尽くされた感があるが、まだまだ新鮮な材料がある。ある意味で、ボーランドが舞台で、隠れるという点では、、ロマン・ポランスキーのオスカー受賞作、『戦場のピアニスト』が思い出されるが、主人公は、ユダヤ人ではなく、かくまう側の小市民であることか特徴だ。

 舞台は、ナチス支配下のポーランド。下水修理工の冴えない中年男ソハは、前科者だ。今もまた、本業とは別に、妻や病弱の娘を養うために、手下と空き巣を行なっては、糊口を凌いでいる。複雑にはりめぐられた地下水道を熟知して、盗品の隠し場所にもしている。

 強盗となって逃げ帰る彼の横を、素っ裸で逃げまくる女性たちを、容赦なく乱射するナチスの姿。ユダヤ人への迫害は苛烈となり、強制収容所送りに怯える日々。ある日に、ゲットーの下水修理をしていた彼は、地下水道に逃れてきたユダヤ人たちと遭遇してしまった。当局に通報したらもらえる報奨金より、彼は、いのちと引き換えにそれ以上の金銭を要求し、また協力者として、食料と引き換えに金品を受け取ることにした。

 しかし、あまりにも人数が多い。生きるものを彼ら自身が選別する現実。当たり前だが、迫害されたユダヤ人にだって、いろいろな人がいるのである。しかも、ナチスの執拗なユダヤ人狩りで、彼も疑惑の目で見られ、徐々に窮地に追い込まれていく。ナチスの横暴は、何ら罪のないポーランド人にも向けられているのだ。そして、ユダヤ人の金銭も尽きる時も来る。そこで、彼の獲った行動は、もう理性や理屈を超えたものである…。

 図らずも、保身、出世のためにユダヤ人の友人を裏切り、ナチスの協力者とならざるえなくなった(もしくは、その善き生活を彼自身が選んだのであるが)小心の大学教授を悲劇を描いた『善き人』とは、まったく逆の立場の男が主人公だ。いや、保身のためにたナチスの協力者となる知識人もいれば、金のためには命懸けでユダヤ人を匿う立場になるコソ泥もいたのだが、共に、自らの哲学や理念があったわけではない、ごく普通の小市民である点では、まったく共通しているし、あるとすれば、人間性の違いではなく、催してきた業縁の違い、置かれた状況の違いだけかもしれない。

 実話に基づく衝撃作だが、ラストの映像のあとで、その後の彼の生涯がテロップされる。その数奇な生涯が、もっとも衝撃的だったかもしれない。

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かもめ

3121141v_2 修正会が終わってから、家族で正月の会食にでかける。例年のことだが、年末から修正会が終わって、やっとほっこりする時だ。

 京都の二条城に近い、町家を改造した創作日本料理のお店。開始時間が決まっている予約制のお店だが、真新しくて、接客も心地よかった。店主は、京都のたん熊という老舗料Img_3094亭で修業されたそうだ。

 いつもは賑やかな子供たちは、アメリカ留学中だ。年末に顔だした姪っ子も、元旦から仕事が休めず、大人だけの静かなお正月だ。

 でも、まあそれはそれで、大人だけならばこそ、お互いに何かと込Img_3096み入った話もあるもの。もっとも、ぼくの方は、自分で話さなくても、世の中には、親切な暇人もけっこうおられるようで、話す手間は少しは省けるのだけどね(笑)。Img_3100

  まあ、そんなことより、今夜は、おいしい料理とお酒をいただいてリフレッシュ。

 タイトルは、お店の名前。

Img_3103_2 なぜ、「かもめ」なのかは、今夜は聞きそびれたが、ご馳走に満足。

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修正会

 謹賀新年

 旧年中は、皆様にご迷惑やご心配をおかけしました。

 本年は、心機一転、鬼が出るか、蛇が出るか、どうせ腹底の本性からみれば、ロクナものはでないけれど、頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

Img_3088 元日は、正月恒例の修正会である。どうも、今年のお正月は、寒い。それでも、京都、大阪、滋賀、奈良、兵庫の近畿一円に、愛知県や三重県からも、初お参りの方があった。

 一同でお正信偈と「現世利益和讃」を華光節でいただく。元旦に、皆さんと一緒に、尊前で声に出して勤行することだけでも、尊い気分になる。「御文章」は、ご法話の関係で「八万の法蔵章」を選んだ。Img_3090

 さて、ご法話の前に、悟朗先生のごあいさつ。実は、12月の半ばに、腎盂炎で40度近い熱が出た。あわてて、華光誌の最中で残業していたT君たちと担ぐように病院へ連れていった。週末の京都支部法座も欠席となった。だいぶ体調も戻って来ていたが、相談の結果、修正会の法話は外れて、最初に、簡単な新年の挨拶をすることになったのだ。

 ところが、短めの挨拶というのが、逆に難しかったようだ。

 「健康長寿・コトダマ日めくり」カレンダーを、ひとつ、ひとつ読み上げていく。NPO「昭和の記憶」が、市井の昭和史の記録として、90歳~100歳以上の高齢者の健康長寿の秘密を「一言」にして現したもので、たとえば、「人を恨んじゃいけん」とか、「人は人、自分は自分だすけ」、「生きているだけで幸せ」、「称えれゃ、気がやすらぐちゃ」、「無理しない、無精しない、粗末にしない」(101歳の方)といった具合だ。それを、31個を取り上げて、紹介された。それなりに長寿のひと達の言葉なので、滋味深いものもある。しかしである。ここには、家族や健康を大切にした今生の生き方であり、感謝の日暮らしはあっても、一言も「後生の一大事」はないのである。そして、なんの為の人生という問いもない。そのことを、しっかり抑えながら、真宗の要を、新年からご教授いただいた。

 ほんとは、10分程度の挨拶のあと、50~60分、ご法話をする段取りになっていたが、この法話だけで、50分近くなった。座談会の予定もあるので、急遽、ぼくの法話は取りやめることにした。

 新年、早々、打ち合わせ通りにいかないが、まあ、しっかりご法話をいただけたのが、有り難かった。臨機応変な対応よりも、長年、お伝えくださっていた、真宗の要をお取り次ぎいだく方が、本人もやりやすかっただろうし、皆さんにも、一風変わった切り口のご法話となって、よかったのではないだろうか。

 けっして、人数は多くはなかったが、全体での座談会の抱負や味わいの一言も、皆さんが、バラバラのようで、その心はひとつという、まさに白色白光、青色青光といった風情で有り難かった。

 とにかく、本年もどうぞよろしくである。

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