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雪の高山支部報恩講

Img_3034_2   今年は、冬の訪れが早い。

 12月に入ってばかりなのに、寒い日が続いている。週末の高山も2日間共に、雪が降り続いてた。窓の外も、すっかり雪景色である。17年前に、初めて、この地を訪れた時も、大雪だったが、今回も大雪警報がでている。それでImg_3039も、北国の方にとっては、なんでもないことのようだ。平気で車を運転し、夜でも外出される。

 支部の報恩講である。雪を褥に石枕ではないが、比叡山といい、越後といい、親鸞聖人は、寒さや雪にもご縁のある方のようだ。

 さて今回は、少し違ったテーマをもってきた。法話の内容はそれぞれ異なるのだが、その都度、全員で歌ったり、お念仏を称えたり、少人数の活発な話し合いグルーブで作ったり、「みんなで声を出し合う」という体験をしてもらうことした。法話を、ただ黙って聞くだけなら、自分の思考をグルグルと回すだけで、頭でっかちの聴聞で終わってしまう。 大j遠忌法要や大会の分級座談会で感じたことだか、たとえ、法話はなくても、ただ同じように声を出しあって勤行をしたり、高声念仏を共に称えてもらう。一人一人は小さなお念仏の声であっても、それて二人、三人、…と増えるごとに、何重にも共鳴しあう響きは、私の小さな理屈の枠を超えて、広大な世界へといざなうことが、しばしば起こる体験をさせてもらっているのだ。

 今回は、報恩講ということで、夜座は、みんなでお正信偈のお勤め。朝座は、座談会の意義と、3つのテーマについて、5~6名のグループで活発に話し合う法座、そして昼座は、伊藤康善先生の「大悲の呼び声」を、若き日の日高支部の皆さんのテープに合わせて歌わせてもらうことにした。

 朝座の終わり。小人数の人のグループごとに輪になった人と手をつなぎ、横の人、前の人をゆっくりと、お互い眺めていく。それが、すでに、相手がそこにいることを認めていることでもある。そして、お互いを眺めながら、「前にいる人は、仏様に願われいてる人、横にいる人も、仏様に願われいてる人、この私も仏様に願われているもの」いう思いで、眺めてもらうと、そこには、ただ涙とお念仏しかない。仏法を慶ぶ人も、仏法を謗る人も、縁あって一緒に聴聞する人も、また離れざるえないご因縁の人も、また阿弥陀さまに願われている人なのである。そうすると、人間(私)の思いなんて、ほんとうにちっぽけなもんだよなー。南無阿弥陀仏

 最後のご示談も、この思いで接すると、笑顔でのお取り付きとなった。全体で輪になって、お手つなぎならが、お念仏を手渡していく。どこから始まったのか、どんどんお念仏の輪が広がる。グズグズ理屈を言う人も、真剣にお勧めする人も、すべて阿弥陀様に願われている凡夫、みな、お念仏でつながっていることを、目にもの見せて教えてくださる。お念仏の圧倒的な真実の前には、無理もせず、強くお勧めしなくても、自然と、新しい菩薩が生まれてくるのである。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。ぼくの思いなど、とうに超えたところでの尊いご縁となった。

 それにしても、昨晩は、いろいろと募る(というより詰まる)話もあって気付けば、朝4時まで話し込んでいたが、不思議と元気で、積極的に動きてよかった。お世話になりました。

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